キミ・ライコネン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/07 07:01 UTC 版)
F1引退後
2022年1月、モトクロス世界選手権に参戦するカワサキ・レーシングのチーム代表に就任することが発表された[103]。
同年5月26日、8月に開催されるNASCARカップシリーズ第25戦のワトキンズグレン戦にトラックハウス・レーシングの国際ドライバー招待枠『PROJECT 91』からスポット参戦することが発表された[104]。NASCAR参戦は11年ぶりだが、カップ・シリーズは初めてとなる。91号車シボレー・カマロZL1をドライブし、予選27番手から8番手まで順位を上げるも44周目に接触からコース外に弾かれてリタイアとなった。[105]
2023年3月27日、前年と同じ体制でサーキット・オブ・ジ・アメリカズで行われたNASCARカップ・シリーズ第6戦に参戦。22番手でスタートし、レース終盤4番手にまで上げるもののイエローコーションからの再開時にインシデントに巻き込まれるような形でスピンを喫し27位でゴールしたが、タイム加算ペナルティを受け最終的に29位となった。このレースではジェンソン・バトンがNASCARカップ・シリーズにデビューしており、二人の元F1ワールドチャンピオンが揃って出場するレースとなった。[106][107]
人物・エピソード
基礎情報
- 身長175cm 体重71kg 血液型はA型[108]。
- 2004年に元ミス・スカンジナビアのモデル、ジェンニ・ダールマンと結婚。2013年にはフィンランドのタブロイド紙に離婚報道が載せられた[109]。その後正式に離婚。
- 2015年にはファッションモデル、ミント・ビルタネンとの間に長男ロビンが生まれた。長らく事実婚状態だったが、[110]2016年イタリアのトスカナで少人数の関係者の下挙式。ミント・ライコネンと改姓した。国際映像でも頻繁に映されている。2017年に長女リアンナが誕生[111]。
- 兄はラリードライバーのラミ・ライコネン。その息子で、キミの甥にあたるユストゥス・ライコネンもラリードライバーを志しており、2022年に17歳でラリー・フィンランド史上最年少で参戦した。キミはユストゥスの名付け親でもあり、幼い頃から彼をたいへん可愛がった[112]。
評価
- ロータス(2016年よりハース)でロマン・グロージャンの担当エンジニアを務めた小松礼雄によると「多くは語らないが必要な事を的確に言ってくれる。フィードバックは常に冷静である。ライコネンが言った事をやれば必ず結果につなげてくる。その逆がハイドフェルドで、重要ではないことを細かく指摘してくるが、結果は変わらなかった」と述べている。またかつてフェラーリに在籍していた浜島裕英も「勝つために実にいいことを指摘してくれる」と語っている[113]。
性格・言動
- 常にクールで無口な性格からニックネームは「アイスマン」。2002年にマクラーレンに移籍した際、チーム代表のロン・デニスによって命名された[114]。
- 相当なマイペースな性格[115]で知られる。しかしその一方でレースに賭ける姿勢は非常に情熱的である、とF1デビュー以来のトレーナーは証言している[116]。
- トラブルやアクシデントで好機を逃した時でさえマシンやチームに対して批判せず「望んでいたポジションじゃない」などと事務的な口調を取る[117]。
- 自身久しぶりとなるポールポジションを獲得した2018年イタリアグランプリの予選後もライコネン自身は表情を変えなかったのに対し、ミントゥ夫人は涙を流して喜んだ[118]。
- 雑誌などのインタビューでも口数が少なく、ボソボソとした喋り方や、あまり英語の滑舌が良くないことから「記者泣かせ」と揶揄される。フェラーリ復帰後は度々国際無線で彼の大きなだみ声の英語が聞かれる。
- 母親のパウラによれば、子供の頃から常に自分のやり方を貫いており、いったん何かを決意すれば、誰もそれを変えることはできないという[114]。
- フェラーリでチームメイトだったフェリペ・マッサは「キミとはうまくやれたと思うけど、何というか、友情はおろか人と人の関係が皆無だったよ。彼は自分の世界に引きこもって、他人のことにまるで関心を示さないんだ」と振り返っている[119]。またロータスで2年間チームメイトだったロマン・グロージャンは、「僕らは付き合いがないんだ」「だからさ、スパ(ベルギーGP)でキミから“子どもの誕生おめでとう”って言われたときはびっくりしたよ。だって、この2年間でキミが僕に言ったのはそれだけだったからね」と語っている[120]。
