双頭山
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「大水滸シリーズの登場人物」の記事における「双頭山」の解説
梁山泊の北に位置する拠点。春風山・秋風山の二山とその間に建てられた本営で構成され、本営が陥落しても二山に篭城することで長期戦が可能。北京大名府への牽制や闇塩の道の防衛などの役割を担っている。 朱仝(美髯公) 総隊長。1073年生まれ。身長 - 205cm、体重 - 110kg。 (水滸伝)元鄆城の騎兵将校で、更に以前は禁軍に所属していた。雷横の仲介で宋江と知り合う。宋江が閻婆惜殺しの嫌疑を受けた時、実際に閻婆惜を殺した宋清とともに北へ逃亡する。雷横と北の拠点として、春風山(しゅんぷうざん)・秋風山(しゅうふうざん)の二山を統合した双頭山(そうとうざん)を築く。2mを超える長身で、梁山泊でも群を抜く偉丈夫。 三国志の関羽に憧れて長い顎鬚をたくわえていたが、雷横の死後短く刈り込んだ。規律を重んじるため、型破りな李逵やスタンドプレーの多い鄧飛とは犬猿の仲で、特に李逵とは互いに武器を向け合うことすらあった(『楊令伝』で鮑旭が、朱仝と李逵の争いが起きた際は間に入り止めるようにと宋江に言われたことを回想している)。 董万の奇襲を受け双頭山が崩壊した際には春風山を守り、致命傷を負いながらも超人的な戦いを続けて援軍到着まで持ちこたえ、林冲・秦明に別れを告げて戦場に散った。 『楊令伝』においても朱仝の死は伝説的なエピソードとして伝えられている。鮑旭は朱仝の様に戦って死ぬことに憧憬を抱き、張俊に双頭山を包囲された際に岑諒を守るため獅子奮迅の戦いを繰り広げ、壮絶な最期を遂げた。 雷横(挿翅虎) 総隊長。1073年生まれ。身長 - 170cm、体重 - 75kg。 (水滸伝)元鄆城の歩兵将校。顎鬚を短く刈り込み、酒に強い。親分肌で部下に慕われる。当初から宋江の同士だった数少ない人物。宋江が人殺しの嫌疑で追われたあと自分も軍を脱走し、先に逃げていた朱仝・宋清と滄州で合流。自分たちが建設した双頭山の総隊長を務める。性格の違いからか朱仝とは違い、鄧飛のことは持て余しつつも嫌ってはいなかった。 大原府付近の山中で宋江が官軍に包囲された際、獅子奮迅の働きをして宋江を救い、力尽きる。その際、雷横を討った部隊は彼に敬意を表した。また、直前まで行動を共にした陶宗旺は雷横の最期を見届け、強烈な思い出として目に焼き付けた。 『楊令伝』においてもその死に様は若手の将校たちの語り草となっている。童貫戦で花飛麟たちから雷横の最期を聞かれた際、陶宗旺は無言で涙を流した。 董平(双槍将) 総隊長。1080年生まれ。身長 - 180cm、体重 - 80kg。 (水滸伝)元東平府の将校。童貫が視察に訪れた際に上官の鄷美が禁軍へ登用され、自身は選ばれなかった過去がある。横恋慕してきた高官の娘を振ったために投獄されたが、魯達の計略により脱獄し梁山泊に加わる。入山と同時に本隊総隊長を務め、朱仝の戦死後に双頭山へ異動する。 綽名が示すように両手に短槍を持ち、馬上で自在に振り回して戦う。主に野戦を得意としており、徐寧が考案した長槍隊を運用する。童貫軍の攻撃に際して野戦で迎撃、かつての上官だった鄷美と寡兵で互角の戦いを繰り広げるも、最後は童貫の直接攻撃を受け、童貫自身の手で討ち取られる。 『楊令伝』で東平府が斉の都となり、武松と羅辰が偵察に赴いた際に武松が董平の脱獄劇を語った。また、粘りと切れ味の両方を持つ指揮官だったが、童貫戦では切れ味がおかしな形で出たために死んだとも回想している。 李忠(打虎将) 副官。1068年生まれ。身長 - 170cm、体重 - 65kg。 (水滸伝)元桃花山の賊徒。武術の腕が中途半端で職にも就けず、腐敗した世の中に不満を抱えながらも自らの弱さを理由に怯えていた。入山後は人間的に成長し、副官として兵たちのまとめ役となる。本隊を経て祝家荘戦後に双頭山へ異動。呼延灼戦で重傷を負い、双頭山に戻ってくると守備隊長に任じられる。 後に戦傷で片足を失うが、朱仝には副官として信頼され続けた。董万の奇襲時には秋風山に篭り、董万の姦計に苦慮しながらも奮戦して戦死。原典と同じく史進に棒術を教えているが、史進との絡みは一切ない。 『楊令伝』では南宋との決戦を前にして副官の役目を不安に思う党厳に、李忠の元部下だった鄧広が董万戦での奮戦ぶりを語っている。 鮑旭(喪門神) 将校。1079年生まれ。身長 - 170cm、体重 - 65kg。 (水滸伝)元盗人。幼くして役人により両親を失い、盗みや殺人などを繰り返す追い剥ぎとなって生き延びる。そのため、倫理や道徳が欠落したまま成長し野獣のように荒んでいた。