ホモ‐サピエンス【(ラテン)Homo sapiens】
ホモ・サピエンス
ホモ・サピエンス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 20:57 UTC 版)
ホモ・サピエンス イスラエルのカルメル山南麓にあるスフール洞窟(英語版)遺跡(約10万年前)から1932年に出土した頭蓋骨化石標本「スフール5 (Skhul V)」。この骨の持ち主は、後期更新世の当地域で暮らしていた現生人類(解剖学的現代人)の小集団スフール・アンド・カフゼー・ホミニド(英語版)(構成は大人7人・子供3人)に属する成人男性であった。推定される年代は約11万9000年~約8万1000年前。 ホモ・サピエンス(学名:Homo sapiens)は、解剖学的に何ら違いが認められない現代の人類と化石人類とを同一の種と認めたうえでの、1タクソン(1分類群)である。“解剖学的現代人”の意味合いをもって呼ばれる「現生人類」と、同じものを指す。ラテン語 sapiens は「wise、賢い」の意。約25万年前に出現したと考えられ、その後、唯一の残存種となった。 現代人と上記のイダルトゥには亜種レベルの相違があるとみなして、亜種「Homo sapiens sapiens〈ホモ・サピエンス・サピエンス〉」として扱うこともあるが、ホモ・サピエンスの亜種については統一した合意はないため、本項目は「ホモ・サピエンス」とする。47万年〜66万年前に上記ネアンデルタール人との共通祖先から古代型サピエンスが分岐した。ここでは旧人時代の古代型サピエンスについても記述する。40万年前から25万年前の中期更新世の第二間氷期までの間に、旧人段階であった彼らが頭骨の拡張と石器技術が発達したようで、この事がホモ・エレクトゥスからホモ・サピエンスへ移行の証拠と見られている。移行を示す直接の証拠は、ホモ・エレクトゥスがアフリカから他の地域へ移住した間にアフリカで種分化が起きたことで(アフリカのどこで起きたかについてはわかっていない)エレクトゥスからホモ・サピエンスが分かれたことを示唆している。その後アフリカとアジア、ヨーロッパでエレクトゥスがホモ・サピエンスに入れ替わった。このホモ・サピエンスの移動と誕生のシナリオは単一起源説(アフリカ単一起源説)と呼ばれていて、現在古人類学において多地域進化説と単一説で激しい議論がされている。また、人類の遺伝的多様性が他の種に比べると非常に小さいことを確認されているが、これは比較的最近に各地に分散したか、トバ山噴火の影響の可能性がある。 約7万5000年前から約7万年前に、インドネシア、スマトラ島にあるトバ火山が大噴火を起こして気候の寒冷化を引き起こし、その後の人類の進化に大きな影響を与えた。トバ・カタストロフ理論によれば、大気中に巻き上げられた大量の火山灰が日光を遮断して火山の冬を引き起こし、地球の気温は平均5℃も低下したという。劇的な寒冷化はおよそ6000年間続いたとされる。その後も気候は断続的に寒冷化するようになり、地球は最終氷期へと突入する。この時期まで生存していたホモ属の進化的源流にあたるタクソン(ホモ・エレクトゥスなど)の主要なグループは絶滅したと考えられる。トバ事変の後まで生き残ったホモ属はネアンデルタール人と現生人類のみである。現生人類も、トバ事変の気候変動によって総人口が1万人までに激減したという。かろうじて生き残った現生人類も人口減少によってボトルネック効果が生じ、その遺伝的多様性は失われた。現在、人類の総人口は70億人にも達するが、遺伝学的に見て、現生人類の個体数のわりに遺伝的特徴が均質であるのは、トバ事変のボトルネック効果による影響であるとされる。遺伝子の解析によれば、現生人類は極めて少ない人口(1000組~1万組ほどの夫婦)から進化したことが想定されている。遺伝子変化の平均速度から推定された人口の極小時期はトバ事変の時期と一致する。この学説は約6万年前に生きていた“Y染色体アダム”や約14万年前に生きていた“ミトコンドリア・イヴ”を想定した学説とは矛盾しない。また、現生人類の各系統が約200万年〜約6万年前の時期に分岐したことを示している現生人類の遺伝子の解析の結果も、トバ・カタストロフ理論とは矛盾しない。なぜならば、トバ・カタスロトフ理論は総人口が数組の夫婦まで減少したという学説ではなく、そこまで凄まじいボトル・ネック現象を想定しているわけではないからである。現生人類の遺伝的多様性は、トバ事変によって現生人類の人口が一度減少したことを示唆している。 また、衣服の起源をトバ事変に関連づける向きもある。