養子縁組 養子縁組制度の歴史

養子縁組

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/17 04:27 UTC 版)

養子縁組制度の歴史

ローマ皇帝トラヤヌス。西暦98年にネルウァが2年足らずの治世で病没すると、あらかじめ養子縁組を結んでネルウァ家の家督を継いでいたトラヤヌスが即位した。

養子縁組制度が必要になった理由

いわゆる家父長制を基本とする家族制度を採用している場合は、家長家業の後継者や財産の相続者を得るための養子縁組制度が必要である。古代ローマの制度はこのような制度であり、日本においても、日本国憲法の制定に伴い家族法が大幅に改正される前の養子制度は、武家の価値観を受け継ぎ家制度を維持するための制度であった[* 4]。また、これとは別に近代以前の東アジアでは、より擬制的な親子関係の色が強い「義子」(中国)・「猶子」(日本)などの制度があった。

その後、ヨーロッパではキリスト教の普及により、以外の者が親子関係を勝手に作るのは冒涜と考えられ、一時的に養子縁組制度は廃れるも、脱宗教化が進んだ近世以降は親のための制度としての機能を果たすようになる。つまり、老後扶養を得たり、親のない子を養いたいという博愛精神を満たすことを目的とする機能を有するようになる。

19世紀中頃にアメリカ合衆国で、恵まれない子供に家庭を与えるための養子縁組制度、すなわち子のための制度が導入された。ヨーロッパでも第一次世界大戦により孤児が増加し、子のための養子縁組に関する養子法制が導入された。日本においては、日本国憲法制定に伴い改正された家族法が子のための福祉という観点からこれを導入したが、本格的な導入は1988年昭和63年)から施行された特別養子制度(後述)を待つことになる。

養子縁組制度が求められた理由は以上のとおりであるが、法制度の建前はともかく、現実的には様々な事情により養子縁組がされる。日本の場合に多く行われるのは、離婚後の再婚に伴う連れ子の養子である。しかし、成年に達している者を養子にすることが法律上可能であることもあり[* 5]、その他、子のための制度としてはあまり機能していない。具体的には、自己の孫を養子にすることにより相続税の節約を図る節税養子[* 6]や、男子に家を継がせるためのいわゆる婿養子などが行われている。また、大正時代には新聞紙上を通じての養子仲介があったが、養女の貰い手の大半は芸妓屋であったという新聞社もあった[11]

なお、イスラム国家では、キリスト教と同様の理由により、養子という概念が一般的ではなく、チュニジアを除き、養子縁組を認めていない。

日本における養子縁組制度の歴史

日本の歴史において、最初に現れる養子に関する法律は、律令法の影響を受けて成立した大宝律令であるといわれている。ただし、中国宗族社会と違って、氏姓制度の延長上に成り立った日本社会では、中国のような厳格な制限は設けられず、一定の年下の者であれば養子縁組は比較的簡単に許された。このため、貴族社会においては、高官が優秀な孫や庶流・傍流出身者を養子に迎え、蔭位制度を活用してその出世を助けることで、結果的に一族の繁栄を図ろうとするための養子縁組が多くなった。また、時には遠い親戚や異姓出身者を養子にする者もあった[* 7]。また、平安時代までは、「養子」とより擬制的な要素の強い「猶子」との区別はあいまいであった。家の継承という要素が強くなり、養子と猶子の分離が進むのは、中世以後のことであるが、南北朝時代に入っても混用は残っていた[12]

当時の養子縁組の代表的な例として摂関家を例に取ると、仁寿年間(851年-854年間)に文徳天皇の義父として権力を振るっていた正二位右大臣藤原良房に男子がいないために、長兄で正三位参議であった長良の三男・基経を養子に迎えた。その結果、基経は養父の蔭位によって17歳の若さで蔵人になった一方で、長良の子としてそのまま育ったその同父母兄弟は、兄・国経が31歳、弟・清経は32歳になってやっと蔵人に到達したのである[* 8]。さらに、良房が摂政太政大臣に登り詰めたのに対して、長良は権中納言で死去したために、その出世の格差は広がるばかりであった。異姓の養子の例としては、姉婿である藤原頼通の養子となって後の村上源氏繁栄の基礎を築いた源師房[* 9]などがいる。

そのため、上級貴族は少しでも子孫にとって優位な出世をさせるための養子縁組を次々と組むようになっていく。極端な例としては、同じく摂関家の藤原忠実とその子・孫のケースが挙げられる。忠実の長男・忠通に男子ができなかったために、忠実は自分が寵愛していたその弟の頼長を忠通の養子にさせた。その後、忠通に実子が生まれて忠実・頼長と忠通が不仲になると、頼長の息子である師長を早く出世させるために、忠実は師長を自分の養子にして蔭位の便宜を図った[* 10]。この結果、師長からみて忠通は本来の系譜上の伯父というだけでなく、同時に祖父でもあり兄でもあるという大変複雑な事態が生じたのである。

