富士山
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富士山の文化
学術研究
活火山かつ日本最高峰で、広大な山麓を持つ富士山は、自然科学と人文科学の両面で研究対象となっている。火山防災や地質学、気象学、生態系といった自然科学では山梨県富士山科学研究所(富士吉田市)、人文科学を含む学際的研究では静岡県富士山世界遺産センター(富士宮市)や富士学会といった専門の研究機関・団体もある。
地形の険しさや山頂近くの強風により、野外で実地踏査できるのは富士山の5–10 %程度であり、植生が不明なエリアも多い。上空からの観測・撮影も、ドローンの上昇限界が2750 m程度という制約がある[88]。
美術における富士山
富士山絵画は平安時代に歌枕として詠まれた諸国の名所を描く名所絵の成立とともにはじまり、現存する作例はないものの、記録からこの頃には富士を描いた名所絵屏風の画題として描かれていたと考えられている。現存する最古の富士図は法隆寺献納宝物である(1069年・延久元年)の『聖徳太子絵伝』(東京国立博物館蔵)で、これは甲斐の黒駒伝承に基づき黒駒に乗った聖徳太子が富士を駆け上る姿を描いたもので、富士は中国山水画風の山岳図として描かれている。
鎌倉時代には山頂が三峰に分かれた三峰型富士の描写法が確立し、『伊勢物語絵巻』『曽我物語富士巻狩図』など物語文学の成立とともに舞台となる富士が描かれ、富士信仰の成立に伴い礼拝画としての『富士曼陀羅図』も描かれた。また絵地図などにおいては反弧状で緑色に着色された他の山に対して山頂が白く冠雪した状態で描かれ、特別な存在として認識されていた[注釈 31]。
室町時代の作とされる『絹本著色富士曼荼羅図』(富士山本宮浅間大社所蔵、重要文化財)には三峰型の富士とその富士山に登る人々や、禊ぎの場であった浅間神社や湧玉池が描かれており、当時の様子を思わせるものである。また、伝雪舟作『富士三保清見寺図』(永青文庫所蔵)は、三保の松原と富士山を同一画面に収めた作品であり、静岡市日本平からの眺望とされている[90]。雪舟型の富士山図は江戸時代を通じて写しの手本とされ、狩野派を中心に数多くの作品が派生している。
江戸時代には、1767年(明和4年)に河村岷雪が絵本『百富士』を出版し、富士図の連作というスタイルを提示した。葛飾北斎は、河村岷雪の手法を援用した、富士図の連作版画『冨嶽三十六景』(1831-34年・天保2–5年頃)、及び、絵本『富嶽百景』(全三編。初編1834年・天保5年)を出版した。前者において、舶来顔料を活かした藍摺などの技法を駆使して富士を描き、夏の赤富士を描いた『凱風快晴』や『山下白雨』、荒れ狂う大波と富士を描いた『神奈川沖浪裏』などが知られる。後者は墨単色摺で、旧来の名所にこだわらず、天候描写に拘るなど、抽象性が高まっている[91]。
また、歌川広重も北斎より後の1850年代に『不二三十六景』『冨士三十六景』『富士見百図[92][93]』を出版した。広重は甲斐国をはじめ諸国を旅して実地のスケッチを重ね作品に活かしている。『東海道五十三次』でも、富士山を題材にした絵が多く見られる。北斎、広重らはこれらの連作により、それまで富士見の好スポットと認識されていなかった地点や、甲斐国側からの裏富士を画題として開拓していった。工芸品としては本阿弥光悦が自ら制作した楽焼の茶碗に富士山の風情を見出し、「不二山」と銘打っている[94]。
富士は日本画をはじめ絵画作品や工芸、写真、デザインなどあらゆる美術のモチーフとして扱われている。日本画においては近代に殖産興業などを通じて富士が日本を象徴する意匠として位置づけられ美術をはじめ商業デザインなどに幅広く用いられ、絵画においては伝統を引き継ぎつつ近代的視点で描かれた富士山絵画が制作された。また、鉄道・道路網など交通機関の発達により数多くの文人・画家が避暑地や保養地としての富士山麓に滞在し富士を題材とした作品を製作しているが、富士を描いた風景画などを残している画家として富岡鉄斎、洋画においては和田英作などがいる。
