名鉄名古屋本線 歴史

名鉄名古屋本線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 08:45 UTC 版)

歴史

豊橋駅 - 名鉄名古屋駅間は愛知電気鉄道により都市間をほぼ一直線に結ぶ高速鉄道として建設され、名鉄名古屋駅 - 名鉄岐阜駅間は名古屋鉄道が合併した会社の路線が繋がり成立した。

名岐線

現在の枇杷島分岐点 - 丸ノ内駅間は名古屋電気鉄道、丸ノ内駅 - 国府宮駅間は名古屋鉄道(初代)、国府宮駅 - 名鉄一宮駅間は尾西鉄道、名鉄一宮駅 - 笠松駅間は名岐鉄道、笠松駅 - 名鉄岐阜駅間は美濃電気軌道により開業した。

最初の開通区間は枇杷島橋駅(現在の枇杷島分岐点) - 須ヶ口駅間で、1914年(大正3年)に開業した。名岐線で最後に開通したのは新一宮駅(現在の名鉄一宮駅) - 新笠松駅(現在の笠松駅)間で、1935年(昭和10年)のことである。それまでの名岐間の連絡は木曽川線(尾西線新一宮駅 - 玉ノ井方面の旧名称)の木曽川橋駅(廃止:玉ノ井駅の北にあった)と笠松線の笠松駅(3代目。現在の西笠松駅)の間を木曽川を介して行われていたが、名岐線全通により、当時の名古屋側のターミナルで今の名古屋駅の北東にあった一宮線押切町駅から新岐阜駅(現在の名鉄岐阜駅)まで直通の特急が運転された。

建設の経緯については「名古屋鉄道#名古屋電気鉄道」も参照。

  • 1914年(大正3年)
    • 1月23日:名古屋電気鉄道が津島線として枇杷島橋駅 - 須ヶ口駅 - 新津島駅(現在の津島)間を開業。
    • 6月2日:美濃電気軌道が笠松線として笠松口駅(初代) - 広江駅(後に廃止)間を開業。
    • 9月22日:名古屋電気鉄道が清洲線として須ヶ口駅 - 丸ノ内駅 - 清洲駅(後の清洲町駅)間を開業。
    • 12月14日:上川手駅を茶所駅へ改称届出[6]
    • 12月26日:美濃電気軌道笠松線 広江駅 - 新岐阜駅間が開業。
  • 1916年(大正5年)
    • 2月1日 - 笠松口駅(初代)を笠松駅 (初代)に改称[7]
    • 10月1日 - 笠松駅 (初代)を笠松駅 (2代)へ移転[8]
  • 1917年(大正6年)
    • 2月1日:八剣 - 境川間の印食駅廃止[6]
    • 5月1日:笠松(初代) - 八剣間の下徳田駅廃止[6]
  • 1921年(大正10年)
    • 7月1日:名古屋電気鉄道が津島線・清洲線などを名古屋鉄道へ譲渡。
    • 9月21日 - 竹鼻鉄道との接続のため、笠松駅 (2代)を笠松駅 (3代)へ移転し、笠松駅 (2代)および旧線区間廃止[9]
  • 1924年(大正13年)2月15日:尾西鉄道が中村線として国府宮駅 - 新一宮駅間を開業。
  • 1925年(大正14年)8月1日:名古屋鉄道が尾西鉄道の路線を譲り受け、国府宮駅 - 新一宮駅間を国府宮支線とする。
  • 1928年(昭和3年)
    • 1月24日:大和駅(現在の島氏永駅)開業。島駅・氏永駅廃止。
    • 2月3日:西清洲駅(現在の新清洲駅) - 国府宮駅間が開業[10]。国府宮駅 - 新一宮駅間が複線化。国府宮支線を名岐線と改称。
    • 4月10日:丸ノ内駅 - 西清洲駅間が開業(この日までに丸之内駅を丸ノ内駅に改称[6])。須ヶ口駅 - 丸ノ内駅間が複線化。須ヶ口駅 - 新一宮駅間を名岐線、丸ノ内駅 - 清洲駅間を清洲線とする。
  • 1930年(昭和5年)
    • この年までに妙興寺駅 - 新一宮駅間の花池駅廃止。
    • 8月20日:名古屋鉄道が美濃電気軌道を合併[11]
    • 9月1日:大和駅を島氏永駅に改称。
    • 9月5日:名古屋鉄道が名岐鉄道に社名変更[11]
  • 1935年(昭和10年)
    • 4月29日:新一宮駅 - 新笠松駅(2代)間が開業。笠松口駅 - 八剣駅間に新笠松駅 (2代)開業。新笠松駅 (2代) - 広江駅間が複線化。名岐線を須ヶ口駅 - 新岐阜駅間とする。
    • 8月1日:名岐鉄道が愛知電気鉄道を合併、名古屋鉄道に社名変更。
  • 1936年(昭和11年)
    • 5月:新笠松駅 (2代)を笠松駅 (4代)に改称[12]
    • 9月15日:黒田駅開業。
  • 1939年(昭和14年)3月1日:木曽川堤駅開業。
  • 1941年(昭和16年)
    • 2月10日:馬寄駅を石刀駅に改称。
    • 8月12日新名古屋地下トンネルが竣工し、新名古屋駅 - 枇杷島橋駅(現在の枇杷島分岐点)間が開業。枇杷島橋駅 - 須ヶ口駅間を津島線から編入し、名岐線を新名古屋駅 - 新岐阜駅間とする[13]
  • 1942年(昭和17年)
    • 2月1日:二ツ杁駅開業。
    • 4月1日:この日までに名岐線境川駅(現在の岐南駅) - 茶所駅間の下川手駅、広江駅 - 新岐阜駅間の加納駅(初代)廃止。
  • 1943年(昭和18年)11月1日:大佐土駅を大里駅に改称[6]
  • 1944年(昭和19年):西枇杷島駅・増田口駅・石刀駅・八剣駅・安良田町駅(現在の加納駅)休止。