- 基本的に他のF1ドライバーとの交友はないが、フェラーリでコンビを組んだこともあるセバスチャン・ベッテルとは公式会見などでも度々仲の良さを垣間見せており[121]、スイスの住まいが近く、たまにバドミントンをして楽しむ仲である。ライコネン自身もベッテルとの関係を「友情」と認めている[122]。他にもアルファロメオでのチームメイトであるアントニオ・ジョヴィナッツィとも友人であると公言している[123]。
- F1ドライバーの選手会組織であるグランプリ・ドライバーズ・アソシエーション(GPDA)に対して距離を置いており、F1参戦開始から15年以上経過した2017年12月になるまでGPDAに未加入だった[124]。なおその理由は明らかにされていない。
- 近年のF1では政治的な駆け引きが頻繁に発生するが、彼はそのような動向にはほとんど興味をもっていない。また新レギュレーションでレースに関わる動向で他のドライバーの間で賛否両論が出た時も、彼の場合は、やはり「様子を見てみよう」で締めることが多い。
- 2012年に初開幕されたインドグランプリ前に「シミュレーターから学ぶことは一つもない」と述べており、シミュレーターでの作業を敬遠している。
- 2006年ブラジルグランプリのレース前、ダミーグリッド上でマーティン・ブランドルからインタビューを受けた際、シューマッハへの引退記念トロフィー授与式を欠席した理由を聞かれると"I was having a s**t"(用を足していた)と放送禁止用語で答えてブランドルを困惑させた[125]。
- 2012年アブダビグランプリでも表彰台インタビューでベッテルとともに放送禁止用語を使ってしまい、司会のデビッド・クルサードが視聴者へ謝罪した。国際自動車連盟 (FIA) は各チームへ書簡を送り、ドライバーにプロとしての自覚を持つよう指導した[126]。
- 2012年ドイツグランプリが開催されたホッケンハイムのパドック駐車場のフェンスを乗り越えようとして転倒した瞬間を写真に収められた。「キミは急いでいたんだよ。駐車場へ近道しようとしていたからね」。このほか「右足がフェンスに引っかかり、車の上に倒れ、彼は“f**k”と大声で叫んで、すぐに起き上がって駐車場を後にした」とも報じられた[127]。
- 2018年には自伝となる書籍『Tuntematon Kimi Räikkönen』(カリ・ホタカイネン(Kari Hotakainen)著、SILTALA社)がフィンランドで発売され[128]、その後各国で翻訳版が発売されている(英語版のタイトルは『The Unknown Kimi Raikkonen』)。フィンランドでは「2018年におけるダントツのベストセラー」となった[129]。日本語版は『知られざる キミ・ライコネン』のタイトルで三栄書房から発売されている[130]。
趣味・嗜好
- 現代のF1ドライバーとしては非常に珍しい喫煙者である。これまでライコネンが喫煙する古い画像が何度かインターネット上に流出していたが、最新のものは2014年の日付である[131][132]。
- 大の酒好きとしても知られ、表彰台でのシャンパンファイトでは、まずシャンパンを一口飲んでから参加する。大逆転でワールドチャンピオンを勝ち取った2007年最終戦ブラジルグランプリでは、表彰台に上がった途端にシャンパンを口にした。宗教上の理由からシャンパンの代わりにローズウォーターを使用するバーレーングランプリの表彰台では、一口含んだ後はすぐにボトルを渡してしまった。
- 2004年のシーズンオフには酔って大騒ぎし、歩道に寝転んでいる写真が新聞に掲載された[133]。
- 2006年モナコグランプリではリタイヤ後にピットへ戻らず、港に停泊している自身の所有するクルーザーに乗り込み、水着姿で飲酒をしながら観戦している姿が国際放送で映し出された。
- 2008年ハンガリーグランプリではライコネン3位、同郷のヘイキ・コバライネンが優勝したが、この時2人ともシャンパンを一口飲んでからシャンパンファイトに参加していた。
- ドイツの「ビルド・アム・ゾンタック」によると、2006年ハンガリーグランプリ後に催されたレッドブルのパーティーに出席し、酒に酔って7,500ドル以上入った財布と、運転免許証とパスポートを紛失したと報道された[134]が、イタリアの「ガゼッタ・デロ・スポルト」によると、パーティー後に飲酒運転で摘発され、7,500ドルは罰金で、運転免許証とパスポートは没収されたと伝えられている[135]。しかし、レッドブルの発表によると、ライコネンはパーティーに出席すらしていないらしい。
