禁軍(きんぐん)
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「彩雲国物語の用語」の記事における「禁軍(きんぐん)」の解説
兵部の管轄。 羽林軍(うりんぐん) 大将軍:白雷炎(右)、黒燿世(左)、藍楸瑛(『骸骨』より、「冬の華」では死去)、皐韓升(右、「冬の華」) 将軍:皇子竜(右)、藍楸瑛(左、『青嵐』にて辞任)、皐韓升(左、遅くとも『紫闇』より、「冬の華」では大将軍に昇格)、茈静蘭(「冬の華」にて茈将軍と呼ばれている。大将軍の可能性もあり。同作では死去) 王の近衛で、左右に二分される。貴族の出の者も多いが、実力主義。宮中警備が仕事だが、場合によっては城下の警備や地方への災害救援にも出される。派遣には王と尚書令の承認が必要。年末は今年も女の子にモテなかったと士気が下がる問題を抱えていたが、恋愛指南争奪戦を経て解消された模様。 十六衛(じゅうろくえい) ピンキリの軍で、上部組織は羽林軍にも引けを取らないが、下部組織はごろつき上がりの者も多く買収され易い。米倉門番は中部組織に属し、入殿できる範囲は制限され、官給品の剣も飾り程度。茈静蘭は定時に帰宅できる(=秀麗の夕飯を食べられる)という理由でこの職を好んでいた。
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禁軍
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「大水滸シリーズの登場人物」の記事における「禁軍」の解説
史実の宋軍(原典の『水滸伝』とも別である歴史的事実との比較)と異なり徴兵制が施行されている。また史実の宋軍では禁軍は「戦闘部隊」という程度の意味であり全国に駐屯していたが、本作では開封府を守備する部隊のみが禁軍と呼ばれ後は地方軍と呼ばれている。史実の宋軍でも廂軍などと呼ばれる地方軍が存在したが、これは実態としては犯罪者の収容兼公共事業の執行のための部隊であり、戦闘能力を持つ軍ではなかった。 同じく史実ではこの時期指揮官に将軍という呼称を用いていなかったが本作の世界では将軍の呼称が使用されている。また兵士の私兵化を防ぐために兵士の任地を一定期間で変更し特定の指揮官と近づけないようにするという制度があったが、本作ではこれは見られず、童貫軍や秦明の青州軍などで私兵化の傾向が見られる。 童貫 (水滸伝)禁軍元帥。宦官であり、性欲代償のためか精強な軍をつくることに情熱を燃やす。小柄で甲高い声、原典同様に宦官ながら髭を生やしている。また、腐れ者と蔑まれる事を嫌い、自らを鍛え、剣の使い手でもある(王進に師事した時期もあった)。原典では小人物だが、本作では宋軍最強の軍を率いる軍人である。強敵と戦いたいとの願望から梁山泊軍が強力になるのを楽しみにしていた。勤皇の志は篤いが国を思う気持ちはさほど強くはなく純粋な職業軍人である。 終盤でついに梁山泊軍と激突。双頭山を攻略し、激闘を繰り広げ、ついに宋江を頭領とした初代梁山泊を壊滅させる。梁山泊軍を破り、歩兵全軍が撤退した後も騎馬隊で、残存の楊令軍と野戦を続ける 最終局面にて楊令と馳せ違い、吹毛剣に兜を切り飛ばされ負傷。それでも動きの裏をかいて楊令の包囲に成功するが、索超の捨て身の介入により取り逃がしてしまう。 (楊令伝)六十を過ぎて退役してもおかしくない年齢となったが、再び梁山泊軍とまみえるため、元帥として変わらず禁軍を掌握する。老いてもなお指揮能力は卓抜しており、麾下二の百騎は梁山泊軍の黒騎兵や赤騎兵に匹敵する。前作の最終決戦で自分に手傷を負わせた楊令との再戦を望んでおり、それが生涯最後の戦いと思い定めている。畢勝や趙安といった部下たちをどこへ出しても恥ずかしくない軍人と評価する一方で、物足りなさを感じていた。だが、従者として拾った岳飛の才能を見抜き、息子のように思いつつも鍛え上げる。 勅命により方臘の乱を鎮圧するため江南へ出兵、数十万の民衆を殺戮した末に勝利する。