アベックからカップルへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 03:00 UTC 版)
「恋人同士」や「男女一組」を含意する語義での「アベック」という語は同じ意味をもつ「カップル」に置き換わった経緯があり、前者が優勢であった時代の話者が高齢化してゆくに連れて緩やかな廃語化が続いている。 朝日新聞の記者がこの話題を取り上げた2010年(平成22年)の記事によると、朝日新聞社内のデータベースで調べてみたところ、データベースに登録されている朝日新聞の紙面の見出しに「アベック」が登場するのは1935年(昭和10年)3月27日付の「アベツク受難 有金を奪はる」という記事であった。その後、1980年代では「楽しそうに歩くアベック」などといったほほえましい記事のほかに「アベック失踪事件」や「名古屋アベック殺人事件」などぶっそうな用例が頻繁に登場する。1990年代からは用例が徐々に見られなくなるものの、「アベック優勝」などスポーツの分野では使われ続け、例えば2009年(平成21年)には1年間で朝日新聞上に登場した63件のほとんどがスポーツ関係であった。ただし「アベック優勝」という見出しにはベテラン記者が「俺から見ても古いぞ」と異を唱えるほど、認識は変化しているという。 小説家で評論家の大岡昇平は、1960年代後半に書いた『アベック語源考』という評論の中で「アベックという言葉は昭和2年頃(...略...)生まれた」としている。当時としては珍しい男女共学の学校「文化学院」(1925年/大正14年創立)の生徒が仲良く腕を組んで歩く交際の様子を、美しく表現しようと、フランス語から採って「アベック」と呼び始めたのだという。それが昭和10年代になって密室的な意味に変容し、やがては旅館での逢瀬(おうせ。愛し合う男女が密かに逢うこと)を意味するまでになったが、その理由は大岡も解き明かせずに終わっている。第二次世界大戦後の混乱期になると、発刊が相次いだ性風俗や犯罪などを扱うカストリ雑誌の名前に「アベック」が使われるなどして、“いやらしい”イメージが定着してしまったきらいがあるという。しかしその後、理由は不明ながら、1950年代になって人気のテレビ番組『アベック歌合戦』が登場するほどにイメージは好転し、密室で男女が交際するイメージから公共の場で語れる言葉への返り咲きを果たした。 「カップル」という日本語は、1940年(昭和15年)に発表された田中英光の中編小説『オリンポスの果実』で早くも使われているが、「六十歳前後の老人夫婦から、十五歳位の少年少女のカップルに至るまで、ダンスを愉しんでゐる」という内容で、「恋人同士」という意味とは違った用法である。先述の朝日新聞の記事によれば、「恋人同士」という意味での使用は1960年代に始まったという。 「恋人同士」を意味する用語としての「アベック」から「カップル」への置き換わりは、1990年代に傾向として現れ、若い世代ではすっかり進んだ。若い層では「アベック」は完全に死語であり、その語では意味が全く通じない。言ったとしても、意味不明だという顔をされて無視されるか、あるいは怪訝そうな顔で訊かれるであろう。なお、人間というのは幼いころや若いころに学んだ言葉というのは忘れ難く、歳をとればとるほど新たな言葉づかいを吸収する能力が衰えるので、すでに初老から老齢になった人々の中には、今でも新しい日本語に順応できず「アベック」という古い表現を使いつづけている人がそれなりの割合いる。たとえば2010年時点で公園の看板に「アベックに対する集団暴行が発生しています」と書かせた役所の担当者もいた。せっかく看板を作っても、これでは今の日本人には意味が通じない、まさに男女で公園で一緒にいる世代に全然意味が伝わらない、と指摘されている。(とはいえ高齢者の全員が学習能力が低い訳ではなく、高齢でも精神的に若々しくて学習能力が高い人は、しっかり新しい語彙を学習し、もう「アベック」とは言わない。) また(スポーツ業界は体質が古いとしばしば言われるが)スポーツ関係者は特にものごとを学習するのが遅い傾向があるらしく、バレーの記事を書いた記者は2016年時点で「アベック優勝」と書いた。またバドミントンの記事を2020年時点で書いた記者も「アベック優勝」と書いた。わずかに残ったこうした例外的な使用も、こうした記者が高齢で引退するにつれて消滅してゆく。
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