アインシュタイン=シラードの手紙
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アインシュタイン=シラードの手紙(アインシュタイン=シラードのてがみ、Einstein-Szilard letter)では、1939年、物理学者アインシュタインからフランクリン・ルーズベルト大統領宛に送られ、アメリカの原子爆弾開発のきっかけのひとつとなったことで知られる手紙について述べる。 この手紙に特に定まった呼び名はなくアインシュタインからルーズベルト大統領への手紙(または書簡、信書など)のように説明的に参照されることが多い。 物理学者レオ・シラードの名が付されることがあるのは、この手紙の作成をシラードが依頼したことによる。
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- ^ ただしウィグナーの記憶はこれとは矛盾しており、アインシュタインはすでにこのとき大統領宛に手紙を口述し、自らがその完全で正確なドイツ語を英語に翻訳したとしている。(Wigner pp.200–201)
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- ^ ローズ 上 p. 539
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- 1 アインシュタイン=シラードの手紙とは
- 2 アインシュタイン=シラードの手紙の概要
- 3 ルーズベルトへの2度目の手紙
- 4 評価
- 5 参考文献
- 6 関連項目
アインシュタインの手紙
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「レオ・シラード」の記事における「アインシュタインの手紙」の解説
詳細は「アインシュタイン=シラードの手紙」を参照 この時期、シラードらはアメリカ政府に対してナチスの核開発の危険と研究の支援を訴えたが、こうした亡命科学者の訴えはほとんど反応を引き起こすことができなかった。アメリカ政府への核開発の働きかけとして現在とりわけ有名なルーズベルト大統領に対するアインシュタインの手紙はこうした中で作成されたものであった。 シラードによれば、この大統領への覚え書きが作られた経緯は以下のようであった。当初、ウィグナーとシラードは、ベルギーがコンゴで採掘しているウランがナチス・ドイツの手に渡ることを懸念していた。アインシュタインがベルギーの王太后との交流を持っていることを知っていたシラードは、ウィグナーとともにアインシュタインを通じて王太后への手紙を依頼しようとしていた。しかし、頭越しに外国へ接触することをアメリカ政府が嫌うことを懸念したシラードらは、まずアメリカ政府へのコネのある科学者への接触を試みることになった。 彼らが接触したアレクサンダー・ザックス (Alexander Sachs) は、当時から抜群の知名度があったアインシュタインが手紙を書けば直接大統領へ手渡すことを約束した。やがてこの試みにはエドワード・テラーも加わり、事情を説明されたアインシュタインも協力を快諾した。こうして交渉の相手はアメリカ大統領となり、アインシュタインが元々ベルギー大使館宛に口述していた草案を元にしてシラードが2つの最終案を起草し、1939年8月2日にアインシュタインが選択し署名した手紙がザックスへと渡された。この手紙では、連鎖反応が近い将来実現されるであろうことと、それが強力な爆弾となり得ることを指摘した上で、アメリカ政府の核エネルギーへの関心の喚起と当面の研究資金の支援を訴え、さらに核エネルギーの研究がすでにドイツの政府レベルで行われていることを示唆させる事実を指摘していた。 アインシュタインの手紙が書かれたのはヨーロッパでの開戦のひと月前であったが、大統領に届けられたのは10月になってからであった。その後「ウラン諮問委員会」(Advisory Committee on Uranium) が開かれ、6,000 ドルの研究資金が直接与えられることが決定された。しかし政府の動きは遅く、このわずかな資金を得るためにシラードは再びアインシュタインに手紙を依頼しなければならなかった。結局1940年4月の2度目の委員会の決定を経て資金を得たフェルミとシラードは、すぐさま黒鉛の中性子吸収に関する実験を行い、それが極めて低いものであることを突き止めた。核分裂で放出された二次中性子が制御された連鎖反応を維持するためには、中性子の速度を落とす適当な減速材が必要となる。実験結果は、黒鉛を減速材として用いた天然ウランの自足的連鎖反応が可能であることを示していた。今度はこの結果が公表されることはなかった。
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