北宋とは? わかりやすく解説

ほく‐そう【北宋】

読み方:ほくそう

⇒宋[三]


北宋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/20 05:09 UTC 版)

北宋(ほくそう、拼音:Běisòng、960年 - 1127年)は、中国王朝趙匡胤五代最後の後周から禅譲を受けて建てた。国号はであるが、開封を追われて南遷した後の南宋と区別して北宋と呼び分けている。北宋期の首都は開封であった。


注釈

  1. ^ 独裁皇帝ではない。この違いに留意。
  2. ^ 北周の禁軍は殿前軍と侍衛親軍の2つがあり、殿前軍の長官が都点検で副長官が都指揮使。侍衛親軍は都指揮使が長官。
  3. ^ 山西省万栄県の北方
  4. ^ 冊封#冊封体制の崩壊と再生も参照。
  5. ^ 河北省雄県
  6. ^ 河北省覇州市
  7. ^ 寧夏回族自治区固原市原州区
  8. ^ 陝西省志丹県
  9. ^ 河北省濮陽県
  10. ^ 寧夏回族自治区呉忠市
  11. ^ 南流する黄河の西側

出典

  1. ^ 宮崎1935
  2. ^ 『靖康稗史箋證・卷3』
  3. ^ a b この節は宮崎1963・『中国歴代職官事典』を参照。
  4. ^ この節は宮崎1953・『中国歴代職官事典』を参照。
  5. ^ この節は宮崎1946・1963を参照。
  6. ^ 衣川強『宋代官僚社会史研究』(汲古書院、2006年)P453-464
  7. ^ この節は宮崎1930・1945を参照。
  8. ^ 山川『中国史3』、P136
  9. ^ この節は宮崎1954を参照。
  10. ^ この節は曾我部1937を参照。
  11. ^ この節は佐伯1987・金2000を参照。
  12. ^ a b c 周藤(2004)
  13. ^ この節は木宮1955・森1948a・1948b・1948c・1950を参照


「北宋」の続きの解説一覧

北宋

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大水滸シリーズの登場人物」の記事における「北宋」の解説

前作梁山泊壊滅させたものの、花石綱はじめとする帝の奢侈朝廷権力闘争により国家衰退はさらに加速賊徒横行南北での戦乱重なり末期的な状況迎えている。裏で政治司るはずの青蓮寺は宋を見限っており、童貫率い禁軍唯一の支えとなっている。

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北宋

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宋 (王朝)」の記事における「北宋」の解説

後周の殿前都点検近衛軍長官であった趙匡胤後周最後の皇帝から禅譲受けて建国した。趙匡胤中国分裂状態終止目指すが、志半ば急死。弟の趙匡義太宗趙光義)が跡を襲って中国統一果たし科挙制度充実図った科挙制度太宗の子真宗の代で完成したといわれる1004年北方の遼が南下したが、真宗は遼に対して毎年財貨を贈ることで和睦した澶淵の盟)。また遼の侵攻同時に西の西夏が宋に反旗を翻していたが、こちらも1044年財貨を贈ることで和睦した慶暦の和約)。 しかし大商人大地主囲い込み水利山沢の利の破壊脱税対す改革求められ六代皇帝神宗王安石登用して国政改革にあたらせた。この動き王安石の新法などと呼ばれ農民や坑戸・畦戸などの保護大商人大地主抑制目的とした施策であったが、新法富裕階層士大夫)とその出身である官僚旧法派)の激し妨害を受ける。 その頃満州から南下して来た女真族1115年に金を建国していたが、宋は金と共同で遼を攻撃する協定海上の盟)を結び、1121年に遼を滅ぼしたその後、金を牽制するため遼の残党との協力画策して金の怒り招き1127年金の攻撃受けて開封陥落した皇帝欽宗太上皇徽宗以下多数皇族北方拉致された(靖康の変)。たまたま開封離れていた欽宗の弟趙構は、南遷して杭州皇帝即位宣言した。これ以降南宋呼ばれる

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北宋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 16:24 UTC 版)

中国の書道史」の記事における「北宋」の解説

北宋(960年 - 1127年) 宋が天下統一する当たって、まず、唐の制度ならって新し国家建設進められた。しかし、晩唐人が法に縛られ無気力におちた反動として、前代形式美破ろうとする動き盛んになった。宋人思索情感により大胆に個性表現し自由奔放な様式書風生んだ。そして、行草体に妙を競うようになり、碑刻も行体移行したことがこの時代特色である。また、古名跡の保護としてか、『淳化閣帖』が刻されたのもこの時である。平和で豊かな時代であった反面軍事的に無力で、北方異民族契丹建てた遼に侵入されるようになり、第9代皇帝欽宗のときに遼に代わって北方支配していた金に滅ぼされた。

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北宋

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東京 (各国)」の記事における「北宋」の解説

北宋は、東京開封府西京河南府南京応天府北京大名府4つの都を置く四京制を敷いた東京開封府現在の河南省開封市である。現在でも雅称として開封「東京」と呼ぶことがある

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北宋

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杭州」の記事における「北宋」の解説

北宋が成立する杭州両浙路の路治が設置され1107年大観元年)には杭州府昇格した当時20万戸数え江南地区最大の都市となっていた。1089年元祐4年)には蘇軾杭州知州任じられ西湖浚渫事業水利事業行っている。 杭州府管轄県下記の9県 銭塘県(府治所在地仁和県 塩官県 臨安県 富陽県 余杭県 於潜県 新城県 昌化県

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北宋

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北伐」の記事における「北宋」の解説

雍熙年間北伐中国語版)(986年)、雍熙年間に北宋の太宗による燕雲十六州奪還のための、遼(契丹)に対す軍事行動。 宋の真宗北伐中国語版)(1004年)、北宋の真宗寇準建議に応じて親征した、遼(契丹)に対す軍事行動。「澶淵の盟」を参照 宣和年間北伐中国語版)(1122年1123年)、宣和年間に北宋の徽宗により実施された遼(契丹)に対す軍事行動

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