キミ・ライコネン F1引退後

キミ・ライコネン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/07 07:01 UTC 版)

F1引退後

2022年1月、モトクロス世界選手権に参戦するカワサキ・レーシングのチーム代表に就任することが発表された[103]

同年5月26日、8月に開催されるNASCARカップシリーズ第25戦のワトキンズグレン戦にトラックハウス・レーシングの国際ドライバー招待枠『PROJECT 91』からスポット参戦することが発表された[104]。NASCAR参戦は11年ぶりだが、カップ・シリーズは初めてとなる。91号車シボレー・カマロZL1をドライブし、予選27番手から8番手まで順位を上げるも44周目に接触からコース外に弾かれてリタイアとなった。[105]

2023年3月27日、前年と同じ体制でサーキット・オブ・ジ・アメリカズで行われたNASCARカップ・シリーズ第6戦に参戦。22番手でスタートし、レース終盤4番手にまで上げるもののイエローコーションからの再開時にインシデントに巻き込まれるような形でスピンを喫し27位でゴールしたが、タイム加算ペナルティを受け最終的に29位となった。このレースではジェンソン・バトンがNASCARカップ・シリーズにデビューしており、二人の元F1ワールドチャンピオンが揃って出場するレースとなった。[106][107]

人物・エピソード

基礎情報

  • 身長175cm 体重71kg 血液型はA型[108]
  • 2004年に元ミス・スカンジナビアのモデル、ジェンニ・ダールマンと結婚。2013年にはフィンランドのタブロイド紙に離婚報道が載せられた[109]。その後正式に離婚。
  • 2015年にはファッションモデル、ミント・ビルタネンとの間に長男ロビンが生まれた。長らく事実婚状態だったが、[110]2016年イタリアのトスカナで少人数の関係者の下挙式。ミント・ライコネンと改姓した。国際映像でも頻繁に映されている。2017年に長女リアンナが誕生[111]
  • 兄はラリードライバーのラミ・ライコネン。その息子で、キミの甥にあたるユストゥス・ライコネンもラリードライバーを志しており、2022年に17歳でラリー・フィンランド史上最年少で参戦した。キミはユストゥスの名付け親でもあり、幼い頃から彼をたいへん可愛がった[112]

評価

  • ロータス(2016年よりハース)でロマン・グロージャンの担当エンジニアを務めた小松礼雄によると「多くは語らないが必要な事を的確に言ってくれる。フィードバックは常に冷静である。ライコネンが言った事をやれば必ず結果につなげてくる。その逆がハイドフェルドで、重要ではないことを細かく指摘してくるが、結果は変わらなかった」と述べている。またかつてフェラーリに在籍していた浜島裕英も「勝つために実にいいことを指摘してくれる」と語っている[113]