豊橋線

豊橋側は常滑線を営業していた愛知電気鉄道により開業。神宮前駅を起点に有松線、岡崎線、豊橋線と名を変えながら豊橋へ向け1917年(大正6年)から1927年(昭和2年)にかけて順次延伸された。

沿線は東海道の宿場町として栄えていたが、官設鉄道東海道線は豊橋駅を出ると、東海道から外れ、蒲郡駅を経由する海岸沿いのルートを取った[注釈 11]。このため、東海道線が開通すると、東海道沿いの宿場町は一気に廃れてしまい、鉄道の力を思い知らされることとなった。愛知電気鉄道が同線を開通するに当たり、地元は積極的に鉄道誘致に動いたため、土地買収などがうまくいき、並行して走る東海道線とは違い比較的直進するような路線になっている。

  • 1917年(大正6年)
    • 3月7日:愛知電気鉄道が有松線として神宮前駅 - 笠寺駅(現在の本笠寺駅)間開業[14]
    • 5月8日:笠寺駅 - 有松裏駅(現在の有松)間が開業[15]
  • 1923年(大正12年)
    • 4月1日:岡崎線 有松裏駅 - 新知立仮駅間が開業[16]。有松線を岡崎線に改称。
    • 6月1日:南井戸田駅廃止[6]。新知立仮駅 - 西岡崎駅(現在の岡崎公園前)間が開業[17]。新知立駅(後の東知立駅)開業、新知立仮駅廃止。
    • 8月8日:西岡崎駅 - 東岡崎駅間が開業[18]
  • 1924年(大正13年)
    • 4月13日:有松裏駅 - 矢作橋駅間が複線化。
    • 10月26日:鳴海駅 - 有松裏駅間が複線化。
  • 1925年(大正14年)
  • 1926年(大正15年)4月1日:豊橋線 矢作橋駅 - 東岡崎駅間が複線化、東岡崎駅 - 小坂井駅間が複線で開業[20]。岡崎線を豊橋線に改称。豊川鉄道豊川駅まで乗り入れ開始。
  • 1927年(昭和2年)
    • 6月1日:この日までに伊奈駅開業[6][注釈 12]。豊橋線 伊奈駅 - 吉田駅(現在の豊橋駅)間が開業。神宮前駅 - 吉田駅間が全通[21]。伊奈駅 - 小坂井駅間は小坂井支線となる。
    • 12月23日:東笠寺駅開業届出。
    • 12月28日:東笠寺駅 - 鳴海駅間が複線化。
  • 1928年(昭和3年)4月15日:堀田駅開業。
  • 1930年(昭和5年)
    • 4月5日:呼続駅 - 笠寺駅間が複線化。
    • 7月11日:堀田駅 - 呼続駅間が経路変更・複線化。
    • 9月20日:神宮前駅 - 豊橋駅間に超特急あさひ」を運転開始(1938年廃止)。
  • 1931年(昭和6年):桶狭間駅開業。
  • 1932年(昭和7年)10月:笠寺駅 - 東笠寺駅間が複線化。
  • 1934年(昭和9年)
    • 1月14日:小田渕駅開業。
    • 12月25日:この日までに有松裏駅 - 前後駅間の桶狭間駅廃止。
