五代十国時代とは? わかりやすく解説

五代十国時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/10 17:06 UTC 版)

五代十国時代(ごだいじっこくじだい、907年 - 960年)は、中国の滅亡から北宋の成立までの間に、黄河流域を中心とした華北中原を統治した5つの王朝(五代)と、華中、華南と華北の一部を支配した諸地方政権(十国)とが興亡した時代である。北宋が完全に中国を統一した979年が五代十国時代の終わりとされている場合もある。朱全忠哀帝より禅譲を受け後梁を建国することで唐は滅んだが、それを地方の軍閥(節度使)達は認めず各地で自立し、中国は多数の国が乱立する分裂の時代へと突入した。


注釈

  1. ^ もともとのは、「匡義」であったが、兄が皇帝になったので避諱して「光義」とした。

出典

  1. ^ a b c 山崎覚士「五代政治史研究の成果と課題」(『中国五代国家論』(思文閣出版、2010年)序章)
  2. ^ a b c 山崎覚士「五代の〈中国〉と平王」(初出:宋代史研究会研究報告第九集『「宋代中国」の相対化』(汲古書院、2009年/所収:山崎『中国五代国家論』(思文閣出版、2010年))
  3. ^ 池田信夫與那覇潤『「日本史」の終わり』PHP研究所〈PHP文庫〉、2015年3月4日、113頁。ISBN 4569762506 


「五代十国時代」の続きの解説一覧

五代十国時代

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中国蝗災史」の記事における「五代十国時代」の解説

907年後梁で「許陳汝蔡潁の五州でバッタ発生したが、大群がこれを皆食べた」という蝗害起こっている。 928年六月後唐で「バッタが天を覆い昼から暗くなった」という蝗害起こっている(『十国春秋呉越懿王世家)。 949年後漢宋州で「一夕而死、差官祭之」という害が起こっている。安徽大学中国語版)の周懐宇は2000年、これを人間生態系影響与えたためと説明している。

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五代十国時代

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中国の歴代王朝一覧」の記事における「五代十国時代」の解説

詳細は「五代十国時代」を参照 五代王朝存在国都初代君主最後君主滅亡原因後梁907〜923、16年開封 朱全忠 朱友貞 後唐成立 後唐923〜93613年洛陽 李存勗 李従珂 後晋建国契丹(後の遼)軍の侵入 後晋937〜9469年開封 石敬瑭 石重貴 契丹軍の侵入 後漢946〜950、4年開封 劉知遠 劉承祐 後周成立 後9519609年開封 郭威 柴宗訓 北宋成立趙匡胤への禅譲十国王朝存在国都初代君主最後君主滅亡原因前蜀90792518年成都 王建 王衍 後唐による侵攻 後蜀934〜965、31年成都 孟知祥 孟昶 宋による併合902〜937、35年江都楊行密 楊溥 李昪南唐)に禅譲 南唐937〜975、38年江寧府南昌府江寧府 李昪 李煜 宋の侵攻 荊南90796356年江陵 高季興 高継沖 宋の侵攻 呉越907〜978、71年間 銭銭鏐 銭弘俶 宋に領地献上90994536年長楽王審知 王延政 南唐侵攻 90795144年長沙 馬殷 馬希崇 南唐侵攻 南漢909〜971、62年間 興王府 劉龑 劉鋹 宋による併合 北漢951〜979、28年太原府 劉崇 劉継元 宋による併合90792417年鳳翔 李茂貞 李茂貞 後唐領地献上 桀燕 911〜913、2年幽州 劉守光 劉守光 晋の侵攻 十国背面灰色にして示した

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五代十国時代

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宋州 (河南省)」の記事における「五代十国時代」の解説

909年開平3年)、後梁により宋州に宣武軍節度置かれた。923年同光元年)、後唐により宣武軍節度は帰徳軍節度改称された。

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五代十国時代

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恵州」の記事における「五代十国時代」の解説

917年乾亨元年)、南漢により循州帰善県禎州置かれた。

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五代十国時代

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冀州」の記事における「五代十国時代」の解説

五代十国時代の各王王朝では唐制が沿襲され冀州河北道管轄とされた。五代において冀州契丹との国境地帯であったため数多く戦乱巻き込まれている。

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五代十国時代

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元号一覧 (中国)」の記事における「五代十国時代」の解説