性格・言動

  • 常にクールで無口な性格からニックネームは「アイスマン」。2002年にマクラーレンに移籍した際、チーム代表のロン・デニスによって命名された[114]
  • 相当なマイペースな性格[115]で知られる。しかしその一方でレースに賭ける姿勢は非常に情熱的である、とF1デビュー以来のトレーナーは証言している[116]
  • トラブルやアクシデントで好機を逃した時でさえマシンやチームに対して批判せず「望んでいたポジションじゃない」などと事務的な口調を取る[117]
  • 自身久しぶりとなるポールポジションを獲得した2018年イタリアグランプリの予選後もライコネン自身は表情を変えなかったのに対し、ミントゥ夫人は涙を流して喜んだ[118]
  • 雑誌などのインタビューでも口数が少なく、ボソボソとした喋り方や、あまり英語の滑舌が良くないことから「記者泣かせ」と揶揄される。フェラーリ復帰後は度々国際無線で彼の大きなだみ声の英語が聞かれる。
  • 母親のパウラによれば、子供の頃から常に自分のやり方を貫いており、いったん何かを決意すれば、誰もそれを変えることはできないという[114]
  • フェラーリでチームメイトだったフェリペ・マッサは「キミとはうまくやれたと思うけど、何というか、友情はおろか人と人の関係が皆無だったよ。彼は自分の世界に引きこもって、他人のことにまるで関心を示さないんだ」と振り返っている[119]。またロータスで2年間チームメイトだったロマン・グロージャンは、「僕らは付き合いがないんだ」「だからさ、スパ(ベルギーGP)でキミから“子どもの誕生おめでとう”って言われたときはびっくりしたよ。だって、この2年間でキミが僕に言ったのはそれだけだったからね」と語っている[120]
  • 基本的に他のF1ドライバーとの交友はないが、フェラーリでコンビを組んだこともあるセバスチャン・ベッテルとは公式会見などでも度々仲の良さを垣間見せており[121]、スイスの住まいが近く、たまにバドミントンをして楽しむ仲である。ライコネン自身もベッテルとの関係を「友情」と認めている[122]。他にもアルファロメオでのチームメイトであるアントニオ・ジョヴィナッツィとも友人であると公言している[123]
  • F1ドライバーの選手会組織であるグランプリ・ドライバーズ・アソシエーション(GPDA)に対して距離を置いており、F1参戦開始から15年以上経過した2017年12月になるまでGPDAに未加入だった[124]。なおその理由は明らかにされていない。
  • 近年のF1では政治的な駆け引きが頻繁に発生するが、彼はそのような動向にはほとんど興味をもっていない。また新レギュレーションでレースに関わる動向で他のドライバーの間で賛否両論が出た時も、彼の場合は、やはり「様子を見てみよう」で締めることが多い。
  • 2012年に初開幕されたインドグランプリ前に「シミュレーターから学ぶことは一つもない」と述べており、シミュレーターでの作業を敬遠している。
  • 2006年ブラジルグランプリのレース前、ダミーグリッド上でマーティン・ブランドルからインタビューを受けた際、シューマッハへの引退記念トロフィー授与式を欠席した理由を聞かれると"I was having a s**t"(用を足していた)と放送禁止用語で答えてブランドルを困惑させた[125]
    • 2012年アブダビグランプリでも表彰台インタビューでベッテルとともに放送禁止用語を使ってしまい、司会のデビッド・クルサードが視聴者へ謝罪した。国際自動車連盟 (FIA) は各チームへ書簡を送り、ドライバーにプロとしての自覚を持つよう指導した[126]
  • 2012年ドイツグランプリが開催されたホッケンハイムのパドック駐車場のフェンスを乗り越えようとして転倒した瞬間を写真に収められた。「キミは急いでいたんだよ。駐車場へ近道しようとしていたからね」。このほか「右足がフェンスに引っかかり、車の上に倒れ、彼は“f**k”と大声で叫んで、すぐに起き上がって駐車場を後にした」とも報じられた[127]
  • 2018年には自伝となる書籍『Tuntematon Kimi Räikkönen』(カリ・ホタカイネン(Kari Hotakainen)著、SILTALA社)がフィンランドで発売され[128]、その後各国で翻訳版が発売されている(英語版のタイトルは『The Unknown Kimi Raikkonen』)。フィンランドでは「2018年におけるダントツのベストセラー」となった[129]。日本語版は『知られざる キミ・ライコネン』のタイトルで三栄書房から発売されている[130]