- 2012年アブダビグランプリでは優勝後にチームスタッフと記念写真を撮った際、ビール瓶片手にポーズをとり、「イスラム教国家において、公にアルコール飲料でお祝いすることは不適切である」と批判された[136]。
- 2016年スペイングランプリでは2位表彰台に乗り、3位はチームメイトのベッテル。シャンパンファイトが始まると2人同時にシャンパンを一口飲み、それから通常のシャンパンファイトを行った。2008年ハンガリーグランプリにてコバライネンと同時に飲んだ時から実に8年ぶりである。
- 2018年ロシアグランプリにてメルセデスのバルテリ・ボッタスは優勝が確実視される中、最終的にチームオーダー発令により勝利を手放した。ライコネンは失意のボッタスに対し「ビールでも飲んで忘れろ」とアドバイスした[137]。
- このライコネンの酒好きのエピソードはF1速報で連載されているグランプリ天国でもマクラーレンに移籍した2002年からこのネタが度々登場しているほどである。
- 2007年シーズン開幕前、地元フィンランドのスノーモービルレースに「ジェームス・ハント」名を使って出走し優勝した[138]。シーズン中には地元のパワーボートレースにゴリラの着ぐるみで変装して参加した[139]。また、2009年シーズン開幕前にもスノーモービルレースに出走し優勝している。
- 2012年モナコグランプリではジェームス・ハント仕様のヘルメットを使用して参戦した[140]。翌2013年の同グランプリにはジェームス・ハントをデザインしたヘルメットを使用している[141]。また、2006年の同グランプリではスポンサー活動の一環により、600個のダイヤモンドが埋め込まれた特注ヘルメットを使用した[142]。
- 2011年12月にスノーモービル・レースに参加し、転倒して手首に軽傷を負ったと公表された[143]。しかし、実際には転倒時に骨折していたことが開幕前のテレビ番組出演時に明かされた[144]。
愛車
- 人生で最初の車は、母親の友人からもらったラーダ。赤い車体を自分で黒く塗装していた。エンジンブローしても、父親がスペアのエンジンをたくさん持っていたので、必要になれば交換していたらしい[145]。
- 2007年イタリアグランプリでは「Iceman」のロゴが入ったバイクで現れた[146]。また、2007年度チャンピオンシップを優勝したことから「Iceman」を製造したドイツのヴァルツ・ハードコア社からカスタムメイドのチョッパー・バイク「Iceman II」を贈られた。「Iceman」は当時所属したマクラーレンに合わせて黒、「Iceman II」はフェラーリ・レッドとなっている[147]。
- 2007年の前半に自家用クルーザー『Sunseeker Predator 72』(価格は約350万ユーロ)を購入したが、岩礁に乗り上げた際に破損した。2008年の中旬に2台目の『Sunseeker Predator 108』(価格は約1,000万ユーロ)へ買い換えている[148]。
レースでの出来事
- スパ・フランコルシャンとは相性が良く、2004・2005・2007・2009と3連勝を含み4度優勝しており、リタイアに終わった2008年ではラスト2周までトップを走行していた(2006年は未開催)。またバーレーンGPも相性は良く、初開催の2004年はリタイアであったが、その後は2017年まで11回連続で入賞、さらに8回表彰台に上がっている(ただし、優勝は無い)。一方でドイツで開催されるグランプリでは極端に完走率が低い。ホッケンハイムでは2001年から2005年まで5年連続リタイア。2006年にようやく3位表彰台を獲得した。ニュルブルクリンクでも2005年の最終ラップに起きたアクシデントを含め、7回出走して5回リタイアしている。しかし2012年に再びF1に復帰して以降、引退までホッケンハイム、ニュルブルクリンク共に完走率100%を記録したため、F1キャリア二期目以降は、相性を取り戻した。
- 2005年イタリアグランプリ(モンツァ・サーキット)において、F1史上最高速度370.1km/hを記録している。
- 2001年のブラジルグランプリ。インテルラゴスサーキットの最終コーナーでコースアウトするも、咄嗟の判断でサポートレース用のピットレーンに飛び込み、そのままレーンを駆け抜け、大きなタイムロスをすることなくコースに復帰するという技を見せた。