ヒトに寄生するヒトジラミ(人虱、Pediculus humanus)は2つの亜種、主に毛髪に寄宿するアタマジラミ(頭虱、P. h. capitis)と、主に衣服に寄宿するコロモジラミ(衣虱、P. h. humanus, P. humanuscorporis)に分けられる。近年[いつ?]の遺伝子の研究からこの2亜種が分化したのは約7万年前であることが分かっている。つまり、約7万年前にヒトが衣服を着るようになり、新しい寄宿環境に応じてコロモジラミが分化したと解釈される。そこで研究者らは、時期的に一致することから、トバ火山の噴火とその後の寒冷化した気候を生き抜くためにヒトが衣服を着るようになったのではないかと推定している。 近年[いつ?]では、ヨーロッパに進出したホモ・サピエンスはネアンデルタール人と、メラネシア方面へ進出したホモ・サピエンスはデニソワ人と交雑したという研究結果も発表されている。 なお、ヨーロッパ人と日本人の共通祖先の分岐年代は、7万年前±1万3000年であると推定されている。 「ジェノグラフィック・プロジェクト」も参照 印象的な遺伝的特徴(例えば皮膚の色)は、主に小集団が新たな環境へ移住した結果として起きた。これらの適応形質はホモ・サピエンスのゲノムの非常にわずかな部分によって引き起こされるが、皮膚の色のほかに鼻の形態や高高度地域で効率的に呼吸する能力など様々な形質を含む。 ヒト科の脳容積種類 分類 脳容積(ml) オランウータン ヒト科 411 ゴリラ ヒト亜科 約500 チンパンジー ヒト族 394 アウストラロピテクス・アフリカヌス ヒト亜族 441 ホモ・ハビリス ヒト属 640 ホモ・エルガステル ヒト属 700-1100 ホモ・エレクトゥス ヒト属 1040 ホモ・ハイデルベルゲンシス ヒト属 1100-1400 ホモ・ネアンデルターレンシス ヒト属 1450 ホモ・サピエンス・サピエンス ヒト属 1350
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ホモ・サピエンス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 16:03 UTC 版)
「人類の知能の進化」の記事における「ホモ・サピエンス」の解説
「現代的行動」を参照 17-12万年前、ホモ・サピエンスは東アフリカに初めて出現した。それらの初期の現代人類がどの程度に言語・音楽・宗教などを発展させていたかは明らかでない。 その後、5万年ほどかけて彼らはアフリカ中に広がり、10-8万年前にはホモ・サピエンスの3つの主流が以下のように分岐した。 ミトコンドリアのハプログループ L1 (mtDNA) / A (Y-DNA)。彼らは南アフリカに居住し、カポイド(コイコイ人とサン人)の祖先である。 ハプログループ L2 (mtDNA) / B (Y-DNA)。彼らは中央アフリカと西アフリカに居住し、ニジェール・コンゴ語族とナイル・サハラ語族の祖先である。 ハプログループ L3 の人々は東アフリカに留まった。 現代的行動へと完全に至る「大飛躍」はこの分岐があって初めて起こったものである。道具の制作や行動における急速な洗練化は、8万年ほど前から明白となり、続いて6万年ほど前の中期旧石器時代の最末期にかけてアフリカ大陸外への移住が始まった。(アフリカ単一起源説も参照のこと。)造形美術、音楽、自己装飾、取引、埋葬儀式などを含む今日レベルの現代的行動は3万年前には明白なものになった。先史美術として認められる最古の例はこの時代、すなわち先史ヨーロッパのオーリニャック文化とグラヴェット文化まで遡る。例としてヴィーナス小像と洞窟壁画(ショーヴェ洞窟)、最古の楽器(ドイツの Geissenklösterle (en) の骨製パイプで約 36,000 年前に遡る先史音楽(英語版))が挙げられる。
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ホモ・サピエンス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 08:19 UTC 版)