趣味・嗜好

  • 現代のF1ドライバーとしては非常に珍しい喫煙者である。これまでライコネンが喫煙する古い画像が何度かインターネット上に流出していたが、最新のものは2014年の日付である[131][132]
  • 大の酒好きとしても知られ、表彰台でのシャンパンファイトでは、まずシャンパンを一口飲んでから参加する。大逆転でワールドチャンピオンを勝ち取った2007年最終戦ブラジルグランプリでは、表彰台に上がった途端にシャンパンを口にした。宗教上の理由からシャンパンの代わりにローズウォーターを使用するバーレーングランプリの表彰台では、一口含んだ後はすぐにボトルを渡してしまった。
    • 2004年のシーズンオフには酔って大騒ぎし、歩道に寝転んでいる写真が新聞に掲載された[133]
    • 2006年モナコグランプリではリタイヤ後にピットへ戻らず、港に停泊している自身の所有するクルーザーに乗り込み、水着姿で飲酒をしながら観戦している姿が国際放送で映し出された。
    • 2008年ハンガリーグランプリではライコネン3位、同郷のヘイキ・コバライネンが優勝したが、この時2人ともシャンパンを一口飲んでからシャンパンファイトに参加していた。
    • ドイツの「ビルド・アム・ゾンタック」によると、2006年ハンガリーグランプリ後に催されたレッドブルのパーティーに出席し、酒に酔って7,500ドル以上入った財布と、運転免許証とパスポートを紛失したと報道された[134]が、イタリアの「ガゼッタ・デロ・スポルト」によると、パーティー後に飲酒運転で摘発され、7,500ドルは罰金で、運転免許証とパスポートは没収されたと伝えられている[135]。しかし、レッドブルの発表によると、ライコネンはパーティーに出席すらしていないらしい。
    • 2012年アブダビグランプリでは優勝後にチームスタッフと記念写真を撮った際、ビール瓶片手にポーズをとり、「イスラム教国家において、公にアルコール飲料でお祝いすることは不適切である」と批判された[136]
    • 2016年スペイングランプリでは2位表彰台に乗り、3位はチームメイトのベッテル。シャンパンファイトが始まると2人同時にシャンパンを一口飲み、それから通常のシャンパンファイトを行った。2008年ハンガリーグランプリにてコバライネンと同時に飲んだ時から実に8年ぶりである。
    • 2018年ロシアグランプリにてメルセデスのバルテリ・ボッタスは優勝が確実視される中、最終的にチームオーダー発令により勝利を手放した。ライコネンは失意のボッタスに対し「ビールでも飲んで忘れろ」とアドバイスした[137]
    • このライコネンの酒好きのエピソードはF1速報で連載されているグランプリ天国でもマクラーレンに移籍した2002年からこのネタが度々登場しているほどである。
  • 2007年シーズン開幕前、地元フィンランドのスノーモービルレースに「ジェームス・ハント」名を使って出走し優勝した[138]。シーズン中には地元のパワーボートレースにゴリラの着ぐるみで変装して参加した[139]。また、2009年シーズン開幕前にもスノーモービルレースに出走し優勝している。
  • 2012年モナコグランプリではジェームス・ハント仕様のヘルメットを使用して参戦した[140]。翌2013年の同グランプリにはジェームス・ハントをデザインしたヘルメットを使用している[141]。また、2006年の同グランプリではスポンサー活動の一環により、600個のダイヤモンドが埋め込まれた特注ヘルメットを使用した[142]
  • 2011年12月にスノーモービル・レースに参加し、転倒して手首に軽傷を負ったと公表された[143]。しかし、実際には転倒時に骨折していたことが開幕前のテレビ番組出演時に明かされた[144]

愛車

  • 人生で最初の車は、母親の友人からもらったラーダ。赤い車体を自分で黒く塗装していた。エンジンブローしても、父親がスペアのエンジンをたくさん持っていたので、必要になれば交換していたらしい[145]
  • 2007年イタリアグランプリでは「Iceman」のロゴが入ったバイクで現れた[146]。また、2007年度チャンピオンシップを優勝したことから「Iceman」を製造したドイツのヴァルツ・ハードコア社からカスタムメイドのチョッパー・バイク「Iceman II」を贈られた。「Iceman」は当時所属したマクラーレンに合わせて黒、「Iceman II」はフェラーリ・レッドとなっている[147]
  • 2007年の前半に自家用クルーザー『Sunseeker Predator 72』(価格は約350万ユーロ)を購入したが、岩礁に乗り上げた際に破損した。2008年の中旬に2台目の『Sunseeker Predator 108』(価格は約1,000万ユーロ)へ買い換えている[148]

