「暴力的取り調べ」の有無
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 07:44 UTC 版)
「藤沢市母娘ら5人殺害事件」の記事における「「暴力的取り調べ」の有無」の解説
被告人Fは第一審の第2回および第44回公判(特に第44回公判)にて弁護人の所論と同様に「別件逮捕された直後から取り調べを行った警察官らから『A一家はお前が殺したのだろう。白状しろ』『X・Yもお前が殺しただろう』などと平手打ちなどの暴行を受け、ポリグラフ検査を拒否すると膝蹴りなどの暴行を受けた。特に取り調べ捜査員が増員されてからは『本格的な拷問』を受けるようになり、顔を平手打ちされては『キョウカンゴウメイで訴える』などと言っても無視して顔を叩かれ、壁に頭を打ち付けるなどの暴行を受け、果ては体を抑えられてタオルで首を絞められるなど激しい暴行を受けた。食事に唾液をかけられるなどしてろくに食事も摂れない状況に耐え切れず自白した」などと「暴力的な取り調べを受けた」と主張したが、横浜地裁の第一審判決 (1988) ・東京高裁の控訴審判決 (2000) いずれもは以下のように「被告人Fの供述のみから『暴力的な取り調べがあったことが明らかだと認定する』ことは困難だというべきだ」と事実認定した。 被告人Fが当該公判で主張した「取り調べを担当した警察官の顔ぶれ」には「やや首をかしげざるを得ない誤り」があり「内容的に客観的事実に相違する点がある」ばかりか、仮にそのような行為をされたのならば「勾留裁判官をはじめ直後に取り調べをした検察官・第一審審理の際や鑑定人に対して訴える機会」が数多くあったにも拘らず全くその点を訴えていないことから「一過性の訴えに過ぎない」時点で「まず根本的な疑問を持たざるを得ない」ものである。 またその述べる内容も「具体性に富む」という反面で「強調するためだろうか『同じパターンの訴え』が目に付く」上に「『キョウカンゴウメイ』など意味不明な言葉」「『取り調べ警察官が食事に唾をかけた』などの信じ難い内容」を含むものである。また被告人は第一審の第7,8回公判で「拘置所職員に関してオーバーな訴えをした」事実があり、それを勘案すると被告人Fの主張は信用性が薄い。 被告人Fは少年時代から窃盗など非行を繰り返して警察に検挙され、2度にわたって少年院に収容された前歴があった上、かねてから六法全書を読んだり、元少年院仲間のYから知識を得たり、刑事もののテレビ番組などに関心を持ったりしていたことから「黙秘権があること」「警察官の暴力的な取り調べは許されないこと」を知っていた。そのため「殺人事件に関する追及をかわす目的」で取り調べ中に歌を歌うなど敢えて「挑発的態度に出ていた」可能性がある。 前述のような被告人Fの態度は捜査官にとって「被告人Fに対する反抗の嫌疑を強める」ものとして働き、被告人Fへの厳しい追及につながったことは想像に難くないが、その一方で「被告人Fのようなタイプの被疑者には暴行・脅迫など暴力的な取り調べは有効ではない」ことは捜査員もよく心得ていたことが窺える上に当時は「被告人Fへの取り調べ以外の捜査も相当程度進展していた」状態であり、その中で「自白を無理に、しかも被告人Fが主張するような『警察官が総出で暴行などを加えて無理矢理にでも獲得しなければならない』ような切羽詰まった状況にあったか」は甚だ疑問である。 以上に挙げた点から捜査官が反論したように「アリバイを追及して供述の矛盾を突き、状況証拠を突き付けるなどして厳しく追及したこと」は当然である。また「被告人Fの心情に訴える取り調べ」も行われたと思われるが、結局は「Y事件現場に残された足跡」という「言いぬけしがたい証拠」に加え、「『A一家殺害直後にその犯行を打ち明けるほどの信頼・愛情を抱いていた』母親から『正直に話せ』という言葉を伝え聞いたことから自白するに至った」ということが真相に近いと思われる。だからこそ「6月23日に上申書を作成して以降は素直に取り調べに応じ、6月25日付をはじめとして計8通の調書が作成され、並行して検察官の取り調べに対し本件の検察官調書が作成された」ものと認められる。 なお自白の経緯に関しては「新聞報道とやや齟齬する点」が認められるが、新聞報道自体各紙により違いがある上に「捜査中の事件の微妙な問題のある事柄」に関しては「どの程度まで正確に報道されているか」は疑問である。また自白を始めた翌日に被告人Fは取調室で貧血などにより倒れているようだが、それは「前述のように警察を散々挑発して追及を逃れようとしていたにも拘らず自白に追い込まれたショック」と「それまでの心身の疲労」が出たとみることも可能であり(その後には精神障害をり患している)、上記の判断を左右する事情とはならないものと思料される。 検察官の供述調書などの内容を見るとその内容は「犯人にしか語れない具体性に富み、裏付けも十分で信用性に全く問題がない」ことが認められる上、その中には「自白の動機」「偽らざる心境を述べたもの」などが存在することから「被告人Fの供述・自白が拷問・強制によらないこと」を示す証拠の1つと思われる。 以上を総合勘案すると被告人Fの第一審公判における供述が「正常な精神状態」におけるものだったとしても「暴力的な取り調べなどしていない」と一致して訴える警察官の供述を排斥するには足りず、まして「信用性のある検察化の供述調書など」における「『自白の任意性』には全く問題はない」と判断できる。 また弁護人は「検察官の供述調書などは別件逮捕・勾留を利用した取り調べの結果なされた自白をもとに得られたものであるため、証拠能力はない」と主張したが、第一審・控訴人は「脅迫事件自体が逮捕・勾留を必要とするものである上、その事件に関する調べがなされていることも被告人が1982年6月21日に勾留裁判官に対して質問調書上で述べたことからも明らかだ。そして本件連続殺人事件は原因・動機と関連するものであり、その間になされた自白が基となって供述調書などが作成されたとしても『別件逮捕・勾留を利用して得られた不当なもの』とは言えない」と事実認定した。
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