椿事件 椿事件の概要

椿事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/29 01:53 UTC 版)

日本の放送史上で初めて、放送法違反による放送免許取消し処分が本格的に検討された事件であったとも言われる。選挙前に関連した偏向報道としては、2009年に実施された衆議院選挙に関する一部の民放在京キー局による報道で、特定の政党への投票を誘導する偏向報道が行われたとして、有志の視聴者団体によって該当箇所の検証作業が行われている。

経緯

1993年6月の衆議院解散(嘘つき解散)後、7月18日に第40回衆議院議員総選挙が行われ、与党自由民主党が解散前の議席数を維持したものの過半数を割り、非自民で構成される細川連立政権が誕生。自民党は結党以来初めて野党に転落した。

9月21日、日本民間放送連盟の第6回放送番組調査会の会合が開かれ、その中でテレビ朝日報道局長の椿貞良は、「『ニュースステーション』に圧力をかけ続けてきた自民党守旧派は許せない(山下徳夫厚生大臣が「同番組のスポンサーの商品はボイコットすべきである」と発言した、と椿は主張している[1])」と語り選挙時の局の報道姿勢に関して、

  1. 小沢一郎氏のけじめをことさらに追及する必要はない。今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか」
  2. 日本共産党に意見表明の機会を与えることは、かえってフェアネスではない」

との方針で局内をまとめた、という趣旨の発言を行った。また、会合メンバーの一人はこの際に「梶山静六幹事長、佐藤孝行総務会長のツーショットを報道するだけで視聴者に悪代官の印象を与え自民党のイメージダウンになった」[2](悪代官と腐敗商人のツーショットは、時代劇では定番のシーンであり、政治家に対して持たれているネガティブなステレオタイプの姿である。これを反復することによって、梶山・佐藤のツーショットが本来の全体的文脈から切り離されて、新たな文脈の下に別の社会的意味が生み出されるといえる[3][4])、「羽田外相=誠実、細川首相=ノーブル、武村官房長官=ムーミンパパのキャラクター」(なので視聴者に良い印象を与えられた)という趣旨を発言するのを聞いた、としている(肩書きはいずれも当時)。

総選挙後、細川内閣支持率の高さを見た加藤紘一が「ウッチャンナンチャンならぬ6チャン(TBS)10チャン(テレビ朝日)の影響だな」とコメントし、非自民政権成立に報道機関が大きな力を持っていたことを暗示している。なお加藤のこの発言は 『VOW』にも採用された[5]

10月13日、産経新聞が朝刊一面で椿発言を報道[6]、各界に大きな波紋を広げる。これを受けて、郵政省放送行政局長の江川晃正は緊急記者会見で、放送法に違反する事実があれば電波法第76条[7][8]に基づく無線局運用停止もありうることを示唆、自民党・共産党は徹底追及の姿勢を明確にする。直後に椿貞良は取締役と報道局長を解任されている。10月25日、衆議院が椿を証人喚問。その中で椿は民放連会合での軽率な発言を陳謝したが、社内への報道内容の具体的な指示については一貫して否定。あくまで偏向報道は行っていないとしている[9]

1994年8月29日、テレビ朝日は内部調査の結果を郵政省に報告した。この中でテレビ朝日は、特定の政党を支援する報道を行うための具体的な指示は出ていない旨を改めて強調。この報告を受け郵政省は、テレビ朝日に対する免許取消し等の措置は見送り[10]、「役職員の人事管理等を含む経営管理の面で問題があった」として厳重注意する旨の行政指導を行うにとどめた。9月4日、テレビ朝日は一連の事件を整理した特別番組を放送した。

1998年、郵政省はテレビ朝日への再免許の際に、一連の事件を受けて、政治的公平性に細心の注意を払うよう条件を付した。

事件後の経過

この事件の後、自民党内で放送番組への規制強化の声が高まり、また郵政省でも問題のある放送番組の是正のあり方を議論するために多チャンネル時代における視聴者と放送に関する懇談会が開催された[11]。この最終報告書を受け、NHK日本民間放送連盟は共同で、放送倫理・番組向上機構を設立した。

また、自民党とテレビ朝日の対立はこの事件後も長期的に継続した。第43回衆議院議員総選挙を控えた2003年11月の『ニュースステーション』において、「民主党の菅直人の政権構想を過度に好意的に報道した」として自民党の安倍晋三幹事長が抗議するとともに所属議員のテレビ朝日への出演一斉拒否を決めたり[12]2004年7月の第20回参議院議員通常選挙の際の選挙報道に対しても自民党がテレビ朝日に文書で抗議[13]するなど、政治的公平性をめぐって両者の対立はしばしば再燃している。なお下野直後の自民党議員は、省庁からの説明も極端に減り、暇を持て余していたことを小栗泉が回想している。自民党議員の部屋を訪ねると、テレビへの批判ともぼやきともつかない話を延々と聞かされたとのこと[14]。同様の話は林信吾・葛岡智恭の共著書にもあり、これは自民党議員にとって大きなトラウマになっていると記されている[15]

椿は1982年に業界雑誌において「これまで報道が公平公正だと思ったことは一度もない」「東大安田講堂事件の時は学生たちに共感していた」と発言していたことが友人だった渡邉恒雄により指摘されており、渡邉は椿を偏向報道の確信犯と批判し、「日本のテレビ史に汚点を残した」と評している[16]