だが、悪化の一途を辿る政治の腐敗を見て国の行く末に絶望、軍人としての自分の生涯を全うするべく梁山泊軍に決戦を挑む。決戦において梁山泊を叛徒ではなく一つの国家として認識し、純粋無垢な歓喜に包まれながら戦う。 寇亮や劉譲を喪いながらも最終局面で黒騎兵の弱点は楊令の馬が他の馬と力が違いすぎ、楊令が孤立する傾向にあることだと考え、楊令を単騎で孤立させ、麾下二百騎で楊令を押し包むことに成功しかけるも、後方より単騎での史進の突撃を受け失敗。最後は楊令の吹毛剣により首を斬られた。童貫の死に楊令は涙を零し、全軍で敬意を表した。遺骸は岳飛に引き渡され、埋葬される。梁山泊との戦いに勝利していれば退役し、過去の戦いを振り返りつつ隠棲することを考えていた。『岳飛伝』では岳飛が童貫が無様さとは無縁の戦いを全うしたこと、自分のためだけに戦い続けたと分析し、自分が童貫とは違うことを認識している。 史実では北宋の軍人であり、西夏、チベットの軍を大破し禁軍の総帥となる。方臘と戦いこれを殺し、本作では趙安が担当した耶律大石との戦いも担当するが破れた。なお、史実よりも一年早く死去しており、養子もいない。 高俅 (水滸伝)禁軍将軍、儀仗兵を指揮。原典や史実同様に皇帝に取り入り権力を牛耳る悪人。林冲や楊志が梁山泊へ参加する一因を作り出した元凶でもあり、青蓮寺や童貫にとってもある意味目障りな存在となる(最終決戦に際して童貫は高俅に斬ると脅しをかけて行動を牽制したほどである)異常なまでに猜疑心が強く、保身においては驚異的な才覚を発揮するが、それを梁山泊に利用されることもあった。公式サイトの不人気投票では圧倒的な票を集めて第1位となった。 (楊令伝)梁山泊壊滅後も相変わらず帝に媚を売り、宋を衰退へと引きずり込む。前作で両親を惨殺された侯真には仇と憎まれている。燕国が崩壊し、耶律大石が去った燕京攻略に乗り出すも、唯一残っていた蕭珪材に大敗して負傷したため、金国に燕京攻略を依頼するという大失態を犯す。戦傷による病に加えて王黼との権力争いに敗北したため、乞食同然に追放されて惨めなまでに落ちぶれる。それでも権力や欲望へのおぞましいまでの執念を燃やし続けていたが、金軍が開封府に迫る中とうとう行き倒れて餓死、彼を監視していた侯真の目の前で犬猫の死骸と共に汚物として処理された。 趙安(趙安撫) (水滸伝)童貫子飼いの禁軍将軍。童貫から高く評価される禁軍の若き俊英。国家や歴史を自らの力で動かしてみたいという野望を持っている。そのような意識から聞煥章、李富からは同志として扱われ、呼延灼達とも親交がある。特に聞煥章とは馬が合う。 天性のひらめきを持ち野戦が上手い。1年と数ヶ月をかけた二竜山攻撃でそれに加え非常に強い粘り腰も獲得し、そのひらめきと眼力はさらに磨きがかかり極僅かな期間で流花塞の防御を看破し効果的な攻撃を加えた。驚異的とも言えるほどのタフさと強運を持ち、幾度も死地を抜ける。 梁山泊との死闘を戦い抜き二竜山と流花寨を陥落させ、梁山泊の多くのメンバーを討ち取るなど梁山泊に多大な損害を与えた。安撫だった父を持つ故に若い頃は趙安撫と呼ばれからかわれていたこともあった。 (楊令伝)軍人は命令に応じて戦えばそれでいいと考えながらも、腐敗を極める宋を見限り始める。前作で二度も重傷を負ったせいか身体の老いが早く訪れている。そのためか天性のひらめきや柔軟さは失われつつある。若い頃の歴史を動かしたいという野望も失なわれつつあり、水滸伝時代から片鱗を見せていた軍人という職業に対する「古臭い」感性が剥き出しになりつつあり、聞煥章との関係は離れてゆく。 そういった変化にともない、若いころには得手だった野戦が不得手になってゆく。そのような自身の変化にはあまり自覚的ではなく、それを自身の才能の問題であると考えるようになり、堅実で狡猾な戦い方をする。その堅実さ、狡猾さは将軍としては決して高齢ではないにもかかわらず、童貫に老練と評される程である。 