置賜の登拝習俗用具及び行屋
名称: | 置賜の登拝習俗用具及び行屋 |
ふりがな: | おきたまのとはいしゅうぞくようぐおよびぎょうや |
種別: | 信仰に用いられるもの |
員数: | 830点、3棟、附14点 |
指定年月日: | 1997.12.15(平成9.12.15) |
所有者: | 財団法人農村文化研究所 |
所有者住所: | 山形県米沢市六郷町 |
管理団体名: | 米沢市 |
備考: | |
解説文: | わが国の各地には生育儀礼や成人儀礼の一つとして、厳しい修行を行い山岳登拝を行う習俗がみられる。米沢盆地を中心とする置賜地方一帯では、数え年の一三歳から一五歳の男子が飯豊山【いいでさん】に登拝することで一人前と認められる習俗が大正時代の中ごろまで存在した。年齢は後には二〇歳までとなったが、この間に三回ほどの登拝を行う決まりであった。飯豊山は標高二、一〇五メートル、盆地の西方にあるためにお西山と呼ばれ、作神としての信仰と、オニシマイリ(お西詣り)と呼ばれる成人登拝の山として知られている。 お西詣りは毎年旧盆前の八月十三日までにはすますものとされていた。この習俗は登拝前の行屋籠りとお山登拝の行事とからなり、かつては一か月、その後でも三週間から一週間ほどの期間お籠りをした。この間は、別火精進の生活を続け、酒や肉食を慎み、何度も水垢離【みずごり】をとって身を清めた。なお、お西詣りを終えるとオキタマイリ・オシモマイリ(お北詣り・お下詣り)などと呼ばれる出羽三山登拝の講中に加わることができた。お北詣りも行屋籠りと三年詣りの習俗があり、これは戦後まで続いた。 このコレクションは、お西詣り・お北詣りに用いられた用具と行屋からなる。これらは、故遠藤太郎氏が第二次大戦後まもなくから収集していた資料を、昭和四十二年にがらくた館を設立して公開していたもので、昭和四十年代の後半に在京の大学生たちの協力を得て整理したものにその後の収集品を加えて再整理したものである。現在、がらくた館は昭和五十四年に認可された(財)農村文化研究所付設の置賜民俗資料館と改称され、その活動が続けられている。 資料はお籠り関係用具、登拝関係用具・行屋関係用具・行屋・附登拝関係記録からなる。 お籠り関係用具 この用具はさらに、衣装類、飲食器、炊事・調理用具・差し入れ用具、修行用具に分けられる。行屋でのお籠りは農作業を行いながら続けられる。衣装類には農作業用のシゴトシ・ズボン・キャハンなどのほか、行中であることを示すために身につけるシメが含まれる。シメは麻紐を輪状にして結び目を編んでさまざまな装飾としたものである。飲食器はメシワン・シルワン・サラ・ユノミなどの行屋で使用する個人用の飲食器類で、メシワン・シルワン・サラ・ハシが一人前のセットとなっており、個人名を墨書した布巾で一括りにして保存されている。なお、食事は朝・昼・晩の三回とも、ご飯・汁・おかずの一汁一菜で、米は一回一合と決まっていた。食後はキリミガキといい、食器の中に湯を注ぎ、ノリオトシベラや指などできれいに拭い、糊を落とした湯を一滴もこぼさず飲み干し、さらに盆に受けた湯までも飲み干す決まりで、一回の食事で一升にもなったという。炊事具は鍋が用いられる。ここでも鍋についた糊を落とすノリオトシベラが用いられる。調理具は最低限のものに限られている。差し入れ用具はナベやハチ・マルボンの類である。食事のうちの汁は行人の家から老女が運んでくれることが多く、水を浴びて身を清めた後に作ったものだという。菜の類も同様に差し入れされることがあった。修行関係用具のヒシャクやオケは水垢離用で、ジュズは水を浴びた回数を数えるのに使用した。水垢離は行のなかでも最も大事なもので、お籠り中に八八、〇〇〇回とらねばならぬといわれた。朝昼晩に各三回、食前食後に各三回、そのほか用足しに出る都度水垢離をとったという。カキツケは唱えごとなどを書いたものである。唱えごとを覚えることも大切で、毎朝神棚に灯明を上げるときの唱えごとや、登拝の道筋にある神々を拝むためのものがある。ほかに修行中に行った手習い用の用具が含まれている。 登拝関係用具 この用具はさらに登拝衣装類、登拝用具に分けられている。登拝衣装類は白木綿でつくられる。オカンムリといわれる全長二メートルにも及ぶ布製鉢巻きや首にかけるシメ・ギョウイ・キャハン・アシマキ・ワラジ・カサ・キゴザなどが含まれる。オカンムリは独特の巻き方が難しいものであった。ギョウイは白木綿製で短衣と長衣と股引の組み合わせである。三山登拝のギョウイは行屋に保管しておいて死装束に用いた。カサは菅笠で、飯豊山や湯殿山の墨書がある。登拝用具にはツエ・ズダブクロ・サイセンツヅミ・コウリ・ゼニイレ・イイヅツなどが含まれる。ズダブクロは三角に縫った袋でお洗米などを入れ、サイセンツヅミは網状に編んだ幅広の帯でビッキセン(蛙銭)を包んで身につけた。ビッキセンは西置賜郡中津川の村々を通るときに、行人の代わりに水垢離をとってもらうため子どもたちに配るもので、米と銭を半紙でくるんだものである。コウリの中には着替えのギョウイなどを入れた。 |
信仰に用いられるもの: | 祇園祭山鉾 秩父祭屋台 立山信仰用具 置賜の登拝習俗用具及び行屋 美保神社奉納鳴物 能生白山神社の海上信仰資料 荒川神社奉納模型和船および船絵馬 |
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