原寿雄は、新聞によるこの事件の報道の根底に、急速に社会的ステータスを高めた後輩のテレビに対する新聞界のジェラシーの空気を感じる、その後の奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタンやらせ問題(1993年)や、TBSビデオ問題によるバッシング(1996年)にも、その屈折の情念がにじみ出ているように思うと指摘している[17]

碓井広義はこの事件について以下のように記している[18]

この事件によって、政治家がテレビ朝日を含む放送局の報道内容に対して干渉する口実が生まれたこと、また、放送する側が萎縮し、自主規制しかねない雰囲気を生んでしまったことは、ひとつの痛恨事であった。

放送法によって公正中立の態度を求められる報道機関が、偏向した内容の放送を行い、結果的に世論を誘導する危険性については何の言及もしていない。

本多勝一はこの事件について以下のように述べている[19]

私は、「テレ朝」報道局長(問題の発生時は現役なので「前」を省く)の発言内容を批判しているのではない。もちろん内容に重大な問題があることは事実だが、それは国会喚問とは別の方法による批判をすべきであろう。そんなことのはるか以前に別次元の「問題」がある。それは第一に、こんな私的会合での私的発言を「公的発言にしたこと自体」であり、第二に民放経営者たちが国会証人喚問などという馬鹿げた行為に喜々として応じてしまい、権力側の土足を安々とマスコミ内部に踏み込ませたことだ。

本多も、テレビが公共の電波を使用した許認可制のものであることには触れておらず、椿の発言に対しても「国会喚問とは別の方法による批判」すら行っていない。

谷沢永一はこの事件後しばらくの間、テレビの出演者がひところに比べておとなしくなったのは事実であると自著で記している [20]

のち、2006年4月民主党代表選挙で勝利し、代表に就任した小沢一郎は、就任直後の記者会見で「郵政総選挙のメディアは問題が多かった。私が国家公安委員長だったら、取り締まっていた」と述べている[21]




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  1. ^ 小田桐誠 『検証・テレビ報道の現場』 現代教養文庫 1544(B-130) ISBN 4390115448、79p
  2. ^ 井沢元彦 『虚報の構造 オオカミ少年の系譜 朝日ジャーナリズムに異議あり小学館文庫 [Rい-1-14] ISBN 4094023046、171p。前ページには、10月13日付の産経新聞紙面写真が掲載されている。
  3. ^ 浅川博忠 『戦後政財界三国志』 講談社文庫 [あ-80-8] ISBN 4062748843、190p
  4. ^ 藤竹暁 『ワイドショー政治は日本を救えるか テレビの中の仮想政治劇ベスト新書 41 ISBN 4584120412、158-161p
  5. ^ 宝島編集部 『現代下世話大全 バウ・プラス1 まちのヘンなもの大カタログ』 宝島社 ISBN 4796607625、126p
  6. ^ この報道により産経新聞は1994年度の新聞協会賞を受賞した。
  7. ^ 電波法違反の無線局及び無線従事者に対する行政処分の実施 - 総務省公式ウェブサイト、2015年8月18日閲覧。
  8. ^ 電波法(抜粋) - 放送倫理・番組向上機構公式ウェブサイト、2015年8月18日閲覧。
  9. ^ 川上和久 『情報操作のトリック その歴史と方法講談社現代新書 1201 ISBN 4061492012、108-110p。109pには喚問の席での椿の写真が掲載されている。
  10. ^ この事件はテレビ朝日系列において『アフタヌーンショー』の「やらせリンチ事件」、『素敵にドキュメント』(朝日放送制作)のやらせ発覚に次ぐ大事件となり、テレビ朝日系列局のイメージダウン(テレビ朝日系番組の視聴率低下など)が一層加速することになった。
  11. ^ 郵政省「多チャンネル時代における視聴者と放送に関する懇談会 最終報告書」(1996年12月9日)
  12. ^ 読売新聞2003年11月10日
  13. ^ 東京新聞2004年7月2日朝刊「特報 自民が求める『公平』とは 脅かされる論評の自由」
  14. ^ 小栗泉 『選挙報道 メディアが支持政党を明らかにする日中公新書ラクレ 322 ISBN 978-4121503220、112-113p
  15. ^ 林信吾・葛岡智恭 『日本人の選択 総選挙の戦後史平凡社新書 378 ISBN 978-4582853780、222p
  16. ^ 「反ポピュリズム論」、新潮新書、2012年、P.138-144
  17. ^ 原寿雄 『ジャーナリズムの思想』 岩波新書 新赤版494 ISBN 4004304946、29p
  18. ^ 碓井広義 『テレビの教科書 ビジネス構造から制作現場までPHP新書 252 ISBN 4569627862、68p
  19. ^ 本多勝一 『滅びゆくジャーナリズム』 朝日文庫 [ほ-1-33] ISBN 4022611650、283-284p
  20. ^ 谷沢永一 『大国・日本の「正体」』 講談社文庫 [た-37-3] ISBN 4061856219、48p
  21. ^ 星浩 『安倍政権の日本』 朝日新書 012 ISBN 978-4022731128、124p
  22. ^ 今村守之 『問題発言』 新潮新書 446 ISBN 978-4106104466、148p


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