クラルスフェルト夫妻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/03 13:00 UTC 版)
「ナチ・ハンター」の記事における「クラルスフェルト夫妻」の解説
詳細は「ベアテ・クラルスフェルト」および「セルジュ・クラルスフェルト」を参照 ベアテ・クラルスフェルト (1939 -)、セルジュ・クラルスフェルト (1935 -) の夫妻は、すでに戦時中からイサック・シュネルソン(フランス語版)らによってひそかに収集されていたショア記念館の現代ユダヤ資料センター (CDJC) の資料に基づいて、特に、フランスのユダヤ人数千人の検挙と強制移送を主導した元親衛隊中佐クルト・リシュカ、フランスのボルドーおよびパリのユダヤ人一斉検挙を主導した元親衛隊少佐ヘルベルト・ハーゲンらを捜しだし、逮捕・裁判にこぎつけた。 また、「リヨンの屠殺人」と呼ばれた元親衛隊大尉クラウス・バルビーが「クラウス・アルトマン」という偽名を使ってボリビアにいることを突き止め、独仏および欧州連合の司法当局に身柄引き渡し要求を行うよう働きかけ(1987年、終身禁錮刑)、アドルフ・アイヒマンの副官で、フランスでは特に1944年7月のユダヤ人一斉検挙の一環として、子供たちの名簿作成・検挙を主導した元親衛隊大尉のアロイス・ブルンナーを捜して度々シリアに渡り、住所を突き止めた。フランス政府とドイツ政府はこの情報に基づいて、シリア政府にブルンナー引渡しを要求したが、身柄拘束には至らなかった。 ベアテ・クラルスフェルトはこの他にも、ドイツ政界の重要人物のナチス党員としての過去を暴露したこと、およびナチスで働いた経歴があるドイツキリスト教民主同盟 (CDU) 党首クルト・ゲオルク・キージンガーに平手打ちを食らわせたことで知られる。
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