富士山をモチーフとした美術品は当時のヨーロッパでも多く流通しており、このことから富士山もヨーロッパで広く知られていた。1893年(明治26年)、日本を旅行していたオーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公は、日記に次のように書いている。
フジサン、フジノヤマ。いったい、この日本の象徴――ヨーロッパではふつうフジヤマと呼ばれる――を知らない者などいるのだろうか?ヨーロッパでもっとも好まれる日本工芸のデザインとして漆器、陶磁器、和紙、金属などに描かれているから、もう、わたしたちにはお馴染みだ[95]。 — 8月15日付
その後も富士山は大日本帝国により日本国および聖俗両面の統治者である天皇を中心とした日本独自の政治体制である国体の象徴として位置づけられ、富士は国家のシンボルとして様々に描かれた。これは太平洋戦争(第二次世界大戦、大東亜戦争)で日本と戦ったアメリカ合衆国にも共有された概念で、反日感情を煽るアニメやポスターなどの戦意高揚創作でも富士山が取り上げられた。また、軍事目標としての富士山頂への攻撃も行われた(後述)。
戦後には国体のシンボルとしてのイメージから解放された「日本のシンボル」として、日本画家の横山大観や片岡球子らが富士を描いた。また、現代美術の世界ではこれらの伝統的画題へのアンチテーゼとしてパロディや風刺、アイコンとして富士を描く傾向も見られる。
深田久弥は『日本百名山』の中で富士山を「小細工を弄しない大きな単純」と評し、「幼童でも富士の絵は描くが、その真を現わすために画壇の巨匠も手こずっている」という。
日本画全般の題材として「富士見西行」があり、巨大な富士山を豆粒のような人物(僧、西行法師)が見上げるという構図で、水墨画や彫金でも描かれている。
近代では紙幣や切手のデザインにも用いられている。
- 富士山が紙幣のデザインに用いられる例は数多くある。古くは1913年発行の50銭政府紙幣があり、愛鷹山からの富士山である。その後の1951年と1969年発行の旧五百円札は大月市の雁ヶ腹摺山からの富士山を元にしている。1984年発行の旧五千円札と2004年発行の千円札は本栖湖の湖畔からの富士山である[96]。
- 富士山を描写した切手が郵便局から発売された[97]。
- 河口湖、西湖、精進湖、本栖湖、山中湖(1999年(平成11年))
- 葛飾北斎(1999年(平成11年))
- オオマツヨイグサ・山梨県(2005年(平成17年))
文学における富士山
富士山は和歌の歌枕としてよく取り上げられる。また、『万葉集』の中には、富士山を詠んだ歌がいくつも収められている。
「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」 (3.318) は山部赤人による有名な短歌(反歌)である。
また、この反歌のその次には作者不詳の長歌があり、その一節に「…燃ゆる火を 雪もち消ち 降る雪を 火もち消ちつつ…」(巻3・319・大意「(噴火の)燃える火を(山頂に降る)雪で消し、(山頂に)降る雪を(噴火の)火で消しつつ」)とあり、当時の富士山が火山活動を行っていたことがうかがえる。
『新古今和歌集』から。富士の煙が歌われている。
風になびく富士の煙の空にきえてゆくへもしらぬ我が心かな 西行 (#1613)
都人にとって富士は遠く神秘的な山として認識され、古典文学では都良香『富士日記』が富士の様子や伝承を記録している。
『竹取物語』は物語後半で富士が舞台となり、時の天皇がかぐや姫から贈られた不老不死の薬を、つきの岩笠と大勢の士に命じて天に一番近い山の山頂で燃やしたことになっている。それからその山は数多の士に因んでふじ山(富士山)と名付けられたとする命名説話を記している。なお、富士山麓の静岡県富士市比奈地区には、「竹採塚」として言い伝えられている場所が現存している[98]。
ほか、『源氏物語』や『伊勢物語』でも富士に言及される箇所があるものの、主要な舞台となるケースは少ない。富士は甲駿の国境に位置することが正確に認識されており、古代においては駿河国に帰属していたため古典文学においては駿河側の富士が題材となることが多いが、『堤中納言物語』では甲斐側の富士について触れられている。