鎌倉時代後期以後になると、家督所領の一体化が進んで嫡子相続が一般的になるにつれて、家の存続を最優先とした養子縁組が行われるようになる。特に武士では、当主に男子がいない場合、もしくは幼少の場合に、主君への忠勤を尽くせないことを理由に所領を没収されるなどの事態を避けるため、養子縁組を行うことが一般的となった。

実弟を養子とすることや、養父の実の息子(養子の義理の弟)を養子が自身の養子とすることはしばしばみられる。これらはいずれも順養子という。後者の順養子の場合、1代限りであれば間に入った養子は中継ぎ的立場になるが、代々順養子を重ねて両統迭立のような形になる例もある[* 11]。また、娘に夫を迎えて養子とする婿養子大名参勤交代などの折に、万が一の事態に備えあらかじめ届け出る仮養子[* 12]、大名・家臣が急に危篤になった場合に出される末期養子などがあった。このほか、他家の大名などを縁戚として傘下に取り込みたいが実の娘に適当な者がいない場合、一族や重臣の娘を形式的に養女とした上で娶せることも行われた(養女に夫を迎える形式の婿養子の例もあった)。

江戸幕府は当初は様々な養子規制を設けたものの、慶安の変をきっかけに末期養子の禁を緩め、享保18年(1738年)には当主か妻の縁戚であれば浪人陪臣でも養子が可能とされた。養子の規制は時代が下るにつれて緩くなり、江戸時代後期には商人などの資産家の二男以下が持参金を持って武家に養子に行って武士身分を得るという持参金養子が盛んになり、士分の取得を容易にした[* 13]。一方、商人・農民などの庶民間における養子縁組は、証文のやり取りだけで縁組も離縁も比較的容易であり、「家名の存続」よりも「家業の経営」を重視した養子縁組が行われることが多かった[* 14]。また、享保の制度変更によって女性の名義では借家を借りることができなくなったことから、女性だけの世帯が家を借りる際には、男性の名義を借りるための便宜的な養子縁組が行われるようになった[13]

明治時代以後になると「家」を社会秩序の中心に置く家制度が全ての階層に広げられた結果、養子縁組も家制度の維持という観点で行われることが多くなった。それが大きく変わるのは第二次世界大戦後日本国憲法制定に伴う民法改正以後のことである。

日本の旧民法における養子縁組

日本の旧民法において、養子縁組は、養親の家に入り、養親の嫡出子たる身分を取得することであるといえる。養子は法定血族の一種である。

  • 養子になる者は、養親たるべき者の尊属または年長者でないこと、法定推定相続人たる身分でないことが必要である。
  • 配偶者のある者は、配偶者と共同してのみ養子縁組をなすことができる。
  • 養子は養子縁組の日から養親の嫡出子たる身分を取得するため、養親に養子縁組前に生まれた子女がある場合、養子は年長者であっても法律上、これらの子女より年少者として扱われる。
  • 養子は養親の家に入るが、養親と同居する義務を負わない。
  • 養子は養親およびその直系尊属との間に、互いに扶養の権利義務を有する。
  • 養子は養方の血族と親族関係を持つが、このために実方の血族との親族関係を失わない。
  • 養子は実家における家族たる身分を失い、また実親の親権を脱して、養親の親権に服する。
  • 養子とその直系卑属またはその配偶者と、養親またはその直系尊属との間では、離縁によって親族関係が消滅したのちもなお、婚姻をすることができない。