五代十国時代は以下の通り

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五代十国時代

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「奚」の記事における「五代十国時代」の解説

唐末、陰涼川住んでいた奚族は、また阿薈部・啜禾部・粤質部・奴皆部・墨訖支部の5部に分かれた。後に琵琶川に移り住む時に契丹耶律阿保機強盛となると室韋・奚・霫はこれに服属した。奚人は常に契丹の守界上となったが、その苛虐苦しんだ。そこで奚王の去諸は契丹に叛き、別部率いて西の嬀州遷り北山に依って狩猟生活を始めた。やがてその一族は千帳にもなり、東西分かれたまた、去諸の一族農業もできるので、辺境荒地耕して農作物植え秋に収穫をした。 去諸が死ぬと、子の掃剌が立った後唐荘宗劉守光を破ると、掃剌に姓と紹威という名を賜った李紹威は契丹の娘で舎利逐不の姉を娶って妻としたため、後に逐不が叛亡して西奚に亡命した時はかくまってやった。 李紹威が亡くなると、子の拽剌が立つ。同光923年 - 926年以後李紹父子数回遣使を送って朝貢した。 契丹耶律徳光後晋を滅ぼすと、拽剌は契丹服属した。

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五代十国時代

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中国の貨幣制度史」の記事における「五代十国時代」の解説

唐ののちに諸国割拠した五代十国時代には、唐の開元通宝全国規模流通続けており、さらに華北銅貨流通圏と江南鉄貨・鉛貨の流通圏に大きく分かれた銅貨公的な支払い手段民間交換のいずれでも使えたが、銅貨流通量不足していたため、各国政府認めない鉄貨や鉛貨が民間普及し銅貨との間に比価定められるようになった。この時代には以下のような貨幣使われた。 銅貨華北五代王朝多くは唐の開元通宝引き継ぎ開元通宝流通量90パーセント以上を占めた華北五代王朝では後梁以外が年号銭の銅貨発行し、すべて小平銭と呼ばれる形態であった十国では前蜀が6種類年号銭を発行した改元ごとに銅貨発行する政策は、のちに宋で一般的となる。後周のように高麗から銅貨用の材料輸入する国もあった。 鉄貨・鉛貨:東南海岸部呉越・閩・蜀(前蜀後蜀)や発行された。ほかに鉛錫貨・鍮貨もある。 銀貨広東西では唐の時代から金貨銀貨使われており、南漢銀貨流通した推測されている。 銅貨発行量が少な後唐後晋では、鉛錫貨・鑞貨・鉛貨の流通多く政府はたびたびこれらを禁止した南漢では鉛貨は都市商人の間で流通し農村には銅貨含めて金属貨幣流通少なかった後周では廃仏行い仏像梵鐘などに使われていた政府買い上げ銅貨材料とした。後蜀銅貨400文と鉄貨600文を混ぜて一貫として数えており、これは国内銅貨流出からの鉛貨の流入防止する目的があったとされる

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五代十国時代

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杭州」の記事における「五代十国時代」の解説

五代十国時代には呉越成立し杭州はその国都とされ西府西都)と称された。 呉越国での西府管轄県下記の通り 銭塘県(府治所在地銭江県 塩官県 安国県 富陽県 余杭県 於潜県 新登県 呉昌県 桐廬県 武康県

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五代十国時代

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和州 (安徽省)」の記事における「五代十国時代」の解説

920年武義2年)、呉は和州徳勝軍の管轄とし、南唐もこれによった958年顕徳5年)、後周淮南地区支配するうになる徳勝軍は保信軍と改称され和州もこれに移管された。

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五代十国時代

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済州 (山東省)」の記事における「五代十国時代」の解説

952年広順2年)、後周により鄆州鉅野県に済州置かれた。

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五代十国時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 05:51 UTC 版)

中国の軍事史」の記事における「五代十国時代」の解説

この時代には、唐からの禅譲流れで繋がる五代藩鎮系の十国互いに争った

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五代十国時代

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幽州」の記事における「五代十国時代」の解説

938年天福3年)、後晋高祖石敬瑭幽州を含む燕雲十六州契丹(後の遼)に割譲した契丹幽州副都とし燕京改称幽州行政区画名消滅した

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五代十国時代

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恒州 (河北省)」の記事における「五代十国時代」の解説

923年同光元年4月後唐により鎮州北都建てられ鎮州真定府改められた。同年11月真定府鎮州の称にもどされた。942年天福7年)、後晋により鎮州恒州改称された。947年天福12年)、後漢により恒州鎮州の称にもどされた。948年乾祐元年)、鎮州真定府改められた。951年広順元年)、後周により真定府鎮州の称にもどされた。

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