順治帝とは? わかりやすく解説

じゅんち‐てい【順治帝】

読み方:じゅんちてい

[1638〜1661]中国清朝第3皇帝在位1643〜1661。名は福臨。廟号(びょうごう)は世祖太宗の第9子。燕京北京)に遷都、明の残存勢力鎮定し全土統一努め清朝中国支配基礎固めた

順治帝の画像

順治帝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/01 04:30 UTC 版)

順治帝(じゅんちてい)は、の第3代皇帝フリン満州語: ᡶᡠᠯᡳᠨ[3] 福臨 日本語読み:ふくりん[4])、廟号世祖。在世時の元号順治を取って順治帝と呼ばれる。


  1. ^ "daicing gurun i šizu eldembuhe hûwangdi i enduringge tacihiyan (大清世祖章皇帝聖訓)"1739
  2. ^ 『清世祖実録』巻144, 順治十八年正月丁巳条による。
  3. ^ 「天命」の意
  4. ^ 清朝皇帝 初代ヌルハチからラストエンペラーまで全12人を紹介”. アジアンドラマの史実 (2020年5月22日). 2022年8月12日閲覧。
  5. ^ 『清太祖ヌルハチと清太宗ホンタイジ』194P
  6. ^ 『清太祖ヌルハチと清太宗ホンタイジ』195P
  7. ^ 『清太祖ヌルハチと清太宗ホンタイジ』197P
  8. ^ 『清太祖ヌルハチと清太宗ホンタイジ』199P
  9. ^ 『清太祖ヌルハチと清太宗ホンタイジ』201P
  10. ^ 『清太祖ヌルハチと清太宗ホンタイジ』204P
  11. ^ a b c 『清太祖ヌルハチと清太宗ホンタイジ』203P
  12. ^ nionio、長子のみ満洲語名。眼珠児(目に入れても痛くない子)を意味する。


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順治帝(じゅんちてい)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/28 14:18 UTC 版)

鹿鼎記」の記事における「順治帝(じゅんちてい)」の解説

康熙帝父親1661年死亡したことにし、行痴と名を変えた上で五台山において出家している。

※この「順治帝(じゅんちてい)」の解説は、「鹿鼎記」の解説の一部です。
「順治帝(じゅんちてい)」を含む「鹿鼎記」の記事については、「鹿鼎記」の概要を参照ください。

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