注釈

  1. ^ ただし、「養親(ようしん)」の第1義は、法的根拠の有無を問わず実際に保護・育成する者を意味する「育ての親」「養親/養い親/やしない親(やしないおや)」のことで、本項で解説する「養子先の親」という意味の「養親」は第2義である。
  2. ^ 法的根拠を問わず実際に保護・育成される者や、乳母として育てた子を意味する「養子」は、「養子/養い子(やしないご)」という。─ 出典:コトバンク。他人からもらって自分の子として育てること、および、その子は、「貰い子(もらいご)」といい、砕けた表現で「貰いっ子/もらいっこ」ともいう。─ 出典:コトバンク。
  3. ^ 「養子の女性」を表す「養女」のような「養子の男性」を表す語が、日本語には存在しない。日本語「養子」には性別の概念が無いので、この語だけでは性別を判断できない。なお、中国語でも同様で、「養子の女性」は「養女」であるが、「養子女」と「養子」が日本語の「養子」と同義で性別の概念が無い。
  4. ^ ただし、近代以前においてはその社会的身分において、強弱の差がある。
  5. ^ ただし、比較法的には異例である。
  6. ^ ただし、税法が改正され、控除の対象になる養子の数は限定されている。
  7. ^ 中国では、少なくとも建前としては、他姓の養子は礼制に反すると強く戒められており、日本でも明法家学説の集積である『法曹至要抄』(下巻・巻36)では、異姓養子はできないという実情と反した法解釈がなされている。
  8. ^ ちなみに、基経は30歳前に参議に到達している。
  9. ^ 村上天皇の孫である資定王。
  10. ^ ちなみに、当時の序列では頼長(正二位)<忠実(致仕従一位)<忠通(従一位)であった。
  11. ^ 福知山藩朽木家美作勝山藩三浦家江戸時代後期の鷹司松平家高松松平家などの例が挙げられる。
  12. ^ 家臣が重大な職務に当たっている場合などには、同様に心当養子を主君に届け出る義務があった。渋沢栄一は幕臣に取り立てられて清水昭武の洋行に随伴した際、実子はまだ幼い長女しかおらず、従弟で義弟(妻の弟)の尾高平九郎見立養子にしている。
  13. ^ 例えば勝海舟の祖父が御家人の身分を、坂本龍馬の曾祖父が郷士の身分を得たのはこうした手段による。
  14. ^ 現在でも相撲部屋では、親方が有力な関取に娘を嫁がせて婿養子とし、部屋の後継者にする例が多い。
  15. ^ 1960年の民法制定時に非嫡出子制度は廃止された。
  16. ^ いわゆる「藁の上からの養子」
  17. ^ a b 年長者については、条文上、年齢差の規定がないため、養親が1日でも先に出生していれば、養子縁組は成立することになる。

出典

  1. ^ 養子縁組”. 小学館『デジタル大辞泉』、三省堂大辞林』第3版. コトバンク. 2018年7月9日閲覧。
  2. ^ adoption”. 小学館『プログレッシブ英和中辞典』第4版. コトバンク. 2018年7月9日閲覧。
  3. ^ アダプション”. 『デジタル大辞泉』. コトバンク. 2018年7月9日閲覧。
  4. ^ a b c 養親”. 『デジタル大辞泉』、『大辞林』第3版. コトバンク. 2018年7月9日閲覧。
  5. ^ 養子”. 『デジタル大辞泉』、『大辞林』第3版、『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』、『百科事典マイペディア』、平凡社世界大百科事典』第2版、小学館『日本大百科全書:ニッポニカ』. コトバンク. 2018年7月9日閲覧。
  6. ^ 養女”. 『デジタル大辞泉』、『大辞林』第3版. コトバンク. 2018年7月9日閲覧。
  7. ^ 養親子”. 『デジタル大辞泉』、『大辞林』第3版. コトバンク. 2018年7月9日閲覧。
  8. ^ 実親子”. 『デジタル大辞泉』、『大辞林』第3版. コトバンク. 2018年7月9日閲覧。
  9. ^ 養子先”. 『デジタル大辞泉』、『大辞林』第3版. コトバンク. 2018年7月9日閲覧。
  10. ^ 養家”. 『デジタル大辞泉』、『大辞林』第3版. コトバンク. 2018年7月9日閲覧。
  11. ^ 『運命の影に』松崎天民著 (磯部甲陽堂, 1917)
  12. ^ 高橋秀樹「平安貴族社会の中の養子」『日本中世の家と親族』(吉川弘文館、1995年) ISBN 4-642-02751-3 P138-146・188-189
  13. ^ 塚田孝 『大阪民衆の近世史』 筑摩書房 <ちくま新書> 2017年 ISBN 9784480071118 pp.66-68.
  14. ^ 婚姻届の記入例
  15. ^ Adult adoptions: Keeping Japan's family firms aliveBBC, 19 September 2012.
  16. ^ a b c d 湯沢雍彦編『要保護児童養子あっせんの国際比較』(2007年、日本加除出版株式会社)
  17. ^ “スイスの里親制度 改善の歩みは遅い”. スイス放送協会. (2014年9月24日). http://www.swissinfo.ch/jpn/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%81%AE%E9%87%8C%E8%A6%AA%E5%88%B6%E5%BA%A6-%E6%94%B9%E5%96%84%E3%81%AE%E6%AD%A9%E3%81%BF%E3%81%AF%E9%81%85%E3%81%84/40795872 2014年9月24日閲覧。 
  18. ^ ベルギーの養子縁組スキャンダル、真実求める母子たちAFP BB news 2015年02月26日。
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  31. ^ ヒョウの赤ちゃんを育てるライオン、インドで見つかる:朝日新聞GLOBE+”. 朝日新聞GLOBE+. 2022年5月28日閲覧。
  32. ^ ペット「養子縁組」米で急増”. 日本経済新聞 (2020年4月27日). 2022年6月27日閲覧。






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