また、「八面玲瓏」という言葉は富士山から生まれたといわれ、どの方角から見ても整った美しい形を表している[99]。
中世から近世には富士北麓地域に富士参詣者が往来し、江戸期には地域文芸として俳諧が盛んであった。近代には鉄道など交通機関の発達や富士裾野の観光地化の影響を受けて、多くの文人や民俗学者が避暑目的などで富士へ訪れるようになり、新田次郎や草野心平、堀口大學らが富士をテーマにした作品を書き、山岳文学をはじめ多くの紀行文などに描かれた。
富士山麓に滞在した作家は数多くおり、武田泰淳は富士山麓の精神病院を舞台とした小説『富士』を書いており、妻の武田百合子も泰淳の死後に富士山荘での生活の記録を『富士日記』として記している。津島佑子は山梨県嘱託の地質学者であった母方の石原家をモデルに、富士を望みつつ激動の時代を過ごした一族の物語である『火の山―山猿記』を記した。
また、北麓地域出身の文学者として自然主義文学者の中村星湖や戦後の在日朝鮮人文学者の李良枝がおり、それぞれ作品の中で富士を描いており、中村星湖は地域文芸の振興にも務めている。
太宰治が昭和14年(1939年)に執筆した小説『富嶽百景』の一節である「富士には月見草がよく似合ふ」はよく知られ、山梨県富士河口湖町の御坂峠にはその碑文が建っている。直木賞作家である新田次郎は富士山頂測候所に勤務していた経験をもとに、富士山の強力(ごうりき)の生き様を描いた直木賞受賞作『強力伝』や『富士山頂』[注釈 32]をはじめ数々の富士にまつわる作品を執筆している。
高浜虚子は静岡県富士宮市の沼久保駅で降りた際、美しい富士山を見て歌を詠んだ。駅前にはその歌碑が建てられている。
「とある停車場富士の裾野で竹の秋/ぬま久保で降りる子連れ花の姥」
注釈
- ^ 剣が峰の最高地点の標高。なお、二等三角点「富士山」の標高は、3775.51 mである(2014年4月1日標高改算)。
- ^ a b c 二等三角点の標高は3775.51 m。基準点成果等閲覧サービス・富士山(甲府) - 国土地理院(2015年10月24日閲覧)
- ^ 日本の活火山で3000 mを超えるのは、富士山・御嶽山・乗鞍岳の3つである。
- ^ 日本が玉山(新高山)のある台湾を領有していた時期を除く。
- ^ 1936年(昭和11年)2月1日に指定。山の上部がその特別保護地区、周辺が特別地域及び普通地域になっている。また車両の乗り入れ禁止区域が設定されている[3]。
- ^ (例)「田子の浦ゆ うち出でて見れば真白にぞ 不尽の高嶺に雪はふりける」山部赤人 (『万葉集』)。「不二」は「日本最高峰の並ぶものの無い」の意とされる。他に「布士」や「布自」の字を当てている書籍もあった。
- ^ 竹取物語の最後の章では、帝が、家臣にかぐや姫から授けられた不老不死の薬を駿河国にある天に一番近い日本で一番高い山の山頂で燃やすよう命じるという描写があり、結びは「そのよしうけたまはりて、つはものどもあまた具して山へ登りけるよりなん、その山を「ふじの山」とは名づけける。」校訂者脚注「つわもの(士)をたくさんつれて登ったから、士に富む山、即ち富士の山と名付けた、という洒落。同時に不死の薬を燃やしたので「ふし山」の意を込める。」[5][要文献特定詳細情報]。
- ^ フチ=フンチは「火」ではなく「老婆」の意味である[要出典]。
- ^ ただし、地形図上に印刷されている標高値は小数以下1桁で示されている。
- ^ 2等三角点「富士山」の標高は3775.51 mである(注:この数値は2014年4月1日現在)。最高地点はこの三角点から北へ約12 mのところにある岩の頂上であり、その高さは、三角点より0.61 mだけ高い(この0.61 mの数値は1991年の観測)。
- ^ 以下の数値は資料不足値の為未記載「1970(-8),2014(-7.2),2019(-5.7)」
- ^ 以下の数値は資料不足値の為未記載「1970(-5),2006(-3.4),2008(-4),2010(-0.6),2014(-4.3),2019(-2.8)」
- ^ 以下の数値は資料不足値の為未記載「1970(13.9),2006(14.6),2008(16.7),2010(15.3),2014(16.3),2019(16)」
