『双葉原子力地区の開発ビジョン』
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「福島の原子力発電所と地域社会」の記事における「『双葉原子力地区の開発ビジョン』」の解説
財団法人国土計画協会は福島県企画開発部の依頼により『双葉原子力地区の開発ビジョン』を1966年10月より調査開始し、1年余りをかけて報告書を作成した。調査委員会委員長は早稲田大学教授松井達夫、審議会には東京、東北の両電力会社の他農水省などが名を連ね、調査員は建設省、日本原子力研究所、県園芸試験所などから派遣されている。当報告書によると原子力発電所立地地域の開発をどのように行えばよいか、関係機関で協力して行った日本最初の調査であるとされており、佐藤康幸は次のような点を引用している。 双葉地域は数十年先はともかく、その工業立地条件から原子力発電以外の大工場の立地という面からみて多くを望み得ない地域でもあるので、むしろ原子力発電地帯に徹底し、県としては只見水系の揚水型発電の再開発などを含め、電力供給県としての地歩を確立するよう努めてはどうか。そして原子力地域としての開発をこの双葉地域の開発理念とすることも考えられる。将来何か関連産業が考えられないわけでもないが、今日の段階では、この地域の特殊事情も併せ考えて、燃料再処理工場とその関連工業をあげることができよう。(中略)東京電力(株)の原子力発電所の建設を契機として、当地区の様相が一変し、開発が進展することは明白である。しかし、そのことによって、工業開発の直接的な効果を期待することは早計であろう。まず第一に原子力発電所の立地は現時点で孤立的であり、また自己完結的である。このことは、わが国の既存、あるいは建設中の原子力発電所の立地を見ても明白であり、かえって近傍に都市的あるいは工業的集積があることを忌避する傾向にある。 — 国土計画協会『双葉原子力地区の開発ビジョン』 なお、上記に登場する揚水発電構想については『福島県史 第18巻』がより詳しい。同史は『東北地域観光開発の構想計画と開発の指針』(1968年)を参照しながら「将来、原子力発電が発展し、発電コストが下がってくると、同じ発電形態を持つため競合関係にたつ火力発電所は、資源的にも有限のため重きをなさなくなり、かわって、電力運営上から補完関係にある揚水式水力発電所の開発が促進されてくる。このため本県有数の観光地である雄国沼と檜原湖もしくは猪苗代湖を利用した揚水式発電所が計画されてくる。」と説明しながらも、課題として自然景観保護との調和を挙げ「常に本県をして、電力供給県としてのみ機能せざるを得なかったこの歴史的事実の殻を破って、県民のための電力消費が確立するのはいつの日であろうか」と上記開発ビジョンとは異なる視点で結んでいる。 佐藤康幸は1989年に『財界ふくしま』『月刊官界』などに投稿した記事で、内容の一部は色あせているが、20年以上前にまとめられた調査報告書とは思えないほど新鮮と評している。また、1967年12月の楢葉町議会では同町を「10万都市にしてみたいということだったが」という議員の発言があり、これは佐藤によると上記調査の又聞きを誤読したものであるという。調査では各町の機能分担にも触れられ、下記のようになっていた。 浪江町:商業・娯楽機能 双葉町、大熊町:住居・研究所機能 富岡町:行政・文教機能 また、21世紀に向け、東海村とその両脇(北隣の日立市と南隣のひたちなか市)の関係のように、大熊と45km離れた周辺地域(いわきと相馬)に日立製作所のような大規模な工業集積が見られる段階になった場合、原子力産業以外の工業が締め出される懸念まで想定している。また、自家発電制度を改正して原子力の導入を可能とし、アルミ精錬等の電力多消費型産業を誘致することで原子力と他産業を直結した形で発展させる方法についても提言された。 なお、この調査結果自体は、一般公衆に広く公開されることは無かったばかりか、地元町にも知らされず、県と委員会参加組織だけが知っていたという。
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