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契丹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/19 03:48 UTC 版)

契丹(きったん、キタン、キタイ、英語: Khitan/Khitaiピンイン: Qìdān)は、4世紀から14世紀にかけて、満州から中央アジアの地域に存在した半農半牧の民族。10世紀初頭に現在の中国の北部に帝国を建国し、国号をと号した。しかし12世紀に入り次第に勢力を強める女真と結び南下し、挟撃された遼は1125年に滅ぼされた。契丹人の多くは女真に取り込まれ、一部は中央アジアに逃れて西遼(カラ・キタイ)を建てた。

5世紀頃の東夷諸国と契丹の位置。
6世紀頃の東夷諸国と契丹の位置。
7世紀後半の東夷諸国と唐の羈縻(きび)支配
8世紀9世紀の東夷諸国。

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  1. ^ 契丹の動静が描かれた現存する最古の文献として『魏書』があるが、さらに早く書かれた記録を遼寧省義県城の西北にある万仏堂岩窟中の、北魏「景明三年五月九日造」の銘のある刻文に見ることができる。記録の内容そのものは『魏書』が古い年代に遡る。
  2. ^ 遼太祖の弟、耶律羽之の墓には、奇首可汗の子である檀石槐已来、代々君長である「其先宗分估首,派出石槐,歴代漢魏隋唐已来,世為君長」の一文がある
  3. ^ (達稽部-峭落州,紇使部-弹汗州,独活部-無逢州,芬向部-羽陵州,突便部-日連州、芮奚部-徒河州、墜斤部-万丹州,伏部-匹黎・赤山の両州)
  4. ^ 『魏書』列伝第八十八、『北史』列伝第八十二
  5. ^ 『魏書』契丹伝及び『遼史』は『魏書』顕祖紀,勿吉伝と記述が異なり、匹潔黎部を匹潔部と黎部の2つの部と錯誤、また羽真候部を契丹古八部から漏らしたとされる
  6. ^ 新唐書には紇便部とあるが、音的に後の乙室活部に対応すると思われるので、誤字とされる
  7. ^ 但し、現代のロシア語では契丹のことは普通Киданиと呼び、中国と混同することはない。
  8. ^ これらの名称は本来、シルクロードで結ばれた陸にある中国という概念を指した。マルコ・ポーロで有名な「カタイ」がこれと同じである。一方、China系の名称は海から行く中国という概念を指した。ヨーロッパでは長い間中国はひとつなのかふたつなのかという論争があり、これら二系統の名称は、どちらも同じ国のことを指しているのだということが明らかになる明~清初期まで西欧で用いられた。西欧ではその後China系に淘汰されていったが、逆にロシアやモンゴルといった「海の中国」と関わりの薄い地域では「陸の中国」であるCathay系の名称が現代に至るまで使われている(ロシア語にはChinaに相当する単語は存在しない)。


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