『受験旬報』期
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1932年(昭和7年)10月号 - 1941年(昭和16年)9月号。 1931年(昭和6年)9月1日に歐文社(現旺文社)を創業した赤尾好夫は、学生のための通信教育・進路指導・学習参考書等の出版事業を開始した。通信教育会員の増加に伴い翌1932年(昭和7年)10月、会員の機関誌として『受験旬報』を創刊。『受験旬報』は通信添削会員向けの通信誌であり、旧制高校、旧制専門学校、大学予科への受験者を読者とし、月3回刊行。 創刊時の通信添削の会員は17名、『受験旬報』は赤尾好夫とその友人の二人だけで作ったという。赤尾は自ら編集長を務め、また「巻頭言」「受験対策」「受験旬報懸賞問題」などのコーナーの執筆を担当。誌面と添削により全力で受験生を激励する赤尾の姿勢は全国の受験生に支持され、『受験旬報』は発行部数を急速に伸ばす。 赤尾は発刊の翌年、龍山中学校の教諭原仙作に英語の参考書を執筆させたが、これが現在でもロングセラーを続ける旺文社『英語標準問題精講』である。原は『受験旬報』の記事執筆者の一人でもある。 中曽根康弘(旧制静岡高校に進学、後の第71 - 73代内閣総理大臣)は通信添削会員の一人であり『受験旬報』の読者であった。
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