  • 1935年(昭和10年)8月1日:名岐鉄道が愛知電気鉄道を合併、名古屋鉄道に社名変更。
  • 1936年(昭和11年)4月1日:西岡崎駅を岡崎公園前駅に改称。
  • 1938年(昭和13年)12月1日:愛電山中駅を名電山中駅、愛電長沢駅を名電長沢駅、愛電赤坂駅を名電赤坂駅に改称[22]
  • 1941年(昭和16年)8月1日:豊橋線新知立駅と三河線知立駅(現在の三河知立駅)を統合し、知立駅に改称。
  • 1942年(昭和17年)
  • 1943年(昭和18年)
    • 6月1日:笠寺駅を本笠寺駅に改称。国鉄笠寺駅開業による。
    • 8月1日:吉田駅を豊橋駅に改称。
    • 11月1日:有松裏駅を有松駅に改称。
  • 1944年(昭和19年):東笠寺駅・井戸田駅休止。

名古屋本線成立

名岐鉄道と愛知電気鉄道が合併して名古屋鉄道が発足した後、新名古屋駅(現在の名鉄名古屋駅) - 枇杷島橋駅間が開業した。さらに神宮前駅 - 新名古屋駅間の東西連絡線が1944年(昭和19年)に開業し名岐線と豊橋線が結ばれるが、名岐線は600V電化、豊橋線は1500V電化であったため、直通運転ができず金山橋駅で乗り換えが必要だった。名岐線が1500Vに昇圧され豊橋駅 - 新岐阜駅間が名古屋本線となり、直通運転が始まったのは戦後の1948年(昭和23年)のことである。現在も社内では「東西直通線」と呼ばれている[注釈 13]。1990年(平成2年)、神宮前駅 - 金山駅間が複々線化された。ただし、この複々線は1駅間2.2kmのみで、神宮前駅では複々線間相互の転線も不可能になっており、列車の運用を見ても事実上常滑線を金山駅まで延伸したという性格の方が強いことが分かる。複々線化の用地は、金山総合駅と同様に以前から確保されていて[注釈 14]、複々線化前の2線を下り線とし東側に貼り付け増設した2線を上り線とする形で行われた。現在の下り内線(常滑線列車用)は複々線化前の上り線を転用したものである。

1972年(昭和47年)3月都市交通審議会名古屋圏部会は神宮前駅 - 須ヶ口駅間の複々線化を答申したが、新名古屋駅付近の複々線化は困難な(東側に名古屋市営地下鉄東山線名古屋駅が、西側に近鉄名古屋駅国鉄(現在のJR東海)の名古屋駅があるので、現地下ホームの真下にもう一つ複線を敷設するしかない)ことと、名古屋本線金山以北の混雑緩和は犬山線名古屋市営地下鉄鶴舞線相互直通運転開始により目途がついたことから、金山駅 - 須ヶ口駅間の複々線化については運輸政策審議会における1992年(平成4年)1月10日答申第12号名古屋圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画についてには答申されず、事実上中止された[23]