- 2012年のブラジルグランプリ。11年前と同じコーナーでコースアウト。再びサポートレース用のピットレーンに飛び込むが、レーン出口へのゲートが閉鎖されていて、コースに復帰することができず、Uターンした後グラベルを突っ切ってコースに復帰した。[149]
- 2009年マレーシアグランプリが豪雨により赤旗中断された際、戦略ミスですでに15位まで順位を落としていたライコネンはマシンをピットに戻し再スタートしない方針を早々に決定したが、直後に着替えてパドックでチョコレートアイスクリームを食べている姿を国際映像に映し出された[150]。
- F1復帰後の初勝利となった2012年アブダビグランプリでは無線でのエンジニアとのやりとりが話題となった。セーフティカー導入中、確認事項を伝えるエンジニアに対してLeave me alone, I know what I'm doing(放っておいてくれ。自分がしていることは分かっている)、Yes yes yes, I'm doing all the time you don't have to remind every second(はい、はい、はい、はい、いつもやってるって。何度も繰り返さなくていい)と返答した[153][154]。後日、ライコネンはチームスタッフにこのフレーズが書かれたTシャツをプレゼントし[155]、チームの公式グッズとしても発売された。
- 2017年スペイングランプリではスタート直後の1コーナーでアクシデントに巻き込まれあっという間にリタイアとなってしまった。すると、ライコネンのリタイアに号泣するファンの男の子が国際映像に映し出された。これを見かねたフェラーリチームはその男の子を普段一般のファンは立ち入れないパドックに特別に招待し、ライコネン本人と対面させるサプライズを贈っている。このサプライズには世界中からライコネン、フェラーリチーム、ピットレーン入場を許可したF1オーナーのリバティ・メディアに称賛の声が相次いだ[156]。後にこのストーリーは2018年のローレウス賞にノーミネートされた[157]。
- 2018年イギリスグランプリではスタート直後にタイヤをロックさせてハミルトンに接触[158]、これに対してレース後ハミルトンが「フェラーリは”面白い戦術を採った”」、メルセデスチーム側が「意図的なのか、無能なのか」と発言するほど不快感を露わにし、更に自らの妻がこれに反論する[159]など、場外でヒートアップする一幕があったが、ライコネン自身はレース後「僕のミス、ペナルティを科されたのも当然」とコメント[160]、解説者として観戦していたニコ・ロズベルグも「(前戦オーストリアGPでも後ろに付けていたベッテルに全く譲る気配も無く2位を守り切ったように)キミは自分の為にレースをしている、彼にしては珍しいミスだが、故意は有り得ない」とコメントした[158] 。レース翌日、ハミルトンやメルセデスチームは前日の発言を撤回した[161]。
- 2014年のフェラーリ移籍後から2018年アメリカGPで優勝するまでの連続未勝利レース数は96戦に渡り、これは歴代のフェラーリドライバーにおいてワースト記録である。これまでの記録はフェリペ・マッサの86戦。
- 2018年アメリカGPでの優勝は2013年オーストラリアGP以来となる113戦ぶりの優勝となり、優勝の歴代最長ブランクを更新した。これまでの記録はリカルド・パトレーゼの99戦。またこの優勝により、V10・V8・V8+KERS・V6ハイブリッドの各エンジン/PUで優勝した唯一のドライバーとなった。[162]
- 2017年モナコGPでのポールポジションは2008年フランスGP以来約9年、129戦ぶりのポールポジションになった。[163]
チームオーナー
- マネージャーは、F1参戦前からディビッド・ロバートソン、スティーブ・ロバートソン親子。彼らは、ジェンソン・バトンを発掘した人物でもある。また、ライコネンと共同で「ライコネン・ロバートソン・レーシング」を2004年11月から運営し、イギリスF3に参戦。マイク・コンウェイ、ブルーノ・セナ、中嶋大祐、フェリペ・ナスル、マーカス・エリクソンらが在籍し、2006年にコンウェイがシリーズチャンピオンを獲得している。2010年シーズン末で株式をアンソニー・ハイアットに売却したが、「Double R Racing」の名で現在もBRDCイギリスF3、F4に参戦中である[164]。