レースでの出来事

  • スパ・フランコルシャンとは相性が良く、2004・2005・2007・2009と3連勝を含み4度優勝しており、リタイアに終わった2008年ではラスト2周までトップを走行していた(2006年は未開催)。またバーレーンGPも相性は良く、初開催の2004年はリタイアであったが、その後は2017年まで11回連続で入賞、さらに8回表彰台に上がっている(ただし、優勝は無い)。一方でドイツで開催されるグランプリでは極端に完走率が低い。ホッケンハイムでは2001年から2005年まで5年連続リタイア。2006年にようやく3位表彰台を獲得した。ニュルブルクリンクでも2005年の最終ラップに起きたアクシデントを含め、7回出走して5回リタイアしている。しかし2012年に再びF1に復帰して以降、引退までホッケンハイム、ニュルブルクリンク共に完走率100%を記録したため、F1キャリア二期目以降は、相性を取り戻した。
  • 2005年イタリアグランプリモンツァ・サーキット)において、F1史上最高速度370.1km/hを記録している。
  • 2001年のブラジルグランプリ。インテルラゴスサーキットの最終コーナーでコースアウトするも、咄嗟の判断でサポートレース用のピットレーンに飛び込み、そのままレーンを駆け抜け、大きなタイムロスをすることなくコースに復帰するという技を見せた。
    • 2012年のブラジルグランプリ。11年前と同じコーナーでコースアウト。再びサポートレース用のピットレーンに飛び込むが、レーン出口へのゲートが閉鎖されていて、コースに復帰することができず、Uターンした後グラベルを突っ切ってコースに復帰した。[149]
  • 2009年マレーシアグランプリが豪雨により赤旗中断された際、戦略ミスですでに15位まで順位を落としていたライコネンはマシンをピットに戻し再スタートしない方針を早々に決定したが、直後に着替えてパドックでチョコレートアイスクリームを食べている姿を国際映像に映し出された[150]
    • 2012年マレーシアグランプリではロータス公式のリリース文章とともに、プレス関係者にチョコレートアイスクリームをプレゼントした[151]。さらに2013年シーズンの開幕戦メルボルンにて、チョコレートアイスクリームを模したUSBメモリをプレス関係者にプレゼントしている[152]。これらはロータスの広報担当がライコネンのキャラクターを活かして企画したもの。
  • F1復帰後の初勝利となった2012年アブダビグランプリでは無線でのエンジニアとのやりとりが話題となった。セーフティカー導入中、確認事項を伝えるエンジニアに対してLeave me alone, I know what I'm doing(放っておいてくれ。自分がしていることは分かっている)、Yes yes yes, I'm doing all the time you don't have to remind every second(はい、はい、はい、はい、いつもやってるって。何度も繰り返さなくていい)と返答した[153][154]。後日、ライコネンはチームスタッフにこのフレーズが書かれたTシャツをプレゼントし[155]、チームの公式グッズとしても発売された。
  • 2017年スペイングランプリではスタート直後の1コーナーでアクシデントに巻き込まれあっという間にリタイアとなってしまった。すると、ライコネンのリタイアに号泣するファンの男の子が国際映像に映し出された。これを見かねたフェラーリチームはその男の子を普段一般のファンは立ち入れないパドックに特別に招待し、ライコネン本人と対面させるサプライズを贈っている。このサプライズには世界中からライコネン、フェラーリチーム、ピットレーン入場を許可したF1オーナーのリバティ・メディアに称賛の声が相次いだ[156]。後にこのストーリーは2018年のローレウス賞にノーミネートされた[157]
  • 2018年イギリスグランプリではスタート直後にタイヤをロックさせてハミルトンに接触[158]、これに対してレース後ハミルトンが「フェラーリは”面白い戦術を採った”」、メルセデスチーム側が「意図的なのか、無能なのか」と発言するほど不快感を露わにし、更に自らの妻がこれに反論する[159]など、場外でヒートアップする一幕があったが、ライコネン自身はレース後「僕のミス、ペナルティを科されたのも当然」とコメント[160]、解説者として観戦していたニコ・ロズベルグも「(前戦オーストリアGPでも後ろに付けていたベッテルに全く譲る気配も無く2位を守り切ったように)キミは自分の為にレースをしている、彼にしては珍しいミスだが、故意は有り得ない」とコメントした[158] 。レース翌日、ハミルトンやメルセデスチームは前日の発言を撤回した[161]
  • 2014年のフェラーリ移籍後から2018年アメリカGPで優勝するまでの連続未勝利レース数は96戦に渡り、これは歴代のフェラーリドライバーにおいてワースト記録である。これまでの記録はフェリペ・マッサの86戦。
  • 2018年アメリカGPでの優勝は2013年オーストラリアGP以来となる113戦ぶりの優勝となり、優勝の歴代最長ブランクを更新した。これまでの記録はリカルド・パトレーゼの99戦。またこの優勝により、V10・V8・V8+KERS・V6ハイブリッドの各エンジン/PUで優勝した唯一のドライバーとなった。[162]
  • 2017年モナコGPでのポールポジションは2008年フランスGP以来約9年、129戦ぶりのポールポジションになった。[163]