原典での趙安撫は梁山泊の遼攻撃の後詰として活躍するが、本作では燕京攻略軍の主将を担当し葉超、劉譲を指揮下に入れ二十一万の大軍で耶律大石達と戦い、激戦の末に耶律披機を討ち取るものの決定的な勝利は得られなかった。畢勝死後は名実ともに禁軍第二位の将軍となる。 童貫後の禁軍元帥と目され、梁山泊戦では北部戦線及び対金戦線を担当。陳翥を指揮し、呼延灼隊・花飛麟隊・史進遊撃隊と戦う。かつての友、呼延灼との戦いに喜びと充実感を得るものの、柔軟性を失なったためか終始劣勢。陳翥を失い、自身の麾下の騎馬隊も分断されたところへ穆凌の攻撃を受け、討ち取られた。その直後に呼延灼も戦死しており、ほぼ相討ちといっていい状況で戦死している。生涯独身を貫き通した。 史実では耶律大石との戦いは方臘戦の後のことであり、童貫が指揮した。『岳飛伝』では岳飛が敗北しながらも生き残っている自分を、幾度も死線を潜り抜けた趙安と重ね合わせている。 宿元景 (水滸伝)禁軍将軍、主に騎馬隊を率いる。趙安や地方軍と共に梁山泊攻略で活躍するが、禁軍が叛徒に敗れることにプライドを傷つけられる。禁軍地方軍二十万一斉侵攻の際に、高俅の出した勅命によりあと一息のところで流花寨攻めを断念。納得いかず突撃し、朱武を討ち取るも、花栄の射た矢に斃れる。原典と異なり、梁山泊と終始敵対した。 楊戩 (水滸伝)禁軍将軍。原典では高俅・蔡京・童貫と共に四大奸臣として描かれ、史実では無理な徴税で梁山泊の叛乱を引き起こした張本人だが、本編ではごく普通の軍人とされており、活躍も少ない。宿元景の死後、軍を鍛えなおしたが童貫の評価は低かった。「楊令伝」での童貫の回想から、「楊令伝」の開始時点までに軍を退役して間もなく病死した事が判明した。 周信 (水滸伝)禁軍将軍。宿元景の後釜として昇格、その戦力を引き継ぐ。若いながらも見所があり、童貫に厳しく鍛え上げられる。主に童貫や趙安の援護を担当。双頭山陥落後は双頭山に駐留。趙安の二竜山攻撃軍の援兵として楊春指揮下の趙安攻撃軍を攻撃するが、楊令発案による急襲を受け、楊令に斬られ敗死する。 許貫忠 (水滸伝)禁軍将校、周信の軍師。かつて見識と才能を童貫に評価されたが、母親の介護のため軍を辞して隠遁していた。梁山泊との決戦準備を行う禁軍に復帰し、周信の補佐を務める。周信の戦死後、捕虜となり梁山泊に捕らえられるが、毅然とした態度から宋江・呉用に敬意をもって接される。「楊令伝」で梁山泊陥落直前に解放された事が判明した。 (楊令伝)金の幕僚。解放後に女真の地で戦う楊令の下につこうとしたが必要とされず、半独立状態だった唐昇の軍師となる。やがて金国に編入され唐昇や蔡福と共に、梁山泊と金のパイプ役を務める。後に金の文官不足により、 阿骨打の命令で唐昇の軍師を離れて民政を担当するようになる。 偏狭な老人を装いつつも政情を分析し続け、河北統治における撻懶の傀儡擁立計画を察知。自分を拾ってくれた阿骨打への恩義から、蔡福らに計画横取りを実行させ金の内部分裂を食い止めた。傀儡国家『斉』の成立後に病死したが、蔡福などは撻懶の報復による殺害だと考えた。 鄷美 (水滸伝)禁軍将校、童貫の副官。元東平府の将校だったが、童貫に見出されて禁軍入りする。双頭山攻めで元部下の董平と戦うことになる。童貫の梁山泊攻撃の先鋒となり、牽制に出てきた梁山泊軍を壊滅させようとするが、扈三娘を守ろうと驚異的な突撃をかけてきた林冲に討ち取られた。 畢勝 (水滸伝)禁軍将校で童貫の副官。同僚の鄷美と共に童貫を補佐する。地方軍を経て童貫の部下となった過去がある。童貫が前線に立つことには何度か懸念を表すが、悉く却下されている。原典にも登場するが、こちらでは官軍となった梁山泊を支援する役回りである。 (楊令伝)禁軍将軍に昇格。童貫に次ぐ第二位の位置に就く。死んだ鄷美が担当していた部分も含めて、引き続き童貫を補佐する。方臘の乱で惰弱な地方軍を鍛え直して活躍するが、呉用の策に嵌り石宝と許定の奇襲を受けて敗死。指揮下の地方軍将校だった張俊の才能を評価し、方臘戦後に彼が童貫に抜擢されるきっかけを遺した。 侯蒙 (水滸伝)禁軍の参謀。