- 2011年にはライコネン自身がオーナーを務める「ICE 1 Racing」を立ち上げ、2011年のみライコネンのドライブでWRCに参戦した。また設立当初から「ICE 1 Racing」にはモトクロス・チームも存在し、モトクロス世界選手権やフィンランドの選手権等に参戦している[165][166]。
その他
- 2010年にラリー・ジャパンへ参戦した際、千歳アウトレットモール・レラで行なわれたPRイベント「レッドブル・ライコネン・チャレンジ」に参加。モール内の特設コースにて一般参加者と電動カートでタイムアタック競争を行なった[167]。日本でのファンイベントに登場する珍しい機会とあって、女性ファンからの声援が多かった。
- 2012年のウィリアムズからのF1復帰に関して、その情報をリークさせたのは元F1ドライバーの井上隆智穂であった[168][169]。twitterでウィリアムズとライコネンの契約発言を行ったものの結局誤報となった。しかしその後にはロータス・ルノーGPから正式に復帰が発表されるおよそ6時間前に、twitterでライコネンがロータス・ルノーGPから復帰するという情報をリークさせた。
- フォーミュラ・ルノー時代に一年間の兵役義務が重なっていたが、レースのために70日間休みをもらえていた。兵役を頑張れば余分の休みがもらえたという。またAWOL(無許可離隊)で軍刑務所に短期間収監されたことがあり、ドニントンでのレースに間にあわせるため必死に軍幹部を説得した[170]。
- 兄であるラミ・ライコネンもレーシングドライバーであり、レーシングカートで活躍した後にラリーストに転向している。
レース戦績
略歴
年 | シリーズ | チーム | レース | 勝利 | PP | FL | 表彰台 | ポイント | 順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1999 | ヨーロッパ・フォーミュラ・フォード | ? | 2 | ? | ? | ? | ? | ? | 5位 |
フォーミュラ・フォード フェスティバル | コンチネンタル・レーシング・ヴァン・ディーメン | 1 | 0 | 0 | ? | ? | N/A | NC | |
フォーミュラ・ルノー2000 UK ウィンター・チャンピオンシップ | マノー・モータースポーツ | 4 | 4 | 4 | ? | ? | 40 | 1位 | |
フォーミュラ・ルノー2000 UK | ヘイウッド・レーシング | 4 | 0 | 0 | ? | ? | ? | ? | |
2000 | マノー・モータースポーツ | 10 | 7 | 6 | 7 | 10 | 316 | 1位 | |
フォーミュラ・ルノー2000 ユーロカップ | 2 | 2 | 1 | ? | ? | 62 | 7位 | ||
2001 | フォーミュラ1 | レッドブル・ザウバー・ペトロナス | 17 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 10位 |
2002 | ウエスト・マクラーレン・メルセデス | 17 | 0 | 0 | 1 | 4 | 24 | 6位 | |
2003 | 16 | 1 | 2 | 3 | 10 | 91 | 2位 | ||
2004 | 18 | 1 | 1 | 2 | 4 | 45 | 7位 | ||
2005 | ウエスト・マクラーレン・メルセデス チーム・マクラーレン・メルセデス |
19 | 7 | 5 | 10 | 12 | 112 | 2位 | |
2006 | チーム・マクラーレン・メルセデス | 18 | 0 | 3 | 3 | 6 | 65 | 5位 | |
2007 | スクーデリア・フェラーリ・マールボロ | 17 | 6 | 3 | 6 | 12 | 110 | 1位 | |
2008 | 18 | 2 | 2 | 10 | 9 | 75 | 3位 | ||
2009 | 17 | 1 | 0 | 0 | 5 | 48 | 6位 | ||
世界ラリー選手権 | トミ・マキネン・レーシング | 1 | 0 | - | - | 0 | 0 | NC | |
2010 | シトロエン・ジュニアチーム | 11 | 0 | - | - | 0 | 25 | 10位 | |
2011 | Ice 1 レーシング | 9 | 0 | - | - | 0 | 34 | 10位 | |