チームオーナー

その他

  • 2010年にラリー・ジャパンへ参戦した際、千歳アウトレットモール・レラで行なわれたPRイベント「レッドブル・ライコネン・チャレンジ」に参加。モール内の特設コースにて一般参加者と電動カートでタイムアタック競争を行なった[167]。日本でのファンイベントに登場する珍しい機会とあって、女性ファンからの声援が多かった。
  • 2012年のウィリアムズからのF1復帰に関して、その情報をリークさせたのは元F1ドライバーの井上隆智穂であった[168][169]twitterでウィリアムズとライコネンの契約発言を行ったものの結局誤報となった。しかしその後にはロータス・ルノーGPから正式に復帰が発表されるおよそ6時間前に、twitterでライコネンがロータス・ルノーGPから復帰するという情報をリークさせた。
  • フォーミュラ・ルノー時代に一年間の兵役義務が重なっていたが、レースのために70日間休みをもらえていた。兵役を頑張れば余分の休みがもらえたという。またAWOL(無許可離隊)で軍刑務所に短期間収監されたことがあり、ドニントンでのレースに間にあわせるため必死に軍幹部を説得した[170]
  • 兄であるラミ・ライコネンもレーシングドライバーであり、レーシングカートで活躍した後にラリーストに転向している。

レース戦績

略歴

シリーズ チーム レース 勝利 PP FL 表彰台 ポイント 順位
1999 ヨーロッパ・フォーミュラ・フォード ? 2 ? ? ? ? ? 5位
フォーミュラ・フォード フェスティバル コンチネンタル・レーシング・ヴァン・ディーメン 1 0 0 ? ? N/A NC
フォーミュラ・ルノー2000 UK ウィンター・チャンピオンシップ マノー・モータースポーツ 4 4 4 ? ? 40 1位
フォーミュラ・ルノー2000 UK ヘイウッド・レーシング 4 0 0 ? ? ? ?
2000 マノー・モータースポーツ 10 7 6 7 10 316 1位
フォーミュラ・ルノー2000 ユーロカップ 2 2 1 ? ? 62 7位
2001 フォーミュラ1 レッドブル・ザウバー・ペトロナス 17 0 0 0 0 9 10位
2002 ウエスト・マクラーレン・メルセデス 17 0 0 1 4 24 6位
2003 16 1 2 3 10 91 2位
2004 18 1 1 2 4 45 7位
2005 ウエスト・マクラーレン・メルセデス
チーム・マクラーレン・メルセデス
19 7 5 10 12 112 2位
2006 チーム・マクラーレン・メルセデス 18 0 3 3 6 65 5位
2007 スクーデリア・フェラーリ・マールボロ 17 6 3 6 12 110 1位
2008 18 2 2 10 9 75 3位
2009 17 1 0 0 5 48 6位
世界ラリー選手権 トミ・マキネン・レーシング 1 0 - - 0 0 NC
2010 シトロエン・ジュニアチーム 11 0 - - 0 25 10位
2011 Ice 1 レーシング 9 0 - - 0 34 10位
NASCAR キャンピング・ワールド・トラック・シリーズ カイル・ブッシュ・モータースポーツ 1 0 0 0 0 N/A NC
NASCAR ネイションワイド・シリーズ NEMCO モータースポーツ 1 0 0 0 0 N/A NC
2012 フォーミュラ1 ロータスF1チーム 20 1 0 2 7 207 3位
2013 17 1 0 2 8 183 5位
2014 スクーデリア・フェラーリ 19 0 0 1 0 55 12位
2015 19 0 0 2 3 150 4位
2016 21 0 0 1 4 186 6位
2017 20 0 1 2 7 205 4位
2018 21 1 1 1 12 251 3位
2019 アルファロメオ・レーシング 21 0 0 0 0 43 12位
2020 アルファロメオ・レーシング・オーレン 17 0 0 0 0 4 16位
2021 21 0 0 0 0 10 16位
2022 NASCARカップ・シリーズ トラックハウス・レーシング 1 0 0 0 0 N/A NC
2023 1 0 0 0 0 N/A NC
  • * : 今シーズンの順位。(現時点)

