共産主義活動・執筆活動
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「ポール・ニザン」の記事における「共産主義活動・執筆活動」の解説
ニザンは高等師範学校で共産主義・反軍国主義の仲間と軍事訓練を妨害したこともあり、1929年7月4日付の共産党の機関紙『リュマニテ』に、彼らと連名で軍事教育に抗議する書状を掲載し、同紙の表紙にも「次の戦争に備えた大学の恥ずべき軍隊化」という小見出しが付けられた。 一方、1923年に作家として最初に共産党に入党したアンリ・バルビュスは、1919年に戦争小説『クラルテ(光明)』を発表したのを機に、知識人の国際反戦・平和運動「クラルテ」を結成、同名の機関誌を創刊し、編集長を務めていたが、ニザンが親しくしていた上述の『哲学』誌を中心とするマルクス主義哲学者ポリツェル、ルフェーヴル、およびアンドレ・ブルトン、ルイ・アラゴンらシュルレアリストは、バルビュスがクラルテ運動の一環として『リュマニテ』紙上で呼びかけたリーフ戦争反対に賛同し、共同声明「まず革命を、そして常に革命を」を『リュマニテ』紙(1925年9月21日付)と『シュルレアリスム革命』誌第5号(同年10月15日付)に掲載した。さらにこれを機に、ブルトン、アラゴン、エリュアール、バンジャマン・ペレらシュルレアリストがニザンと同じ1927年に共産党に入党し、ポリツェル、ルフェーヴルらは1929年に入党した。同じ1929年に再びポリツェル、フェーヴル、モランジュ、ギュテルマンが『マルクス主義評論』誌を創刊すると、ニザンはフリードマンらとともに参加した。 『マルクス主義評論』誌は第7号をもって終刊となったが、以後、ニザンは『リュマニテ』、『ボリシェヴィキ手帖(フランス語版)(Cahiers du Bolchévisme)』などの共産党の機関紙(機関誌)、『ス・ソワール(フランス語版)(Ce soir、今宵)』、国際革命作家同盟の機関誌『国際文学(フランス語版)(La Littérature internationale)』、国際革命作家同盟のフランス支部として設立された革命作家芸術家協会の機関誌『コミューン(フランス語版)(Commune)』(後述)のほか、『クラルテ』の後続誌で同じくバルビュスが主宰する文学、芸術、科学、経済、社会問題の総合雑誌『世界(フランス語版)(Monde)』、「戦争世代の機関誌」と題された戦間期の文学雑誌『ルヴュ・デ・ヴィヴァン(La Revue des vivants、生者評論)』、ジッドらが創刊し、特に戦間期には党派性を排除し、外国文学を積極的に紹介したことで国際的な影響力をもつことになった、ジャン・ポーラン主宰の『新フランス評論』、作家ロマン・ロランらによって創刊され、彼の「精神の独立」の理念に基づく平和主義の雑誌であり、1920年代には第一次大戦後の欧州の再建に関する議論の場であった『ユーロープ』(ジャン・ゲーノ主宰)、フランス人民戦線の機関紙として創刊された『ヴァンドルディ(フランス語版)(金曜)』、ロマン・ロランの支持を得てニザン自身がリュック・デュルタン(フランス語版)と共同で編集した『青年手帖(Les Cahiers de la jeunesse)』(1937年)など多くの雑誌に寄稿した。
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