NASCAR キャンピング・ワールド・トラック・シリーズ | カイル・ブッシュ・モータースポーツ | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | NC | |
NASCAR ネイションワイド・シリーズ | NEMCO モータースポーツ | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | NC | |
2012 | フォーミュラ1 | ロータスF1チーム | 20 | 1 | 0 | 2 | 7 | 207 | 3位 |
2013 | 17 | 1 | 0 | 2 | 8 | 183 | 5位 | ||
2014 | スクーデリア・フェラーリ | 19 | 0 | 0 | 1 | 0 | 55 | 12位 | |
2015 | 19 | 0 | 0 | 2 | 3 | 150 | 4位 | ||
2016 | 21 | 0 | 0 | 1 | 4 | 186 | 6位 | ||
2017 | 20 | 0 | 1 | 2 | 7 | 205 | 4位 | ||
2018 | 21 | 1 | 1 | 1 | 12 | 251 | 3位 | ||
2019 | アルファロメオ・レーシング | 21 | 0 | 0 | 0 | 0 | 43 | 12位 | |
2020 | アルファロメオ・レーシング・オーレン | 17 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 16位 | |
2021 | 21 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 16位 | ||
2022 | NASCARカップ・シリーズ | トラックハウス・レーシング | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | NC |
2023 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | NC |
- * : 今シーズンの順位。(現時点)
フォーミュラ1
年 | エントラント | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | WDC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2001年 | ザウバー | C20 | ペトロナス 01A 3.0 V10 | AUS 6 |
MAL Ret |
BRA Ret |
SMR Ret |
ESP 8 |
AUT 4 |
MON 10 |
CAN 4 |
EUR 10 |
FRA 7 |
GBR 5 |
GER Ret |
HUN 7 |
BEL Ret |
ITA 7 |
USA Ret |
JPN Ret |
10位 | 9 | |||||
2002年 | マクラーレン | MP4-17 | メルセデス FO 110M 3.0 V10 | AUS 3 |
MAL Ret |
BRA 12 |
SMR Ret |
ESP Ret |
AUT Ret |
MON Ret |
CAN 4 |
EUR 3 |
GBR Ret |
FRA 2 |
GER Ret |
HUN 4 |
BEL Ret |
ITA Ret |
USA Ret |
JPN 3 |
6位 | 24 | |||||
2003年 | MP4-17D | メルセデス FO 110M/P 3.0 V10 | AUS 3 |
MAL 1 |
BRA 2 |
SMR 2 |
ESP Ret |
AUT 2 |
MON 2 |
CAN 6 |
EUR Ret |
FRA 4 |
GBR 3 |
GER Ret |
HUN 2 |
ITA 4 |
USA 2 |
JPN 2 |
2位 | 91 | |||||||
2004年 | MP4-19 | メルセデス FO 110Q 3.0 V10 | AUS Ret |
MAL Ret |
BHR Ret |
SMR 8 |
ESP 11 |
MON Ret |
EUR Ret |
CAN 5 |
USA 6 |
7位 | 45 | ||||||||||||||
MP4-19B | FRA 7 |
GBR 2 |
GER Ret |
HUN Ret |
BEL 1 |
ITA Ret |
CHN 3 |
JPN 6 |
BRA 2 |
||||||||||||||||||