童貫の腹心で主に宮中での政治工作を担当、予算獲得などで青蓮寺と駆け引きを行う。 (楊令伝)引き続き童貫を補佐し、遠征する童貫に代わり開封府の監視役を務める。童貫戦死後も宮廷に出仕していたが、彼の死が原因で精神が破綻する。 馬万里 (水滸伝)童貫の幕僚。上級将校を統轄する。関勝に一騎討ちを挑み、討ち取られるも関勝に致命傷を負わせる。 韓天麟 (水滸伝)童貫の幕僚。上級将校を統轄する。地方軍から抜擢された。梁山泊軍の連環馬による攻撃で戦死。 王義 (水滸伝)童貫の幕僚。上級将校を統轄する。歩兵の指揮に長け、緩急のある攻撃をしかける。最終決戦では別動隊を率いる。半ば童貫に見捨てられる形で梁山泊軍本隊の総攻撃を受け敗死。 段鵬挙 (水滸伝)童貫の幕僚。上級将校を統轄する。禁軍生え抜きで他の幕僚より年配。王義戦死後の宋江の首を懸けた戦いで史進の突撃を受けた童貫を身を挺して守り戦死。 陳翥 (水滸伝)童貫の幕僚。上級将校を統轄する。韓天麟と同じく地方軍から抜擢された。梁山泊軍本隊が梁山泊に撤退した後は歩兵全軍と水軍を指揮し、梁山泊上陸作戦の指揮を執り梁山泊を壊滅させ、宋江に介錯をした直後の楊令に降伏勧告をするも拒絶される。 (楊令伝)禁軍将軍に昇格。童貫の指揮下で方臘の乱に従軍、李明・劉光世らと共に殲滅戦を実行した。梁山泊戦では趙安の下で北部戦線の呼延灼・史進と戦う。緒戦で楊令軍の攻撃で損害を受けたためか、焦りを見せ、幾度か失敗をする。騎馬隊同士の戦闘中、史進の突撃を受け戦死。 李明 (水滸伝)童貫の幕僚。上級将校を統轄する。騎馬隊の指揮が得意。韓天麟の戦死後、後任として上級将校から昇格。若いためか少し気負いすぎる面がある。史進に対して正面から挑むなど勇猛果敢でもある。 (楊令伝)畢勝・陳翥と同様、禁軍将軍に昇格。方臘の乱では通常の指揮以外に、度人の殺戮に狂った味方の兵を斬る役目も担当し、心に大きな傷を負った。趙安死後には禁軍第二位の将軍となり趙安、陳翥の軍を引き継いで、梁山泊北部戦線および対金戦線の指揮を執る。童貫戦死後は禁軍第一位の将軍となり、金軍との戦いを優勢に進める。しかし梁山泊水軍の奇襲を受け、狄成に首級を奪われ戦死。 なお鄷美、畢勝、馬万里、韓天麟、王義、段鵬挙、陳翥、李明は原典でも童貫の幕僚であり、原典ではやられ役であるが本作は童貫のキャラクター変更に共ない各々が梁山泊の将帥に勝るとも劣らない優秀な軍人であるという設定に変更されている。 公順 (水滸伝)趙安の副官。最終決戦時に、趙安により下級将校から抜擢される。年若いが、よく趙安を支える。流花寨陥落後は童貫軍本隊に参加。 (楊令伝)引き続き趙安の副官を務め、彼の意を汲み取った動きができる。趙安の危機に際しては自らが楯になろうとするなど、趙安を命を懸けて支える。戦死した葉超の後釜として一軍の指揮官に異動。南北での戦の後の再編で趙安の副官に戻る。副官歴が長いため、軍内では陳翥、李明に次ぎ、劉譲には並ぶ将軍としての扱いを受けている。梁山泊戦でも趙安の指揮下で戦い、野戦時には騎馬隊を指揮。趙安戦死後の乱戦の中で討死。 何信 (水滸伝)趙安軍の騎馬隊隊長。梁山泊に勝つために自らの命も顧みず奮戦する趙安の身を案じ、何度か趙安の危機を救う。二竜山陥落寸前に、解珍の籠に乗って滑り降りてくるという奇襲を受け討たれる。 梅展 (水滸伝)宋の水軍部隊の将軍。梁山泊水軍と戦う。 (楊令伝)水軍の総司令官を務めていたが、宋を見限った行動をとる。靖康の変では流花寨跡に拠った旧知の韓世忠と連携して金軍の兵糧を奪う。引退を決意し、韓世忠に水軍の知識を叩き込んだうえで彼に水軍を託すことを選ぶ。高齢だが少年じみた面もあり、韓世忠には好かれていた。韓家軍では巴蜀の戦線や物流を担当する。 (岳飛伝)直接登場はせず、韓世忠の回想で病死したことが明らかになる。死後になって韓世忠は梅展に対して実父にも感じたことが無かった父親への愛着があったことに気づく。 王丘 (水滸伝)宋の水軍部隊の将軍。梅展と共に梁山泊水軍と戦う。 (楊令伝)引き続き水軍の将軍を務めるが、国庫の破綻により軍を維持できなくなる。そのため、商人と結託して水軍を運搬業に使うなど宋軍から離れた行動をとる。 葉春 (水滸伝)宋水軍の造船担当。優秀な船大工で、優れた中型船を建造し、さらに高俅の肝煎りで超大型船海鰍船を建造する。これは巨大であるだけでなく、多重船体構造をとっているため容易には沈まない船で、梁山泊水軍を大いに苦しめることになる。 (楊令伝)梅展の部下を務め、同僚の段貞と共に彼から水軍を受け継ぐ韓世忠の部下となる。前作同様に図面作りなどの設計関係が得意。 (岳飛伝)病に倒れ、半身の麻痺と言葉が思うように喋れなくなったため退役し、故郷の無為軍へ戻る。漁船の造船業を手掛けており、生活は裕福。水軍の立て直しを図る韓世忠の訪問を受け、弟子の陳武を紹介する。男勝りだが甘やかされて育った姪の梁紅玉には手を焼いている。
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禁軍
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「大水滸シリーズの登場人物」の記事における「禁軍」の解説
宗沢 (楊令伝)禁軍元帥。南京応天府の留守だったが、金侵攻による宋崩壊後、李富の画策により康王趙構を迎え宋を再建。新生宋軍の元帥となる。趙構が南に逃げた後も南京応天府に残留。系譜図の偽造を見抜き、趙昚が偽者であることに気づいていた。楚が崩壊した後の開封府に入り、義勇軍を募るが病に倒れ、抗金を叫びつつも死去した。史実でも義勇軍を組織して金軍と戦っている。 劉光世 (楊令伝)禁軍元帥。元は地方軍の将校。任地で用心棒をしていた岳飛と出会い、理解者として便宜を図っていた。各地を巡検していた童貫に認められ禁軍将軍となる。方臘の乱後、戦死した畢勝に代わって童貫の副官を務める。趙安戦死後は李明が抜けた暦亭戦線に張俊と共に入るが大敗。殿を務めるも扈三娘に重傷を負わされて戦線を離脱する。童貫・李明らの戦死後は開封府の防衛を担当。北宋崩壊後は宗沢らの宋再興に劉家軍を率いて軍閥として参加。青蓮寺の計画に基づき、兀朮を相手に帝を守り逃げまわりつつ時間を稼ぐという困難な作戦を完遂し、南宋建国に貢献する。転戦を経て用兵の腕は兀朮を圧倒する程にまで成長している。 作中でタイミングは明記されないが、劉家軍を基礎に南宋禁軍を纏めあげ、その元帥に就任した。岳飛、張俊ら軍閥を軍制に組み込み国家防衛の体制を整えるが、梁山泊戦では敗戦・苦戦を重ねる。そのことで心理的に追い詰められつつあり、酒量も増えている。岳飛などはそういった状態の劉光世を心配し、気付かっている。宰相の秦檜との中は表面上は友好的であると述懐している。 戦術、戦略の能力は確かであり、梁山泊は劉光世と岳飛を南宋軍の柱石であると見做している。指揮は地味であり、特に防衛戦を得意とする。また、南宋建国時の流転経験から帝の信頼は厚い。 史実では南宋の軍閥の首領。禁軍の総帥たる立場に就任したことはない。史実上の劉光世は軽薄な人格であったとされ、金軍を相手にした戦でも敗戦を重ねている。名前を借りているだけで、史実上の劉光世と本作の劉光世はほぼ別人であるが、酒に浸っている点などに類似点が見られる。父親の劉延慶も宋の軍人であり、本作にも登場する耶律大石とも戦い一時は追い詰めた軍人だが、本作では登場しない。 (岳飛伝)徐々に秦檜に軍権を削られ、飾り物の総帥に祭り上げられている。肥満に加えて酒毒にも犯されており、本作オリジナルの要素が強かった前作とはうってかわって史実に似た立場に追い遣られている。軍人としての牙を抜かれたことは自他ともに認めているが、軍閥の立場に拘る岳飛への忠告や秦檜から意見を諮問されるなど、往年の才覚が完全に失われたわけではなかった。 南宋水軍による沙門島陥落の報復として実施された梁山泊軍の臨安府奇襲において防衛のために出撃。史進と一騎討ちを行い、討ち取られる。史進は劉光世の最期を男の死として敬意を抱いた。 