『璞屋随筆』
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死後、養子宇井縫蔵が遺稿のうち散文を編集したもの。1936年(昭和11年)謄写印刷により知人に頒布した。田辺市立図書館所蔵。1925年(大正14年)雑賀貞次郎が柳田国男に一部を紹介して『山の人生』に言及され、民俗部分の出版を促されたが、未だ全体の公刊はされていない。 「神武天皇御東征順路考」 - 1899年(明治32年)『大八洲雑誌』連載。 「浪乃藻屑」 - 1890年(明治23年)頃作。 無題「牟婁温泉考」「熊野沿革大意」「万葉集略解―御歌二首について」「蟻の熊野参りといふ事」「熊野九十九王子の事」「置鹿火の説」「さきくさについて祈雨のこと」「流行言葉」「無礼の言葉」「夔頭の亀」「逆鱗といふ事」「死去の名詞」「実名を呼ぶを無礼とする事」 「牟婁郷名勝誌」 「女百人一首」 - 1910年(明治43年)作。 「悲哀百人一首」 - 1910年(明治43年)頃作。 無題 - 1907年(明治40年)頃成立。「天狗の説」「狐の説」「兵生の松若が事」「こへびのふしぎ」「つばめのままはは」「海幽霊」「安珍清姫が事」「清水浜臣が遊京漫録に白髪畑の怪」「白魚飯」「杜氏酒と美味と換」「織さん月代といふ事」「犬の奇事」「かしらんぼう(カシャンボ)の説」「鳥が蛇を取りたる事」「人死したる時最愛の子をとふ事」「蛇の事」「猿の事」「狐に学問したる事」「小出五郎右衛門狸をとらへし話」「大酒大食の話」「強盗早房弥助」「鼬五郎」「長瀬村音五郎」「滑稽の縊死人」「餓鬼に付かるるといふ事」「玉獅子」「山家屋猶次郎が頓智の事」「仙境疱瘡伝播」「玉置縫殿が事」「大地震の事」「与力の事」「彗星の事」「こぼちといふ事」「歌よみて虜にせられたる話」 無題 - 1904年(明治37年)頃作。「花に落花すると萎凋するとの別ある事」「古歌を詠ずる事」「定家郷秋夕歌の事」「六玉川とて世にもてはやす歌」「長歌よみはじめたるゆゑよし」「大弐の三位が歌」「類題和歌編輯論」「南茂樹があつめたる歌会の判詞書をはりて」「四季のはなし」「擬軍歌作歌」「盆石の歌」「塩田久平が製造する煎餅に鉛山の絵図または七境五景などゑがくとて歌をこひければ」「朝ぼらけの説」「先師二十年祭記事」「岡本梅園が還暦の賀の歌の序」「一首十体の口訳」「歌詠みて罪を免るる事」「橋村淳風との贈答」「和歌御会始の事」「はてとはさとの思ひちがひ」「松原久之が釣の歌非難を受けたるにつきて」「歌話片々」「岩代国吉津市次郎がこへる五ノ井喜八翁八十八賀歌巻序」「小野篁被流隠岐国時続和歌ノ説」 無題「水害記事」「戸籍及種族の改称」「宝鐸」「七度半の使」「高山寺多宝塔勧化の事」「慶長六年辛丑正月浅野左衛門佐知行村高写」「千里浜遠干潟となる事」「橋杭岩に埋没御影石事」「馳走といふ事」「杜鵑」「白蔵主の説」「干支の事」「弁慶が書きたる制札」「人の癖」「浦島子」「三品家に伝はりし家康公短冊の事」「閻浮の事」「熊野坐神社祭礼の歌」「賀茂真淵翁新学の説」「万葉集の事」「藤白鈴木氏の事」「越路の旅」 「西塔武蔵坊弁慶事跡考」 「我が家の由緒」 無題「大酒をいましむ」「述懐」「春情有花鳥」「山水の画に題す」「除夜」「避暑」「富田川堤防復旧工事竣成式に」「野分」「新年継母の忌にこもりて」「癖」「筆」「慾ふかき筆売のはなし」「扇」「七草」「多屋梅窓葬場祭詞」「小山安吉還暦の賀に寄山祝はしがき」「湯川暢が病中によめる歌のはしがき」「那須宗道葬場祭詞」「貝桶の説」「尚歯会の記」「擬軍歌今様数篇」「高崎正風氏帰京の後差越されたる歌」「小松内大臣と北条泰時」
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