張俊
張俊
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「大水滸シリーズの登場人物」の記事における「張俊」の解説
(楊令伝)張家軍の首領。方臘の乱では畢勝の指揮下で戦い、その才能を高く評価された。乱後、畢勝の遺した評価に基づき禁軍将軍へ抜擢される。梁山泊戦に参加し劉光世と共に暦亭戦線で戦うが、旧方臘軍を率いる韓成を相手に方臘戦でのトラウマが再発。工兵隊・水軍との連携にも追い詰められて大敗、羌肆の支援を受け脱出する。童貫戦死後は北京大名府を拠点に張家軍を興し、一国を背負う将軍になるという野心を抱く。独自に暗躍する扈成とは互いに利用しあう関係にあり、彼を介して斉へ合流、斉禁軍の総帥となる。だが情勢の変化により、抗金を叫んで南宋に鞍替えする。
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張 俊
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紹興24年7月2日(1154年8月12日))は、中国北宋末期・南宋初期の武将。字は伯英。秦州三陽寨(現在の甘粛省天水市麦積区)の出身。本貫は秦州成紀県(現在の甘粛省天水市秦安県)。
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