小牧近江の生い立ちと思想的背景
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「種蒔く人」の記事における「小牧近江の生い立ちと思想的背景」の解説
『種蒔く人』発刊の背景に、活動の中心人物となった小牧近江が傾倒した反戦平和運動『クラルテ運動』の存在が挙げられる。小牧近江こと本名・近江谷駉は1894年(明治27年)、実業家・衆議院議員である近江谷栄次の長男として秋田県南秋田郡土崎港町に生まれた。富裕な実家に生まれ、土崎尋常高等小学校、暁星中学校で学んだ後、1910年(明治43年)列国議会同盟会議に出席するため渡欧した父に同行する形でフランスに留学した小牧であるが、その後父の事業が失敗して実家が破産、小牧本人への仕送りも途絶えてしまった。このため通っていたアンリIV世校(フランス語版)を放校され、苦学の末に1918年(大正7年)パリ大学法学部を卒業したという特異な経歴を持つ。おりしも小牧が留学していた時期は第一次世界大戦前後の時期にあたり、1914年(大正3年)に起きたジャン・ジョレスの暗殺は小牧にとって「平和主義者は国賊であらねばならないか?」「誰が真の愛国者なのか?」という疑問を抱かせるものとなった。この疑問は小牧をロマン・ロランそしてアンリ・バルビュスに傾倒させる端緒となり、戦争の犠牲が膨れ上がるとともに広まっていくフランス国内の反戦感情や、留学中の友人で社会主義者であったジャン・ド=サン・プリの存在もまた青年期の小牧に大きな影響をもたらした。ボリス・スヴァリヌ(フランス語版)を通じて1918年秋にバルビュスの知遇を得た小牧は、人類愛に基づいて知識人が国際的に連帯することを目指すバルビュスの運動に感銘を受け、彼を中心としたグループに賛同することとなった。バルビュスの小説のタイトル『クラルテ』に由来するグループ・クラルテは1919年(大正8年)秋に正式に発足、小牧は帰国の折、バルビュスより「反戦運動のために広く同志を糾合するように」との要請を受けて、その年の暮れおよそ10年ぶりに日本に帰国した。
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