  • 1944年(昭和19年)
    • 9月1日:東西連絡線 神宮前駅 - 新名古屋駅間が開業。
    • 12月21日:豊橋線を金山駅 - 豊橋駅間に、名岐線を金山駅 - 新岐阜駅間に変更。
  • 1945年(昭和20年)7月1日:金山駅を金山橋駅に改称。
  • 1948年(昭和23年)
    • 4月18日:名岐線の新岐阜駅を移転し各務原線の長住町駅と統合。
    • 5月12日:名岐線の架線電圧を1500Vに昇圧。
    • 5月16日:西清洲駅を新清洲駅に改称。豊橋駅 - 新岐阜駅間を名古屋本線とし豊橋駅 - 新岐阜駅間直通運転開始。
  • 1949年(昭和24年)
    • 3月1日:本御油駅を御油駅に改称。
    • 8月1日:休止していた西枇杷島駅営業再開。枇杷島橋駅を廃止し、枇杷島分岐点とする(信号扱い上は西枇杷島駅構内扱い)。
    • 8月27日:木曽川信号場廃止[24]
  • 1950年(昭和25年)9月8日:東岡崎 - 男川間にあった万灯山側線を撤去[25]
  • 1952年(昭和27年)3月1日:今川駅を富士松駅に改称。
  • 1953年(昭和28年)7月15日:中京競馬場前駅開業。
  • 1956年(昭和31年)
    • 9月1日:阿野駅を豊明駅に改称。
    • 9月12日:山王駅を中日球場前駅に改称。
    • 9月23日:休止していた石刀駅営業再開。
  • 1957年(昭和32年)9月13日:広江駅 - 新岐阜駅間を新岐阜駅構内の一部を除き複線化、急曲線緩和。
  • 1958年(昭和33年)
  • 1959年(昭和34年)
    • 4月1日:知立駅を築堤上から地平に移転新設。旧・知立駅を名古屋本線は東知立駅(後に廃止)に、三河線は三河知立駅に分離・改称。
    • 10月11日:大里駅南側の踏切にてオート三輪が特急列車と衝突、脱線(大里駅踏切衝突事故)。
  • 1961年(昭和36年)6月12日:パノラマカーこと7000系電車が登場し、特急のうち毎時1本に投入される。高性能車で運転される特急の最高速度を110km/hに向上。
  • 1964年(昭和39年)3月29日:新名古屋駅構内に停車中の急行列車に特急列車が追突(新名古屋駅列車追突事故)。
  • 1965年(昭和40年)
    • 1月1日:今村駅の愛知紡績専用線(0.4 km)廃止[26]
    • 9月1日:伊奈駅の日本ゼニスパイプ専用線(0.2 km)、堀田駅の興服産業専用線(0.2 km)廃止[26]
  • 1966年(昭和41年)
    • 2月10日:須ヶ口駅の豊和工業専用線(0.1 km)廃止[26]
    • 7月1日:美合駅の日清紡績専用線廃止[27]
  • 1967年(昭和42年)4月15日:休止していた本星崎駅 - 本笠寺駅間の東笠寺駅廃止。
  • 1968年(昭和43年)1月7日:牛田駅 - 知立駅間の東知立駅、加納駅 - 新岐阜駅間の広江駅廃止。
  • 1969年(昭和44年)
    • 2月23日:呼続駅 - 堀田駅 - 神宮前駅間が高架橋方式により連続立体化。
    • 4月5日:井戸田駅・増田口駅・八剣駅廃止。
  • 1970年(昭和45年)5月1日:今村駅を新安城駅に改称。
  • 1972年(昭和47年)5月10日:矢作橋駅の東洋レーヨン専用線(2.8 km)廃止[26]
  • 昭和50年代:日本車輌専用線、中京倉庫専用線廃止(所管は国鉄熱田駅、入換業務を名鉄が担当[注釈 15][26]
  • 1976年(昭和51年)
    • 1月1日:中日球場前駅をナゴヤ球場前駅に改称。
    • 4月1日:新清洲駅に上下待避線新設[29]
    • 12月1日:岡崎公園前駅を移転[19]
  • 1980年(昭和55年)9月20日:境川駅を移転し岐南駅に改称。
  • 1984年(昭和59年)8月:神宮前駅を常滑線との路線別配線から方向別配線に変更。
  • 1985年(昭和60年):東岡崎駅に上り待避線新設。
  • 1987年(昭和62年)11月:二ツ杁駅に上下待避線新設。
  • 1988年(昭和63年)
    • 4月1日:須ヶ口駅を津島線との路線別配線から方向別配線に変更。
    • 4月8日:前後駅に上り待避線新設。
  • 1989年(平成元年)7月9日:金山橋駅を移転し金山駅に改称。
  • 1990年(平成2年)
    • 4月1日:金山駅 - 神宮前駅間が複々線化[30]
    • 10月29日:1000系で運転される全車指定席特急の最高速度を一部区間で120km/hに向上。
  • 1992年(平成4年)10月24日:名電長沢駅 - 本宿駅 - 名電山中駅間高架化。
  • 1993年(平成5年)
    • 2月21日:島氏永駅 - 新一宮駅 - 今伊勢駅間高架化。
    • 4月:3500系の就役により、同系列使用の急行についても最高速度120km/h運転を開始。
  • 2002年(平成14年)9月26日:奥田駅 - 大里駅間の大里8号踏切付近にて特急列車が普通乗用車と衝突(名古屋本線衝突脱線事故)。
  • 2003年(平成15年)
  • 2005年(平成17年)1月29日:新名古屋駅を名鉄名古屋駅、新一宮駅を名鉄一宮駅、新岐阜駅を名鉄岐阜駅、ナゴヤ球場前駅を山王駅に改称。木曽川堤駅 - 笠松駅間の東笠松駅廃止。
  • 2006年(平成18年)11月25日:左京山駅 - 鳴海駅 - 本星崎間高架化。
  • 2007年(平成19年)3月14日:全駅にトランパス導入完了(最終導入駅は木曽川堤駅)。
  • 2019年(令和元年)11月下旬:西枇杷島駅の待避線を撤去[31]