陸碩 (楊令伝)禁軍の上級将校。若いが劉光世の副官を務める。 徐覇 (楊令伝)禁軍将軍。騎馬隊の総指揮官を務める。劉光世の命を受け、岳家軍と梁山泊軍の決戦では于楷と共に援軍として岳飛の指揮下に入る。金軍と梁山泊軍の交戦中に仕掛けようとしたため、岳飛に叱責された。岳飛の許しを得て指揮下に戻り、呼延凌と拮抗する戦いぶりを見せた。于楷の戦死後はその戦力を編入し、最後まで生き残る。 于楷 (楊令伝)禁軍将軍。徐覇よりも年下。岳家軍と梁山泊軍の決戦では徐覇と共に援軍として岳飛の指揮下に入る。徐覇と二人で金軍と交戦中の梁山泊軍の背後を衝こうとしたため、岳飛に叱責される。指揮下に戻り梁山泊軍と戦うが、終盤の乱戦で戦死する。 馬平 (楊令伝)禁軍将軍。徐覇・于楷と同じく劉光世の部下。
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禁軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/11 23:00 UTC 版)
「AKABOSHI -異聞水滸伝-」の記事における「禁軍」の解説
王進(おうしん) 八十万禁軍武術師範。中華で最強の男と呼ばれる。皇帝のため最強の軍を作り上げる事を自らの使命としており、将校から賄賂を受け取らず訓練の手を緩めないため、将校達からは嫌われており、また国の政治のやり方に異を唱えたことから、"三本の絲"等上層部からも忌み嫌われている。しかし王進本人は、みなしごであった林冲の手前もあり、絶対的な忠誠を国に誓っている。無駄な殺生は避ける主義。 何度となく刺客に狙われており王進の行くところには不幸が舞い込むとまで言われているが、本人はいたって気にしていない。戴宗に替天行道に入るようスカウトされるも拒絶。その後関勝に逮捕されそうになる。本人は国を裏切れないため大人しく連行されるつもりだったが、戴宗の邪魔と林冲の熱意に心を動かされ、時遷の案内で母と共に都を去る。現在は史家村の史進の家に匿われている。 関勝(かんしょう)/大刀(だいとう) 八十万禁軍将軍。三国時代の豪傑関羽嫡流の子孫を自称し、見事な顎鬚をたくわえた長身の男。国のする事に黙って従うのが武人のあるべき姿という、王進とは逆の考え方を持つ。青龍偃月刀を武器とし、上空から一気に突きを繰り出す戦法を得意とする。また、自分の血を額に塗ることで関帝憑依(トランスモード)になり、普段の倍以上の実力を発揮できる。高俅の命を受け、王進を「謀反」という名目上捕えに来た。戴宗と林冲の連携の前に敗れる。月光刃(げっこうじん) 三日月型の軌道を描き前方の広範囲を攻撃する。関帝憑依状態の時は真・月光刃となる。
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禁軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 01:31 UTC 版)
王直属の軍であり、王以外の者が統帥権を持ち命令を下す事はない。また、その国で一番の強兵が集まった精鋭部隊であり、その軍の指揮官である将軍も優秀な人物であることが多い。旗の色は紫。
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禁軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 04:03 UTC 版)
秦前漢初前漢(武帝)後漢魏晋隋唐宋元明清民国主な職務衛尉 北衛尉/南衛尉 金吾衛(羽林騎/虎賁騎) 八校尉 武衛営(虎豹騎) 宿衛軍(殿中軍/牙門軍) 十二衛(十六衛) 北衙十軍/南衙十六衛 侍衛親軍(殿前司) 怯薛軍 守備京師十二営/上直二十六衛親軍 御前侍衛/兵衛(九門提督) 禁衛軍/京師憲兵 京師の守備と保衛、暴乱の取締り。
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