アクダ【阿骨打】
阿骨打
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 04:59 UTC 版)
阿骨打(アクダ)は、金の初代皇帝(在位:1115年1月28日(1月1日) - 1123年9月19日(8月28日))である。女真(ジュシェン)族の完顔部(ワンヤン部)の族長であった。日本では、女真名である阿骨打(アクダ)に部族名の完顔を冠した「完顔阿骨打」という名でよく知られている。
注釈
- ^ ムクンとは女真語で「族」「郷里」の意味であり、そのリーダーもムクン(族長、里長)と称し、ミンガンは「千」の意味で、そのリーダーもミンガン(千戸長)と称した[6][8]。軍事組織としてこれをみれば、武器・食糧をみずから携帯した100人の兵がムクン軍として300家族から徴兵され、さらにその10倍の組織から千人隊が組織される[8]。これが同時に新しい行政組織となった[2][8][6]。ここに編入されたジュシェン人たちは、戦闘のないときには、狩猟や牧畜、農耕といった日常的な生業を営んでいた[8]。これは、徴兵の面でも地域支配の上でも効率的な仕組みであった[8]。金が成立すると、各地のジュシェン人たちが金に帰属したが、アクダはその首長を、勢力の大小にしたがい、ミンガンやムクンに任命した[6]。
- ^ ジュシェンの富強の源泉となった物資は、砂金以外では鉄が考えられる[6]。阿城区の南東約30キロメートル地点に金代とみられる製鉄遺跡が確認され、発掘調査も1960年代になされている[6]。ロシア極東の沿海州からも金代の製鉄遺跡が見つかっており、そこでは精錬や鍛造の技術をともなっており、工程に応じた地域間分業がある程度成立していたことも判明している[6]。
- ^ 当初馬政が使者として送られたこの交渉で暗躍したのが、宦官の童貫であった[10]。童貫は、徽宗の文人趣味に取り入って帝に重用され、軍事権を専断し[10]、方臘の乱鎮圧の任にもあたった[11]。なお、『水滸伝』で有名な宋江は、童貫にしたがって方臘征討軍に加わり、いくらかの功績をなしたといわれている[11]。
- ^ 耶律淳は、漢人官僚の李処温らに推されて皇帝位についた(北遼)[13]。太祖耶律阿保機の八世の孫と称する耶律大石は、支配下にあった部族を率いて西走し、陰山の天祚帝のもとへ向かったが、天祚帝とも意見があわず、さらに西に向かい、中央アジアの東西トルキスタンに帝国を建国した[14]。これが西遼(カラ・キタイ)であり、東カラハン朝の首都のベラサグンを占領して国都とした[14]。
- ^ この際に大規模な集団強姦が発生したともいわれている。
- ^ 「女真小字」の方は、1138年(天眷元年)に第3代皇帝の熙宗ホラが制定し、1145年(皇統5年)に公布したというが、具体的な文字の詳細は、大字についても小字についても『金史』には記述されていない[15]。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『アクダ』 - コトバンク
- ^ a b c d e f g h i 『金(中国の王朝)』 - コトバンク
- ^ a b c d e f g h i j 梅村(2008)pp.415-418
- ^ a b c d e f g h 佐伯(1975)pp.254-256
- ^ a b c d e 河内(1989)pp.228-230
- ^ a b c d e f g h i j 河内(1989)pp.230-232
- ^ 佐伯(1975)pp.251-253
- ^ a b c d e f g 梅村(2008)pp.420-423
- ^ a b c d e f g h i j k 梅村(2008)pp.418-420
- ^ a b 佐伯(1975)pp.261-262
- ^ a b 佐伯(1975)pp.263-264
- ^ a b c 佐伯(1975)pp.256-257
- ^ a b c d 佐伯(1975)pp.257-259
- ^ a b 佐伯(1975)pp.277-279
- ^ a b 梅村(2008)pp.465-469
- ^ 内藤(2015)pp.186-187
- ^ 阿南・ヴァージニア・史代 (2010年8月). “遼・金王朝 千年の時をこえて 第18回”. 人民中国. オリジナルの2016年8月17日時点におけるアーカイブ。
阿骨打(アクダ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 23:41 UTC 版)
「大水滸シリーズの登場人物」の記事における「阿骨打(アクダ)」の解説
(水滸伝)女真族の若き長。女真族でも特に支配が厳しい生女真に属する。自分たちを抑圧する遼の打倒を考えており、武装蜂起のために力を蓄える。物語後半の蔡福・蔡慶らによる武器調達がきっかけで梁山泊と、そして終盤で楊令と係わりを持つことになる。梁山泊の支援を受けて遼に反旗を翻し、金を樹立した。武松たちと意気投合するほど快活で豪胆だが、ときには理不尽に耐える忍耐強さも併せ持つ。なお、史実より若く描かれており、また登場時の女真族での立場も史実より相当に低い。
※この「阿骨打(アクダ)」の解説は、「大水滸シリーズの登場人物」の解説の一部です。
「阿骨打(アクダ)」を含む「大水滸シリーズの登場人物」の記事については、「大水滸シリーズの登場人物」の概要を参照ください。
阿骨打と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 阿骨打のページへのリンク