行きずりの魯智深を襲って返り討ちにあったのがきっかけで王進に預けられる。王進の下で人間として生まれ変わり、完全に更生した後に梁山泊へ入山。 天稟の能力は持たないが、修行と実戦で培った経験で安定した働きを見せる名将へと成長していく。双頭山では劣勢に陥っても粘り強く戦い、陥落後は本隊に編入され、歩兵を率いて最終決戦に臨んだ。北方版で最もキャラクターが変更された人物の代表格である。 (楊令伝)呼延灼の下で将校を務めた後に新兵の調練を担当し、梁山泊再興後は一軍を率いる。前作同様に堅実で冷静な指揮を執るが、母と慕った王母の死を知ったときは一人号泣した。童貫戦後の再編で一万二千の軍を指揮するが、病に侵され退役を決意する。 退役が迫り留守役として双頭山の警備に当たっていたが、張俊の奇襲を受ける。負傷した岑諒を助けるべく一人で敵軍と対峙、朱仝を髣髴とさせる超人的な活躍で岑諒を助け、最期は全身に矢を受けて散る。その死に様は敵将の張俊に強い感銘を与えた。なお宣賛の調べでは、鮑旭軍は梁山泊軍で最も部下の損害が少なかった。 孫立(病尉遅) 将校。1074年生まれ。身長 - 180cm、体重 - 85kg。 (水滸伝)元登州軍の将校。本作では、解珍の甥で解宝の従弟という設定。原典同様に祝家荘戦で梁山泊に加わるが、その経緯は変更されている。解珍・解宝と内部攪乱を担当し、欒廷玉を討ち取った。原典では鉄鞭の遣い手だが、本作では専ら剣か槍を遣い、鞭は予備の武器としている。 登州軍以外にも彼の名は知れ渡っており、彼の姿を見とめた敵軍が後退していったこともある。義弟にあたる楽和の歌を進んで聴こうとはしないが、悪くは思っていないようである。顔色が黄色い以外に特徴は無く、堅実な指揮官だが楽和の姉である妻・楽大娘子に心底惚れ込んでおり、頭が上がらない。 梁山泊を裏切った妻を自らの手で斬った後は、野戦での死を望むようになり、鄷美との野戦で戦死した。 『楊令伝』で、呉用は孫立に楽大娘子の殺害を命じたことと殺害後の彼の変化を思い出している。また、今なら孫立に気づかれないよう致死軍に命じたとも振り返っている。 楽和(鉄叫子) 将校。1078年生まれ。身長 - 170cm、体重 - 60kg。 (水滸伝)孫立の義弟。両親を喪ってからは姉の楽大娘子が母親代わりだった。武術もこなす美男子だがトラブルに巻き込まれたため、孫立達と共に祝家荘と交戦中の梁山泊に参加する。祝家荘戦の最終局面では、歌で攻撃の合図を知らせた。 本隊を経て双頭山に配属。天性の唄声を持ち、唄で兵たちの心を癒す。禁軍地方軍二十万の攻撃時に宋清が集めてきた兵糧を守って戦死。死の間際に、馬麟の笛と合わせて絶唱した。 『楊令伝』では童貫戦の最中に張清、馬麟たちの死を受けて史進が楽和を話題にしている。将校としての力量はごく標準で、特に強いという訳でもなかったが唄だけでも楽和のことを認めていたと、楊令に語った。作者との対談企画『やつら』第3回の相手として登場、唄が戦場には必要ないと考えたが、今は唄があってよかったと語っている。 宋清(鉄扇子) 兵站担当。1070年生まれ。身長 -165 cm、体重 - 60kg。 (水滸伝)元宋家村の保正で、宋江の弟。柴進の部下・鄧礼華と愛し合うが、誤解と行き違いから死別する。その後は朱仝・雷横と共に双頭山の旗揚げに参加、兵站を担当する。鄧礼華の代わりに戦っているので、宋清自身は志を持たない。 宋江の弟として特別扱いされることを嫌い、またある意味で発端というべき兄へ愛憎入り混じった感情を抱く。穏やかで慎重な性格だが、それが逆に出ると、宋江にも手に負えないところがある。禁軍地方軍二十万の攻撃時に野戦を続ける董平軍のために、必死で兵糧を集めるが宋軍の攻撃を受け負傷、楽和の救援を受けるも息を引き取る。 (楊令伝) ‹章タイトル―第2巻第5章 孟康が宋清の思い出を杜興らに語る› 『楊令伝』では双頭山時代にコンビを組んでいた孟康が、宋清は自分の命よりも物資を大事にしていたこと、愛した女のために戦っていたが孟康に詳しいことを話さないまま死んでいったことを回想している。
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双頭山(そうとうざん)
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前作でも登場した、かつての梁山泊の拠点。前作の最終決戦後は官軍も去り、只の山に戻っていた。厳密には梁山泊の領土外だが、童貫戦後の領土拡大に伴う迎撃用の前線基地として再び整備された。なお、位置的には新生梁山泊の南東部に存在する。
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