「現代的行動」も参照 解剖学的に現生人類と同一である生物はエチオピアのオモ遺跡群の19万5000年前の化石記録で初めて現れる。しかし彼らは解剖学的には現生人類であるが、今のところ見つかっている考古学的証拠からはより古いホモ・ハイデルベルゲンシスとは違う行動をとっていたとはほとんど示されていない。彼らはアシュール石器と同レベルに留まっており、後期更新世の現生人類よりも狩りの能率が低かった。より洗練されたムスティエ文化への移行は約12万年前に起こり、ホモ・サピエンスとホモ・ネアンデルターレンシスの間で共有された。 ホモ・サピエンスにおいて起こり、ホモ・ネアンデルターレンシスやその他のヒト属とは共有されなかった完全な現代的行動の発展は5-7万年前に起こった。 初めて一つ以上の材料(例えば骨やシカの角)から作られ、(鏃、鑿、ナイフの刃、掘削具などの)様々な機能のカテゴリに分類できる、より洗練された道具の発展はしばしば完全に発達した言語の存在の証拠とみなされる、というのもそういった道具の製法を子孫に伝えるのに言語が必要だと考えられるからである。 言語の進化における最大のステップ[疑問点 – ノート]は原始的なピジン言語様のコミュニケーションから現代の言語に比肩する文法・統語構造を完全に備えたクレオールのような言語への進歩にあった。 このステップは突然変異のような脳のなんらかの生物学的変化によってのみ達成されえたと信じる学者もいる。一説にはFOXP2のような遺伝子が突然変異を起こして人がコミュニケーションを行えるようになったとされている[疑問点 – ノート]。しかし、近年の分子生物学的研究により、ネアンデルタール人もホモ・サピエンスと同じFOXP2対立遺伝子を持つことが分かった。それゆえ、ホモ・サピエンスのみに突然変異が起こったわけではない。むしろこのことは、この遺伝子上の変化がネアンデルタール人とホモ・サピエンスの分化に先立って起こったということを示唆している。 言語が数千年かけて発展してきたのか突然現れたのかという問題に関して、さらに注目すべき議論がある。 霊長類の脳に存在するウェルニッケ野とブローカ野はヒトの脳にも存在しているが、前者は認知タスク・知覚タスクに関わっており、後者は言語を使うのを助けている。霊長類の脳幹や大脳辺縁系において議論されているのと同じ神経回路が人間においては非言語的な音声(笑う、泣く、等々)を制御している。このため、人の言語中枢は全ての霊長類に共通して存在する神経回路を改良したものではないかと提言されている。この改良とその言語的コミュニケーションの能力はヒトに特有であるように見える。このことは、言語器官はヒトの系統が霊長類(チンプやボノボ)の系統から別れて以降に起源をもつということを示唆している。はっきり言えば、言葉を話すことはヒトに特有な、喉頭の改良だということである。 出アフリカ説によれば、50000年前ごろ にヒトの集団がアフリカを出発し、続いて、それまでヒト科動物が進出したことのなかったアメリカやオーストラリアをも含む世界各地に移住していった。それ以前にはホモ・サピエンスは現代的な認知・言語能力を獲得しておらず、結果として移住するのに要求される技術や個体数を欠いていたので、彼らは50000年以上前にはアフリカを出たことがなかったと信じている学者もいる。しかし、それ以前にホモ・エレクトゥスが(言語の使用、洗練された道具、解剖学的現代性をほとんど欠いた状態で)どうにかしてアフリカを出て行ったことを考えると、解剖学的に現生人類と同じ生物がそんなに長い間アフリカに留まっていた理由が不明になる。
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ホモサピエンス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 13:16 UTC 版)
関西から上京した結成14年の漫才コンビ。漫才大会「N-1」に挑戦している。東京での知名度はいまひとつ。小戸川は彼らのラジオ番組を毎週聞いており、第2話で客として2人を乗せる。 柴垣健介(しばがき けんすけ) 声 - ユースケ(ダイアン) イノシシ。34歳のボケ担当。第1話に声のみ登場し第2話以降本格的に登場する。 ネタ作りを担当している毒舌家。お笑いに対して強い持論と自負があり、「1人を傷つけても10人が笑うネタにこそ価値がある」というシビアな価値観を持つ。 今井と同じキャバクラでバイトをしている。 馬場敦也(ばば あつや) 声 - 津田篤宏(ダイアン) ウマ。34歳のツッコミ担当。第1話に声と画像のみ登場し第2話以降本格的に登場する。 柴垣と対照的に人当たりが良く、上昇志向もあまりない性格。「誰も傷つけない笑いが一番いい」と考えている。 グルメリポーターへの抜擢を機に、人柄の良さが世間にウケて人気が出はじめ、馬場だけの仕事が入るようになる。 密かに付き合っている恋人がいる。
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