2005年 | MP4-20 | メルセデス FO 110R 3.0 V10 | AUS 8 |
MAL 9 |
BHR 3 |
SMR Ret |
ESP 1 |
MON 1 |
EUR 11 |
CAN 1 |
USA DNS |
FRA 2 |
GBR 3 |
GER Ret |
HUN 1 |
TUR 1 |
ITA 4 |
BEL 1 |
BRA 2 |
JPN 1 |
CHN 2 |
2位 | 112 | ||||
2006年 | MP4-21 | メルセデス FO 108S 2.4 V8 | BHR 3 |
MAL Ret |
AUS 2 |
SMR 5 |
EUR 4 |
ESP 5 |
MON Ret |
GBR 3 |
CAN 3 |
USA Ret |
FRA 5 |
GER 3 |
HUN Ret |
TUR Ret |
ITA 2 |
CHN Ret |
JPN 5 |
BRA 5 |
5位 | 65 | |||||
2007年 | フェラーリ | F2007 | フェラーリ 056 2.4 V8 | AUS 1 |
MAL 3 |
BHR 3 |
ESP Ret |
MON 8 |
CAN 5 |
USA 4 |
FRA 1 |
GBR 1 |
EUR Ret |
HUN 2 |
TUR 2 |
ITA 3 |
BEL 1 |
JPN 3 |
CHN 1 |
BRA 1 |
1位 | 110 | |||||
2008年 | F2008 | AUS 8 |
MAL 1 |
BHR 2 |
ESP 1 |
TUR 3 |
MON 9 |
CAN Ret |
FRA 2 |
GBR 4 |
GER 6 |
HUN 3 |
EUR Ret |
BEL 18 |
ITA 9 |
SIN 15 |
JPN 3 |
CHN 3 |
BRA 3 |
3位 | 75 | ||||||
2009年 | F60 | AUS 15 |
MAL 14 |
CHN 10 |
BHR 6 |
ESP Ret |
MON 3 |
TUR 9 |
GBR 8 |
GER Ret |
HUN 2 |
EUR 3 |
BEL 1 |
ITA 3 |
SIN 10 |
JPN 4 |
BRA 6 |
ABU 12 |
6位 | 48 | |||||||
2012年 | ロータス | E20 | ルノー RS27-2012 2.4 V8 | AUS 7 |
MAL 5 |
CHN 14 |
BHR 2 |
ESP 3 |
MON 9 |
CAN 8 |
EUR 2 |
GBR 5 |
GER 3 |
HUN 2 |
BEL 3 |
ITA 5 |
SIN 6 |
JPN 6 |
KOR 5 |
IND 7 |
ABU 1 |
USA 6 |
BRA 10 |
3位 | 207 | ||
2013年 | E21 | ルノー RS27-2013 2.4 V8 | AUS 1 |
MAL 7 |
CHN 2 |
BHR 2 |
ESP 2 |
MON 10 |
CAN 9 |
GBR 5 |
GER 2 |
HUN 2 |
BEL Ret |
ITA 11 |
SIN 3 |
KOR 2 |
JPN 5 |
IND 7 |
ABU Ret |
USA |
BRA |
5位 | 183 | ||||
2014年 | フェラーリ | F14 T | フェラーリ 059/3 1.6 V6 t | AUS 7 |
MAL 12 |
BHR 10 |
CHN 8 |
ESP 7 |
MON 12 |
CAN 10 |
AUT 10 |
GBR Ret |
GER 11 |
HUN 6 |
BEL 4 |
ITA 9 |
SIN 8 |
JPN 12 |
RUS 9 |
USA 13 |
BRA 7 |
ABU 10 |
12位 | 55 | |||
2015年 | SF15-T | フェラーリ 060 1.6 V6 t | AUS Ret |
MAL 4 |
CHN 4 |
BHR 2 |
ESP 5 |
MON 6 |
CAN 4 |
AUT Ret |
GBR 8 |
HUN Ret |
BEL 7 |
ITA 5 |
SIN 3 |
JPN 4 |
RUS 8 |
USA Ret |
MEX Ret |
BRA 4 |
ABU 3 |
4位 | 150 | ||||
2016年 | SF16-H | フェラーリ 061 1.6 V6 t | AUS Ret |
BHR 2 |
CHN 5 |
RUS 3 |
