日本における報道倫理
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報道倫理が日本で初めて明記されたのは、1946年に制定された「新聞倫理綱領」と、その2年後に出された編集権声明である。新聞業界での制定の後、放送業界でも、NHKが1959年に「国内番組基準」、日本民間放送連盟が1970年に「日本民間放送連盟放送基準」を策定した。出版業界でも「出版倫理綱領」(1957年)、「雑誌編集倫理綱領」(1963年)等の業界倫理規範を策定した。また、1990年代以降、取材、報道の指針として自社内の報道マニュアルを策定する報道機関もあった。 新聞業界では、新聞倫理綱領の発表とともに、日本新聞協会内に審査室を設置して、協会加盟社の紙面審査を行ったほか、新聞各社に紙面審査機構が置かれ、放送業界でも番組審査の部署が設置されるようになった。新聞審査機構では、新聞審査の結果を社内に公開してきた。 容疑者報道の改革 1974年に起こった松戸OL殺害事件などの冤罪事件で、犯人視報道された被疑者の名誉が大きく損なわれたことから、日本弁護士連合会が1976年に匿名報道論を主張した。報道機関は1980年代初頭まで、被疑者や被告人を呼び捨てにすることが慣行だったが、パリ人肉事件の容疑者の氏名表記が、報道機関によって、実名、匿名に分かれたことや、免田事件の再審で死刑囚に無罪が認められたことをきっかけに、1984年、産経新聞とフジテレビ、NHKが、犯罪容疑者に肩書きや「容疑者」の呼称をつけることを決めた。これに各新聞社も追随し、同年末までにそろって容疑者呼称に踏み切った。 第三者機関の設置 椿事件やTBSビデオ問題で、放送倫理の問題が問われたことをきっかけに設置された「多チャンネル時代における視聴者と放送に関する懇談会」は1996年、放送関係の苦情を処理する機関を放送メディアが設置するよう求める報告書を提出した。これを受け、翌1997年に放送界共同の苦情対応機関として、学者や弁護士など報道機関外の第三者で組織されたBRO(放送と人権等権利に関する委員会機構、現在のBPO)が発足した。また、2000年に毎日新聞社が「『開かれた新聞』委員会」を設置して以降、新聞業界でも新聞社内に報道被害の救済を行う、独立した第三者委員会が置かれるようになった。
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