フォーミュラ1

エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 WDC ポイント
2001年 ザウバー C20 ペトロナス 01A 3.0 V10 AUS
6
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Ret
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4
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10
FRA
7
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5
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ITA
7
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10位 9
2002年 マクラーレン MP4-17 メルセデス FO 110M 3.0 V10 AUS
3
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12
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4
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ITA
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USA
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JPN
3
6位 24
2003年 MP4-17D メルセデス FO 110M/P 3.0 V10 AUS
3
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1
BRA
2
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2
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AUT
2
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2
CAN
6
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FRA
4
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3
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2
ITA
4
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JPN
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2位 91
2004年 MP4-19 メルセデス FO 110Q 3.0 V10 AUS
Ret
MAL
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Ret
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8
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11
MON
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5
USA
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7位 45
MP4-19B FRA
7
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2
GER
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1
ITA
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3
JPN
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2
2005年 MP4-20 メルセデス FO 110R 3.0 V10 AUS
8
MAL
9
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3
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1
MON
1
EUR
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3
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1
TUR
1
ITA
4
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1
BRA
2
JPN
1
CHN
2
2位 112
2006年 MP4-21 メルセデス FO 108S 2.4 V8 BHR
3
MAL
Ret
AUS
2
SMR
5
EUR
4
ESP
5
MON
Ret
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3
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3
USA
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FRA
5
GER
3
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Ret
TUR
Ret
ITA
2
CHN
Ret
JPN
5
BRA
5
5位 65
2007年 フェラーリ F2007 フェラーリ 056 2.4 V8 AUS
1
MAL
3
BHR
3
ESP
Ret
MON
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CAN
5