ESP 2 |
MON Ret |
CAN 6 |
EUR 4 |
AUT 3 |
GBR 5 |
HUN 6 |
GER 6 |
BEL 9 |
ITA 4 |
SIN 4 |
MAL 4 |
JPN 5 |
USA Ret |
MEX 6 |
BRA Ret |
ABU 6 |
6位 | 186 | ||
2017年 | SF70H | フェラーリ 062 1.6 V6 t | AUS 4 |
CHN 5 |
BHR 4 |
RUS 3 |
ESP Ret |
MON 2 |
CAN 7 |
AZE 14† |
AUT 5 |
GBR 3 |
HUN 2 |
BEL 4 |
ITA 5 |
SIN Ret |
MAL DNS |
JPN 5 |
USA 3 |
MEX 3 |
BRA 3 |
ABU 4 |
4位 | 205 | |||
2018年 | SF71H | フェラーリ 062 EVO 1.6 V6 t | AUS 3 |
BHR Ret |
CHN 3 |
AZE 2 |
ESP Ret |
MON 4 |
CAN 6 |
FRA 3 |
AUT 2 |
GBR 3 |
GER 3 |
HUN 3 |
BEL Ret |
ITA 2 |
SIN 5 |
RUS 4 |
JPN 5 |
USA 1 |
MEX 3 |
BRA 3 |
ABU Ret |
3位 | 251 | ||
2019年 | アルファロメオ | C38 | フェラーリ 064 1.6 V6 t | AUS 8 |
BHR 7 |
CHN 9 |
AZE 10 |
ESP 14 |
MON 17 |
CAN 15 |
FRA 7 |
AUT 9 |
GBR 8 |
GER 12 |
HUN 7 |
BEL 16 |
ITA 15 |
SIN Ret |
RUS 13 |
JPN 12 |
MEX Ret |
USA 11 |
BRA 4 |
ABU 13 |
12位 | 43 | |
2020年 | C39 | フェラーリ 065 1.6 V6 t | AUT Ret |
STY 11 |
HUN 15 |
GBR 17 |
70A 15 |
ESP 14 |
BEL 12 |
ITA 13 |
TUS 9 |
RUS 14 |
EIF 12 |
POR 11 |
EMI 9 |
TUR 15 |
BHR 15 |
SKH 14 |
ABU 12 |
16位 | 4 | ||||||
2021年 | C41 | フェラーリ 065/6 1.6 V6 t | BHR 11 |
EMI 13 |
POR Ret |
ESP 12 |
MON 11 |
AZE 10 |
FRA 17 |
STY 11 |
AUT 15 |
GBR 1513 |
HUN 10 |
BEL 18 |
NED WD |
ITA | RUS 8 |
TUR 12 |
USA 13 |
MXC 8 |
SÃO 1213 |
QAT 14 |
SAU 15 |
ABU Ret |
16位 | 10 |
WRC
年 | エントラント | 車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | WDC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2009年 | トミ・マキネン・レーシング | フィアット・グランデ・プント S2000 | IRE | NOR | CYP | POR | ARG | ITA | GRC | POL | FIN Ret |
AUS | ESP | GBR | NC | 0 | |
2010年 | シトロエン・ジュニアチーム | シトロエン・C4 WRC | SWE 29 |
MEX Ret |
JOR 8 |
TUR 5 |
NZL | POR 10 |
BUL 11 |
FIN 25 |
DEU 7 |
JPN Ret |
FRA Ret |
ESP DNS |
GBR 8 |
10位 | 25 |
2011年 | ICE 1 レーシング | シトロエン・DS3 WRC | SWE 8 |
MEX |
POR 7 |
JOR 6 |
ITA |
ARG |
GRC 7 |
FIN 9 |
DEU 6 |
AUS WD |
FRA Ret |
ESP Ret |
GBR Ret |
10位 | 34 |
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