- ^ 以下の数値は資料不足値の為未記載「1970(-27.8),2006(-26.3),2008(-25.6),2010(-27.1),2014(-24.8),2019(-22.2)」
- ^ 以下の数値は資料不足値の為未記載「1970(-11.2),2006(-9.9),2008(-10.4),2010(-6.8),2014(-10.3),2019(-8.8)」
- ^ 以下の数値は資料不足値の為未記載「1970(-33.2),2006(-32.3),2008(-33.2),2010(-30.2),2014(-30.1),2019(-30.4)」
- ^ 以下の数値は資料不足値の為未記載「1970(6.3),2006(6.9),2008(6.7),2010(8.8),2014(6.7),2019(7.4)」
- ^ 以下の数値は資料不足値の為未記載「1970(<0 °C最低277,<0 °C最高205),2006(<0 °C最低277,<0 °C最高205),2008(<0 °C最低277,<0 °C最高207),,2014(<0 °C最低271,<0 °C最高216),2019(<0 °C最低198,<0 °C最高166)」
- ^ 以下の数値は資料不足値の為未記載1970(64),1984(60),1986(60),1990(60),1991(61),1992(60),1995(58),1996(53),1997(58),2000(62),2001(60),2004(56),2007(59),2014(94),2019(63)
- ^ 文書では「不士大宮不士本宮淺間大宮司不士亦八郞」とある。
- ^ 両県は、7~9月の開山期間を通じて四つのルートがすべて閉鎖されるのは、少なくとも静岡県が3登山道の管理を始めた1960年以降、初めてではないかと説明した。18日に静岡県が管理する富士山の3登山道の5合目から頂上までを、開山期間に当たる7月10日~9月10日の期間、閉鎖する方針。登山客の密集で感染が懸念されるため。ルート上の全ての山小屋も休業する。山梨県は「吉田ルート」も同時期に閉鎖すると15日に発表。富士山は夏山閉鎖となる見通し。
- ^ 入山料のような概念。
- ^ 内院は噴火口を指し、この噴火口に散銭する行為(お金を投げ入れる行為)が行われていた。そのお金を得る権利である。
- ^ 現在の静岡県駿東郡小山町。
- ^ 現在の山梨県南都留郡富士河口湖町の河口御師などからなる地域。「川口」と表記される場合もある。
- ^ 文書では富士帯刀(富士信安)とある。他案主・公文など。
- ^ 小田原藩を通して幕府に伝えられ、寺社奉行の松平忠順に訴状が提出された。
- ^ 富士大宮司。文書では富士中務とある。
- ^ 他に薬師堂の開帳や内院散銭はこれまでと同様とするなどが決定された。
- ^ 甲府盆地西部からの眺めとされている。
- ^ 近世の甲斐国絵図類においては甲斐国の姿を山々に抱かれた霊的な場として表現する傾向が見られるが、富士山は八ヶ岳や白根山(北岳)とともに冠雪した白い山として描かれる神格表現で描写され、特に富士山は三峰形や雲上の表現、登山道の省略など特に神格表現が際立っている点が指摘される[89]。
- ^ 1970年に映画化、主演は石原裕次郎。
- ^ 富士宮市柚野(ゆの)地区より。
出典
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- ^ 富士山の湧き水を琵琶湖に ダイダラボッチ伝説にちなみ「お水返し」 産経WEST 2015年5月23日閲覧
- ^ 富士の湧き水、琵琶湖に 近江八幡で静岡の市民ら「お水返し」京都新聞 2015年5月23日閲覧[リンク切れ]
- ^ 日本富士山協会
- ^ “Miscellaneous Symbols and Pictographs” (PDF). ユニコードコンソーシアム. p. 11. 2012年2月4日閲覧。
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