注釈

  1. ^ 但し駅の構造上津島駅折り返し列車は少なく、佐屋駅も「津島線」の駅として扱われることも多い。
  2. ^ 例:本線豊橋駅の事故の影響で津島線が遅れる、など。
  3. ^ 2023年3月改正から2024年3月改正まで5000系での運用もごく僅かにあった
  4. ^ 2023年3月改正まで犬山経由岐阜発、2023年3月改正から2024年3月改正まで新鵜沼発。
  5. ^ 2023年3月改正まで犬山経由岐阜・新可児発。
  6. ^ 今伊勢駅石刀駅黒田駅木曽川堤駅茶所駅
  7. ^ 2009年度末に7000番台車両の運転は終了したが、ほぼ同性能で最高速度110km/hの5700系・5300系が2019年度まで残存していたためである(ただし、晩年には本線急行の定期運用からは離脱していた)。またダイヤ面では、豊橋発着の急行について近年3000番台車両の限定運用を前提に、本線東部の一部区間で余裕時分を削減している。
  8. ^ 両駅とも通過の場合を含めると、ダイヤ(列車運行図表)から読み取れる範囲では、1997年当時下りの現在の快速特急に当たる特急が矢作橋駅 - 新安城駅間を3分0秒、伊奈駅 - 国府駅間を2分25秒で走破しており、平均速度はそれぞれ116.0km/h、114.2km/hとなる。2010年現在は前者が3分05秒となり112.9km/h、後者は不変である。
  9. ^ 製作された高架化の完成予想模型においては、JR線高架橋の橋脚を挟んで単線の高架線路が2本引かれている(実際の単線区間にあるJR線の橋脚も東側にあるものは水平側の梁が省略されており、空間自体は確保されていることがうかがえる)。
  10. ^ 岐阜行きの列車については2023年3月のダイヤ改正で一宮経由に統一されている。
  11. ^ 東海道線が東海道からはずれたルートを採用したことについては、「宿場町が反対した」という説明がしばしばなされるが、実際には裏付ける根拠に乏しく、むしろ当時の技術的制約が理由である可能性が高い。当時蒸気機関車牽引列車のみであった東海道本線の最急勾配が10‰に抑制されたのに対し、当線の名電赤坂駅 - 東岡崎駅間では16.7‰ (1/60) とされた。なお、開業時期の早い知立以西では20‰である。御油宿岡崎駅鉄道と政治#鉄道忌避伝説の項目も参照のこと。
  12. ^ 鉄道省編『鉄道停車場一覧』(昭和12年10月1日現在、国立国会図書館デジタルコレクション)では9月1日開業とされているが、『官報』(1927年6月11日、同上)には6月1日の伊奈 - 吉田間営業開始の項目にて「伊奈(旣設驛)」と記され、開業時点で既に存在したことになっている。
  13. ^ 神宮前駅 - 新名古屋駅間の閉塞信号機の呼称は東西「連絡線」を表す「連xx」となっている(複々線区間は外線が「連豊xx」・内線が「連常xx」)。ちなみに平井信号場 - 神宮前駅間は豊橋線に由来する「豊xx」、名古屋駅 - 岐阜駅間は名岐線の「名xx」である。
  14. ^ この区間には戦前から日本車輌製造本社工場(1983年閉鎖)や熱田兵器廠(戦後は中京倉庫が進出)があり、神宮前駅との間に貨物専用線が存在した。
  15. ^ 神宮前駅南方に国鉄・名鉄貨物授受側線があり、そこより神宮前駅構内を経由し各社専用線へ繋がっていた[28]

