日本における変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 21:45 UTC 版)
駅における列車の出発時刻を時系列的にまとめた形式の時刻表は、1872年(明治5年)10月(旧暦9月)、東京の新橋(後の汐留駅)と横浜(後の桜木町駅)間における日本の鉄道開業時から存在しており、当時の錦絵の片隅に描かれている。その当時は時刻を表すのに「時」ではなく「字」を使用していた。明治5年11月9日、太政官布告第337号により明治改暦と時法の改定が発布され、翌明治6年1月1日から時法が定時法となり、「字」は「時」に改めることとなった。運行系統全体における発着時刻を図表に網羅的にまとめた形式の時刻表は、1872年6月(旧暦5月)、品川・横浜間の仮開業のときから存在していたが、1874年(明治7年)5月に鉄道寮が配布したものでは、「時」の表記が用いられている。 日本で最初の月刊時刻表は、1894年(明治27年)10月5日に庚寅新誌社(こういんしんししゃ、創業した1890年が干支の庚寅であった事にちなむ)が刊行した『汽車汽船旅行案内』である。この時刻表は福澤諭吉がイギリスの時刻表を元にして編纂させ、手塚猛昌が発行したものである。その後、この10月5日は「時刻表記念日」となっている。 なお『汽車汽船旅行案内』などといった時刻表は右開きで漢数字による縦書き表示であったが、1925年(大正14年)4月に創刊された『汽車時間表』(現在の『JTB時刻表』)は欧米に倣って現在とほぼ同じ左開き・アラビア数字・記号使用表記を採用した。その他の時刻表は在来の表記法をその後も使用し続けたが、太平洋戦争後は全てこの表記法となった。 1987年(昭和62年)3月号まではJTB(現・JTBパブリッシング)の『時刻表』が国鉄監修として発行されていたが、5月号より弘済出版社(現・交通新聞社)の『時刻表』がJR各社の編集する『JR時刻表』として発行されている。なお、4月号については旧国鉄が編集して弘済出版社に発行を委ねた形となっている(『JNR編集時刻表』)。
※この「日本における変遷」の解説は、「時刻表」の解説の一部です。
「日本における変遷」を含む「時刻表」の記事については、「時刻表」の概要を参照ください。
- 日本における変遷のページへのリンク