日本における士農工商の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 09:50 UTC 版)
「士農工商」の記事における「日本における士農工商の終焉」の解説
明治時代になると、近代国家へ脱皮するためには中世封建制社会の身分制度を破棄することは避けて通れないと考えられ、明治政府により江戸時代の身分制度(士農工商)が廃止され四民平等(しみんびょうどう)の政策が採られることになった。ただし、支配階層には華族・士族の称号が付与され、戸籍に明記された。 「華族」は、堂上家と大名を主として付与され、「士族」は、華族とされなかった武士と大部分の地下家(後に世襲の足軽も編入)に付与された。また、「卒族」は、足軽を主として一時的に付与されたが、極短期間で廃止された。 百姓・町人を始めとする上記以外の諸身分(後に非世襲の足軽も編入)は、一括して「平民」とされた。しかし、ここで注意しなければならないのは「賤民」の扱いである。賤民も平民に組み入れられたが、"四民"からは反発する者が続出し岡山県では旧賤民の平民扱いに反対する一揆も起きた。このため「新平民」という用語が自然発生的に生まれた。 平民以外の特権身分のうち、比較的人口の多い士族は早々に特権を失い、平民とは戸籍表記上の違いしかなくなった。華族は国家から公法上の特別待遇が与えられたが、その所帯数は最終的には1000家程度であった。天皇皇族以外の身分制は日本国憲法の施行によって廃止されたが、天皇皇族は戦後日本の憲法には「日本国憲法 第1章 天皇 第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」と名を留めている。 また、既得権益は恵まれた階層が持っているものとも限らない(既得権益を参照)。
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