出典

  1. ^ a b c d e 徳田耕一『名古屋鉄道 今昔―不死鳥「パノラマカー」の功績』交通新聞社〈交通新聞社新書〉、2017年8月、22頁。ISBN 978-4330819174 
  2. ^ 「迷駅」名鉄名古屋駅のカオス ゆえの工夫が面白い! 行先編成種別バラバラ列車たち”. 乗りものニュース. 2023年1月12日閲覧。
  3. ^ 名鉄名古屋(NH36) 路線一覧”. 乗換案内・時刻表検索. 名古屋鉄道. 2023年1月12日閲覧。
  4. ^ a b 名鉄120年史編纂委員会事務局(編)『名鉄120年:近20年のあゆみ』名古屋鉄道、2014年、159頁。 
  5. ^ 渡利正彦「岐阜駅から見た名鉄の印象」『鉄道ピクトリアル』第816巻、電気車研究会、2009年3月、166頁。 
  6. ^ a b c d e f g 日本鉄道旅行地図帳 追加・訂補 7号 東海 - 鉄道フォーラム
  7. ^ 「軽便鉄道停車場名改称」『官報』1916年2月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 鉄道院監督局『鉄道免許・名古屋鉄道(元美濃電気軌道)1・明治45年~大正5年』 「52. 笠松停車場新駅使用開始届」
  9. ^ 鉄道院監督局・鉄道省監督局『鉄道免許・竹鼻鉄道(名古屋鉄道)2・大正10年~昭和4年』 「14. 共同使用停車場竣功の件」
  10. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1928年2月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ a b 『官報』1930年11月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 渡利正彦「岐阜駅から見た名鉄の印象」、『鉄道ピクトリアル』第816巻、電気車研究会、2009年3月、 168頁。
  13. ^ 『名古屋鉄道百年史』 pp.743-744
  14. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1917年3月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  15. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1917年5月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  16. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年4月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  17. ^ 「地方鉄道運輸開始並営業哩程変更」『官報』1923年6月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  18. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年8月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  19. ^ a b 藤井建「岡崎を中心とした名鉄電車こぼれ話」『鉄道ピクトリアル』第816巻、電気車研究会、2009年3月、162頁。 
  20. ^ 『名古屋鉄道百年史』 p.944
  21. ^ 『名古屋鉄道百年史』 p.946
  22. ^ 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 7号、新潮社、2008年、42頁。ISBN 978-4107900258 
  23. ^ 川島令三「<図解>日本三大都市 未完の鉄道路線 - 昭和から平成へ、東京・大阪・名古屋の未来を変える計画の真実」 - 講談社+α文庫2008年(平成20年)10月20日第1刷発行 (ISBN 406281238X / ISBN 978-4062812382)
  24. ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、982頁。 
  25. ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、984頁。 
  26. ^ a b c d e 清水武、田中義人、澤内一晃『名古屋鉄道の貨物輸送』フォト・パブリッシング、2021年、268頁。ISBN 978-4802132701 
  27. ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、1018頁。 
  28. ^ 清水武、田中義人、澤内一晃『名古屋鉄道の貨物輸送』フォト・パブリッシング、2021年、93頁。ISBN 978-4802132701 
  29. ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、1038頁。 
  30. ^ “名古屋本線 神宮前-金山間 複々線化工事が完成”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1990年4月7日) 
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