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FRA
1
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1
EUR
Ret
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2
TUR
2
ITA
3
BEL
1
JPN
3
CHN
1
BRA
1
1位 110
2008年 F2008 AUS
8
MAL
1
BHR
2
ESP
1
TUR
3
MON
9
CAN
Ret
FRA
2
GBR
4
GER
6
HUN
3
EUR
Ret
BEL
18
ITA
9
SIN
15
JPN
3
CHN
3
BRA
3
3位 75
2009年 F60 AUS
15
MAL
14
CHN
10
BHR
6
ESP
Ret
MON
3
TUR
9
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8
GER
Ret
HUN
2
EUR
3
BEL
1
ITA
3
SIN
10
JPN
4
BRA
6
ABU
12
6位 48
2012年 ロータス E20 ルノー RS27-2012 2.4 V8 AUS
7
MAL
5
CHN
14
BHR
2
ESP
3
MON
9
CAN
8
EUR
2
GBR
5
GER
3
HUN
2
BEL
3
ITA
5
SIN
6
JPN
6
KOR
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IND
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ABU
1
USA
6
BRA
10
3位 207
2013年 E21 ルノー RS27-2013 2.4 V8 AUS
1
MAL
7
CHN
2
BHR
2
ESP
2
MON
10
CAN
9
GBR
5
GER
2
HUN
2
BEL
Ret
ITA
11
SIN
3
KOR
2
JPN
5
IND
7
ABU
Ret
USA
BRA
5位 183
2014年 フェラーリ F14 T フェラーリ 059/3 1.6 V6 t AUS
7
MAL
12
BHR
10
CHN
8
ESP
7
MON
12
CAN
10
AUT
10
GBR
Ret
GER
11
HUN
6
BEL
4
ITA
9
SIN
8
JPN
12
RUS
9
USA
13
BRA
7
ABU
10
12位 55
2015年 SF15-T フェラーリ 060 1.6 V6 t AUS
Ret
MAL
4
CHN
4
BHR
2
ESP
5
MON
6
CAN
4
AUT
Ret
GBR
8
HUN
Ret
BEL
7
ITA
5
SIN
3
JPN
4
RUS
8
USA
Ret
MEX
Ret
BRA
4
ABU
3
4位 150
2016年 SF16-H フェラーリ 061 1.6 V6 t AUS
Ret
BHR
2
CHN
5
RUS
3
ESP
2
MON
Ret
CAN
6
EUR
4
AUT
3
GBR
5
HUN
6
GER
6
BEL
9
ITA
4
SIN
4
MAL
4
JPN
5
USA
Ret
MEX
6
BRA
Ret
ABU
6
6位 186
2017年 SF70H フェラーリ 062 1.6 V6 t AUS
4
CHN
5
BHR
4
RUS
3
ESP
Ret
MON
2
CAN
7
AZE
14
AUT
5
GBR
3
HUN
2
BEL
4
ITA
5
SIN
Ret
MAL
DNS
JPN
5
USA
3
MEX
3
BRA
3
ABU
4
4位 205
2018年 SF71H フェラーリ 062 EVO 1.6 V6 t AUS
3
BHR
Ret
CHN
3
AZE
2
ESP
Ret
MON
4
CAN
6
FRA
3
AUT
2
GBR
3
GER
3
HUN
3
BEL
Ret
ITA
2
SIN
5
RUS
4
JPN
5
USA
1
MEX
3
BRA
3
ABU
Ret
3位 251
2019年 アルファロメオ C38 フェラーリ 064 1.6 V6 t AUS
8
BHR
7
CHN
9
AZE
10
ESP
14
MON
17
CAN
15
FRA
7
AUT
9
GBR
8
GER
12
HUN
7
BEL
16
ITA
15
SIN
Ret
RUS
13
JPN
12
MEX
Ret
USA
11
BRA
4
ABU
13
12位 43
2020年 C39 フェラーリ 065 1.6 V6 t AUT
Ret
STY
11
HUN
15
GBR
17
70A
15
ESP
14
BEL
12
ITA
13
TUS
9
RUS
14
EIF
12
POR
11
EMI
9
TUR
15
BHR
15
SKH
14
ABU
12
16位 4
2021年 C41 フェラーリ 065/6 1.6 V6 t BHR
11
EMI
13
POR
Ret
ESP
12
MON
11
AZE
10
FRA
17
STY
11
AUT
15
GBR
1513
HUN
10
BEL
18
NED
WD
ITA RUS
8
TUR
12
USA
13
MXC
8
SÃO
1213
QAT
14
SAU
15
ABU
Ret
16位 10

WRC

エントラント 車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 WDC ポイント
2009年 トミ・マキネン・レーシング フィアット・グランデ・プント S2000 IRE NOR CYP POR ARG ITA GRC POL FIN
Ret
AUS ESP GBR NC 0
2010年 シトロエン・ジュニアチーム シトロエン・C4 WRC SWE
29
MEX
Ret
JOR
8
TUR
5
NZL POR
10
BUL
11
FIN
25
DEU
7
JPN
Ret
FRA
Ret
ESP
DNS
GBR
8
10位 25
2011年 ICE 1 レーシング シトロエン・DS3 WRC SWE
8
MEX
POR
7
JOR
6
ITA
ARG
GRC
7
FIN
9
DEU
6
AUS
WD
FRA
Ret
ESP
Ret
GBR
Ret
10位 34

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