小牧近江の生い立ちと思想的背景とは? わかりやすく解説

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小牧近江の生い立ちと思想的背景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/20 14:04 UTC 版)

種蒔く人」の記事における「小牧近江の生い立ちと思想的背景」の解説

種蒔く人発刊背景に、活動中心人物となった小牧近江傾倒した反戦平和運動クラルテ運動』の存在挙げられる小牧近江こと本名近江谷駉は1894年明治27年)、実業家衆議院議員である近江谷栄次長男として秋田県南秋田郡土崎港町に生まれた富裕な実家生まれ土崎尋常高等小学校暁星中学校学んだ後、1910年明治43年列国議会同盟会議出席するため渡欧した父に同行する形でフランス留学した小牧であるが、その後父の事業失敗して実家破産小牧本人への仕送り途絶えてしまった。このため通っていたアンリIV世校(フランス語版)を放校され苦学の末に1918年大正7年パリ大学法学部卒業したという特異な経歴を持つ。おりしも小牧留学していた時期第一次世界大戦前後時期にあたり1914年大正3年)に起きたジャン・ジョレス暗殺小牧にとって「平和主義者国賊であらねばならないか?」「誰が真の愛国者なのか?」という疑問抱かせるものとなった。この疑問小牧ロマン・ロランそしてアンリ・バルビュス傾倒させる端緒となり、戦争犠牲膨れ上がるとともに広まっていくフランス国内の反戦感情や、留学中友人社会主義者であったジャン・ドサン・プリ存在もまた青年期小牧大きな影響もたらした。ボリス・スヴァリヌ(フランス語版)を通じて1918年秋にバルビュス知遇得た小牧は、人類愛基づいて知識人国際的に連帯することを目指すバルビュス運動感銘を受け、彼を中心としたグループ賛同することとなったバルビュス小説タイトルクラルテ』に由来するグループ・クラルテは1919年大正8年秋に正式に発足小牧帰国の折、バルビュスより「反戦運動のために広く同志糾合するように」との要請受けて、その年の暮れおよそ10年ぶりに日本に帰国した。

※この「小牧近江の生い立ちと思想的背景」の解説は、「種蒔く人」の解説の一部です。
「小牧近江の生い立ちと思想的背景」を含む「種蒔く人」の記事については、「種蒔く人」の概要を参照ください。

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