ごりょうのすいじんさいとは? わかりやすく解説

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五料の水神祭

名称: 五料の水神祭
ふりがな ごりょうのすいじんさい
種別1: 風俗習慣
保護団体名: 五料
選択年月日 2002.02.14(平成14.02.14)
都道府県(列記): 群馬県
市区町村(列記): 佐波郡玉村町五料
代表都道府県 群馬県
備考 毎年7月最終日曜日
解説文: 五料の水神祭は、利根川烏川からすがわ】が合流する群馬県佐波郡玉村町五料に伝わる行事で、麦わら作った大きな舟を曳いて地区内を練り歩いた後、河原から利根川流して水難除け無病息災祈願する行事である。
 五料は、近世初頭五料河岸【かし】が開設され以来利根川水運河岸として江戸方面との物資交流などで栄えてきた水上交通路の要衝であり、船頭とも呼ばれ明治時代中ごろまでは水運業が盛んであった水神祭は、こうした五料生業担ってきた船頭衆たちが、水上安全の守護神として茨城県稲敷郡桜川村いなしきぐんさくらがわむら】の大杉神社から勧請した伝えられている大杉社の行事として行われている。大杉社は、当初利根川にあったが、その後洪水避けて河川から少し離れた集落内の飯玉神社境内移転され明治四十一年一九〇八)に同社合祀【ごうし】されている。水神祭自体も、船頭衆によって始められたと伝えられ、彼らを主体として伝承されてきたものの、交通手段発達によって水運業衰滅し、また大杉社が合祀されたこともあって、現在は地区全体行事として伝承されている。祭日は、七月二十五日で、その前日麦わら舟を製作してきたが、平成十二年(二〇〇〇)からは七月最終日曜日期日とし、その前週日曜日に舟作り行っている。
 五料では、地区北から一号区-四号区の四つ分けており、水神祭ときには各区から選出される氏子総代二名祭日指揮官四名の計二四名が中心となって祭りの準備運営を行う。その任期は四年である。また、四つの区の中から当番区を一年交替定め当番区が麦わら舟の材料用意するとともに、その区の氏子総代が行全体取り仕切る。舟の製作は、舟作り経験豊富な人に指導役として毎年参加してもらい、各区総代祭日指揮官総出で行う。
 麦わら舟は、竹の骨組麦わら小束を縄で括りつけながら舟型成形したもので、全長約七メートル、幅約一メートルほどの大きさになる。舟の中央には、お仮屋呼ばれ屋根葺いて提灯を吊した屋形を置き、屋形中には鏡餅賽銭箱キュウリカボチャなどの野菜納められる。また、麦わら作られた舵【かじ】や錨【いかり】などが各部取り付けられ水神と書かれた幟【のぼり】も立てられる完成した麦わら舟は、大杉社が合祀されている飯玉神社社殿前に安置され祭り当日までに地区人びと参詣訪れる。
 祭り当日は、夕方から麦わら舟が地区内を巡行する。戦前青年尋常小学校高等科生徒たちが舟を担いで村中回ったが、戦後担ぎ手がしだいに若くなり、現在は小学生中心となっている。そのため、舟を担いで回りをする形態から、舟を台車乗せて曳いて回る形態変わっている。舟を曳いた者には、「水神宮御守」と焼印された水難除け木札お守り配られるかつては利根川泳ぎに行くときに、必ずこの守り札を身につけたという。
 子どもたち一行地区内を一巡すると、五料河岸渡し場跡に近い五料橋下の利根川河原まで舟を曳いて降りていく。そして、河岸お仮屋提灯に火をともしてから、舟首を下流向けて流し出す。舟を流すときは、大人たちが担いでに入る。このように地区内を回ってから麦わら舟を川に流すのは、集落内の災厄を舟に託して遠くへ流し去るためといわれている。流した舟が近くの岸につかえるとそこから崩れて洪水起きると伝えられており、舟はできるだけ下流流れていった方がよいという。
 利根川水運隆盛背景として地域生業大杉神社信仰とが結びついて伝えられてきた地域的特色豊かな水神祭として注目される



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