西夏とは? わかりやすく解説

西夏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/31 16:33 UTC 版)

西夏(せいか、西夏文字 [*phiow¹-bjij²-lhjij-lhjij²]1038年 - 1227年)は、タングートの首長李元昊が現在の中国西北部(寧夏回族自治区)に建国した王朝。国号はだが、中国最古の王朝などと区別するため、通例「西」の字を付して呼ぶ。首都は興慶(現在の銀川)。モンゴル帝国チンギス・カンによって滅ぼされた。




「西夏」の続きの解説一覧

西夏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 23:41 UTC 版)

大水滸シリーズの登場人物」の記事における「西夏」の解説

宋や遼に隣接する国家東西交易における重要な地域のため、梁山泊韓成外交官として派遣し国交結ぼうとする。表面上は穏やかに見えるが、朝廷内部では権力争い繰り広げられている。史実では李乾順手腕発揮して宋・遼の衰退乗じて国土を拡げ、経済的に発展をとげた時期にあたる。 李乾順楊令伝)西夏の皇帝暗君ではないが二人皇子に同じ名前を付けて政情混乱させるなど不可解な行動をとる。政治口を挟むことをしなかったが李仁考や李桂参死後政治関与し梁山泊正式な国家認めて交易許可下す。だが利益国庫ではなく皇室の財に加えることで私腹を肥やしている。史実では金と手を組んで遼を滅亡させた。 李仁孝楊令伝)西夏の若き皇太子。かつて遼に赴いたことがあり、蕭珪材とも交流がある。西域への交易路開拓求めてやって来た韓成会見する側近奎道と共に交易の利を国庫入れるべきとして政治積極的に関与していたが毒殺される李仁孝楊令伝)西夏の皇子。同じ名前なので紛らわしいが、上記李仁孝とは別人腹違い兄弟にあたるが、同じ名前であるがゆえに後宮跡目争い火種となっている。なお、史実李仁孝生まれ同年で兄の仁考が作中死亡したため、彼が後の西夏皇帝仁宗となる。 李憲光楊令伝)西夏の丞相梁山泊国使してやって来た韓成会見し李仁考と引き合わせる梁山泊のことを以前から調査しており、ある程度のことは把握している。梁山泊との交易で西夏に利益もたらそうとする。李仁孝奎道政治関与してくることを内心では快く思っていなかった。 李桂参楊令伝李乾順の兄だが病弱だったため帝位逃した西涼府を拠点非主流派を集めて政治影響を及ぼす李憲光らの勢力拡大恐れて梁山泊交易妨害しようとしたが、韓成らに皇太子暗殺計画証拠握られたため交易許可下す李仁孝毒殺後、公孫勝・載宗らの手秘密裏暗殺される奎道楊令伝李仁考の側近李憲光後を継ぐ将来丞相として期待されていたが、李仁毒殺責任を取る形で処断される。

※この「西夏」の解説は、「大水滸シリーズの登場人物」の解説の一部です。
「西夏」を含む「大水滸シリーズの登場人物」の記事については、「大水滸シリーズの登場人物」の概要を参照ください。


西夏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/13 15:29 UTC 版)

東京 (各国)」の記事における「西夏」の解説

西夏は、東京興慶府を都とし、西京西平府陪都とした。東京興慶府は現在の寧夏回族自治区銀川市である。

※この「西夏」の解説は、「東京 (各国)」の解説の一部です。
「西夏」を含む「東京 (各国)」の記事については、「東京 (各国)」の概要を参照ください。


西夏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 15:21 UTC 版)

北宋」の記事における「西夏」の解説

タングート族は唐代より甘粛方面居住しており、その勢力中心となったのがオルドス地方南部夏州勢力を張る平夏部であった。その首長である拓跋思恭は唐を援助した功績国姓授かっていた。宋政府は平夏の懐柔努めて西平王の地位与え概ね友好関係にあり、北漢討伐の際には平夏よりも兵が出ていた。 平夏部の支配地は農業生産乏しいが、その代わりに塩を産出するのでこれを輸出してそれと引き換え食料・絹などを手に入れていた。これは青白塩と呼ばれており、質が高く値も安いことから買い手には喜ばれた。しかし宋国内で塩の専売制確立する宋政府は青白塩を禁止し、自らの官塩を強制的に民衆買わせるようになったタングート側は青白塩を認めるように何度も宋政府へ要求するが、これを認められ次第反抗的になってくる。 北漢滅亡後980年継捧が地位を継ぐが、この継承には部内よりの反対多く、その地位は不安定であった。これに不安を感じた継捧は自らの支配地を宋に献納し開封にて暮らしたい申し出てきた。太宗はこれを大い喜び継捧に対して莫大な財貨与えて歓待した。しかし一族内の李継遷がこれに反対し、部内纏め上げてに対して反抗烽火上げた李継遷は遼に援助求めて夏国王の地位貰いオルドス席巻し、1002年霊州陥落させて西平府改名して、ここに遷都した。 1003年李継遷戦死して李徳明跡を継ぐ翌年には宋と遼とが澶淵の盟により和睦し単独では宋に当たり難いので1005年和議を結び、宋より西平王の地位授けられ毎年1万・絹1万銅銭2の歳賜を受けることになった李徳明は遼からも同じ西平王の地位授かっており、両属の形をとっていた。宋と和平した李徳明は西のウイグル攻める。 1031年李徳明死去してその子李元昊跡を継ぐ李元昊はかつて父の李徳明より「我らが錦や絹を着ることが出来るのは宋の恩である」と宋に背かないように諭されたときに「毛皮着て牧畜従事するのが我らの便とするところです。英雄の生は王覇の業にあります。錦や絹がどうしたというのですか」と豪語したという大器雄略人物である。その言葉通りウイグル攻撃して河西地域全て支配下入れ1038年李元昊皇帝名乗り国号大夏とし、宋からの独立宣言した。これ以後は西夏とする。 宋は李元昊官爵全て剥奪し、西夏との交易全て禁止して交戦状態に入った国初以来文治政策により宋の軍隊弱体化しており、宋軍は西夏軍に何度と無く敗れる。しかし宋との交易途絶した西夏も経済的に苦しむようになり、両国ともに和平を望むようになり、以下のような条件1044年和議結ばれた慶暦和議)。 西夏は皇帝号止めて宋に臣として仕える。 宋から西夏に絹13・銀5万2の歳賜が送られるその他に夏国主の誕生日などに下賜され合計で絹153000・銀720003万となる。 しかし西夏側の最大要求である塩の販売に関しては宋は要請はねつけており、和議なったとはいえ西夏方面その後も不安定であったこの後五回に渡って対立和議繰り返されることになる。王安石時代1072年には吐蕃討ち、ここに新たに熙河路を置いて西夏への牽制(けんせい)とした。しかし旧法党政権を握るとこれは放棄され新法党盛り返すと再び設置されといった具体新法・旧法の争い外交にも影響及ぼした。 宋夏関係は不安定なままに推移し結局宋が南へ逃れたことで関係が途絶し、西夏は金に服属するようになった

※この「西夏」の解説は、「北宋」の解説の一部です。
「西夏」を含む「北宋」の記事については、「北宋」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「西夏」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

「西夏」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。



西夏と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「西夏」の関連用語

西夏のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



西夏のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
中経出版中経出版
Copyright (C) 2024 Chukei Publishing Company. All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの西夏 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの大水滸シリーズの登場人物 (改訂履歴)、東京 (各国) (改訂履歴)、北宋 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2024 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2024 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS