共産主義指導者としての批評
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 01:47 UTC 版)
「フィデル・カストロ」の記事における「共産主義指導者としての批評」の解説
2006年、アメリカのワシントン・ポスト紙の付録誌「パレード」の『世界最悪の独裁者』という特集記事で、第15位に選出されるなど、アメリカやラテンアメリカ諸国においては「社会主義かぶれの独裁者」として批判を受けることも多いものの、「ラテンアメリカを植民地のように扱うアメリカにかたくなに抵抗し続けるヒーロー的な存在」として、容共的な人々のみならず反共産主義者の間においても心理的な支持者が多いと言われている。 特にベネズエラのウゴ・チャベスは、フィデルを師匠のように敬愛していた他、ボリビアのエボ・モラレス大統領とも友好関係にある。政治家以外ではサッカー選手のディエゴ・マラドーナと親交があった。同じアルゼンチン出身のチェ・ゲバラとともに彼の左派発言の土台を作ったとされている。国内においても、独裁者として君臨しているにもかかわらず同様な理由からカリスマ的な人気が根強くある。なお、フィデルは毛沢東を「クソ野郎」と呼び、キューバ危機の際に自分にまったく相談せずにミサイル撤去に応じたニキータ・フルシチョフが失脚したのを聞き、鏡を叩き割って罵ったと言われている[要出典]が、実際にはキューバ危機後にフィデルはソビエトのフルシチョフのもとへ2回訪問し、2人で事件を冷静に振り返ったうえで、自己批判までしている。 独裁ゆえに権力維持に執着してしまいがちな他の独裁国家の指導者と違い、血族へのものとはいえ、自らの政治指導が困難とみなすと潔く権力の移譲を表明する柔軟さを、高く評価されることもある(血族で唯一政治家であるラウルはモンカダ兵営襲撃事件からの仲間であり、フィデルの主義からして血族という観点からの評価でラウルに移譲したとは考えにくい)。事実、彼は非常に自分が美化されることに神経質で独裁国家によくある公共の場における指導者賛美のプロパガンダが一切存在せず、むしろ自分がTシャツのプリントや絵画に描かれることを嫌っている。また、キューバでは特定の政治指導者が偶像化するのを避けるため、存命中の人物のモニュメントを公共の場所に飾ることを法律で禁じている。よって、既に死亡したゲバラを讃えるモニュメントはあっても、生前のフィデル自身も含め、存命中の人物のモニュメントは存在しない。 共産主義に対して極めて真摯な考えを持ち、自身がアメリカのフォーブスの世界長者番付、君主・独裁者部門に9億ドルの財産を持つとして7位にランクインされたことに激怒し、「気分が悪くなる報道だ。なぜ、こんなバカバカしい記事に対して、自分を弁護しなければならないのか」「もし誰かが、私の口座が国外にあって1ドルでも預けてあると証明するなら、私は議長を辞める」と発言した。アメリカのメディアはほぼすべてが反(フィデル・)カストロであるためたびたび大病を患った、大怪我をしたなどと書かれていた。
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