バルビー引き渡し要求
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 14:17 UTC 版)
「ベアテ・クラルスフェルト」の記事における「バルビー引き渡し要求」の解説
「クラウス・バルビー」も参照 ショア記念館の現代ユダヤ資料センター (CDJC) には、すでに戦時中から収集されていたユダヤ人大量虐殺に関する貴重な証拠が保管されている。クラルスフェルト夫妻の調査は、主にこれらの資料の分析、およびセルジュが作成し、ケルン裁判で最も重要な証拠とされた強制収容所に移送されたユダヤ人7万6千人の名簿『フランスから強制移送されたユダヤ人の記録名簿 (Mémorial de la déportation des Juifs de France)』(1978年初版出版)に基づくものであった。クラルスフェルト夫妻は同じく現代ユダヤ資料センターの資料を調べ、すでに1947年と1954年に欠席裁判で有罪判決を受けた元親衛隊隊員のクラウス・バルビーが「クラウス・アルトマン」という偽名を使ってボリビアにいることを突き止めていた。バルビーには子供が2人いたが、生年月日が「アルトマン」の子供2人と一致したからである。ベアテはさらに1971年7月、同センターでミュンヘン裁判所が、バルビーが「アルトマン」であることを知りながら、彼に対する公開尋問を却下したことを知った。クラルスフェルト夫妻は独仏両国およびEUの司法当局に身柄引き渡し要求を行うよう働きかけたが、これは息の長い闘いとなり、バルビーがフランスに引き渡されたのは、彼が70歳になった1983年のことであり、さらに翌年からリヨンの法廷で始まった裁判で人道に対する罪として終身禁錮刑を宣告されたのは1987年のことであった。
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