クラルテ運動を広める雑誌としてとは? わかりやすく解説

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クラルテ運動を広める雑誌として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/20 14:04 UTC 版)

種蒔く人」の記事における「クラルテ運動を広める雑誌として」の解説

種蒔く人』は、小牧フランス在留中に傾倒したクラルテ運動日本において広めるという趣旨のもと創刊した雑誌である。小牧1910年明治43年)から1919年わたってフランス在留現地学んでいるが、その間勃発した第一次世界大戦小牧大きな衝撃与え戦争へ疑問もたらすものとなった。「クラルテ」(仏:Clarté)とはフランス語で「光」、「光明」を意味し、「クラルテ運動」の名はアンリ・バルビュス同名小説由来する小牧自らが解説するところによると、クラルテ運動目的は「軍国主義打破人間区別する所の凡ゆる階級撤廃人間生活の尊重男女差別なき平等社会建設健全な人間義務労働」を目指したものであるが、およその性格としては第一次大戦後湧き上がった和希求の運動人道主義社会主義的立場から一つにまとめあげようしたものであったクラルテ運動1920年以降共産主義への傾斜強めていくことになるが、小牧それ以前1919年帰国しており、したがって小牧日本において広めようとしたのは初期クラルテ運動精神ということになる。小牧1918年秋にバルビュス面会しており、帰国の折にはバルビュスにより「反戦運動のためにひろく同志糾合するように」との要請受けている。 一方でクラルテ運動理想主義観念主義的に過ぎ、その運動沿った活動当初より対立内包するものであった提唱者であるバルビュスリベラリズムから共産主義への転向あらわにし、1923年には共産党入党している。バルビュス思想共感した小牧第三インターナショナル考え賛同しているが、一方で運動初期精神引き継いだ小牧にはその後フランスで起きた対立はあまり影響せず、ロマン・ロランバルビュス論争起こした際もロラン擁護している。しかし、クラルテ運動漠然とした性質フランス国内で対立もたらした図式そのまま日本でも同じ経緯を辿ることになり、より革命への明確な理論道筋主張する論者小牧袂を分かつことになる。小牧描いた第三インターナショナルへの道筋は『種蒔く人』の同人たちと共有されていたとは言い難く、『種蒔く人』の後身である『文芸戦線』では中西村松松本脱退していくのである。『文芸戦線』はその後分裂脱退重ねていき、日本プロレタリア文学主流は『戦旗』が担っていくことになる。『戦旗』において論陣張った作家たちを中心に構成され日本プロレタリア作家同盟バルビュス功績あるとしながらマルクス主義から離れていると批判しており、かくしてバルビュス影響受けた小牧日本プロレタリア文学運動先鞭をつけながらもその主流から取り残されて行くことになった

※この「クラルテ運動を広める雑誌として」の解説は、「種蒔く人」の解説の一部です。
「クラルテ運動を広める雑誌として」を含む「種蒔く人」の記事については、「種蒔く人」の概要を参照ください。

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