キミ・ライコネン
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F1第一期(2001~2009年)
ザウバー時代
2001年
フォーミュラカーでのレースはフォーミュラ・ルノーの23戦のみで、F3を経験せずにF1に参戦することについて(当時のFIA会長であるマックス・モズレーを含め)他の関係者からの批判は小さなものではなかった。事実、当初ライコネンのスーパーライセンスは4戦限定の仮ライセンスで、危険であれば取り消される可能性もあった。
しかし、デビュー戦オーストラリアグランプリでいきなり6位入賞を果たし、その後正式にスーパーライセンスが発給された。第6戦オーストリアグランプリ、第8戦カナダグランプリではともに4位入賞するなど、全17戦中4戦で入賞して9ポイントを獲得し、ドライバーズランキング10位となる。国際F3000チャンピオン経験のあるチームメイトのニック・ハイドフェルド(12ポイント獲得)と予選、決勝とも互角の成績だったことで、チームスタッフや関係者は度肝を抜かれた。事実、レース中のラップタイム、最速タイムは完全にハイドフェルドを凌いでいた。これは、後にマクラーレンがライコネンを抜擢した決定的な理由となる。そしてこの年、ザウバーチームはコンストラクターズランキング4位というF1参戦開始以来最高成績でシーズンを終えた。
マクラーレン時代
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ザウバーでの活躍は、当時ザウバーにエンジンを供給していたフェラーリからもその速さを注目され、2002年についてはフェラーリに移籍する可能性が囁かれていたが、フェラーリよりいち早くアプローチしたマクラーレン・メルセデスが、ミカ・ハッキネンの後任としてライコネンを抜擢した[2]。
2002年
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開幕戦オーストラリアグランプリで自身初のファステストラップを記録するとともに3位に入賞して初表彰台を獲得するなど、年間で4回の表彰台を獲得し、24ポイントを獲得した。リタイアは10回を記録したが、内ミスによるものは第12戦ドイツグランプリの1度だけで、残りは全てメカニカルトラブルによるものだった。中でも度重なるエンジントラブルに悩まされ、第14戦ベルギーグランプリから第16戦アメリカグランプリにかけての3戦連続を含め、計6戦をエンジントラブルによって失った。
第11戦フランスグランプリでは、首位を走行中に残り6周というところで前を走る周回遅れのアラン・マクニッシュの車から出たオイルによりスリップし、その隙をついたミハエル・シューマッハにオーバーテイクされ2位に終わった。
2003年
マクラーレンの新車開発の遅れにより、前年型『MP4-17』の改良型である『MP4-17D』で臨んだ。
第2戦マレーシアグランプリで初優勝を飾ったのち、第9戦ヨーロッパグランプリで自身初のポールポジションを獲得。第15戦アメリカグランプリでも2回目のポールポジションを記録するなど頭角を現し、優勝こそ1回のみであったが、安定してポイントを積み上げたことで、当時ドライバーズタイトル3連覇中のシューマッハと最終戦までタイトル争いを演じた。最終的に2点差で敗れはしたものの、ドライバーズポイントランキングで2位を獲得した。
2004年
開幕戦から新車『MP4-19』を投入するものの、車は競争力に乏しく、信頼性にも欠けていた。度々マシントラブルに見舞われ、7戦終了時点で4回のリタイアを喫し、第4戦サンマリノグランプリでの8位入賞による1ポイントしか獲得できなかった。
しかし、第8戦カナダグランプリでは決勝レースで5回ものピットストップをしながらも5位入賞を果たし[3]、第9戦アメリカグランプリでも6位入賞することでシーズン中盤になって復調の兆しを見せた。第10戦フランスグランプリでマクラーレンが改良車『MP4-19B』を投入すると、続く第11戦イギリスグランプリ予選でシーズン初のポールポジションを獲得し、決勝では同年初の表彰台となる2位を獲得した。その後第14戦ベルギーグランプリではシーズン初優勝を飾った。
2005年
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開幕当初はマクラーレンの新車『MP4-20』の信頼性不足によりやや出遅れた。しかし、第4戦サンマリノグランプリから3戦連続ポールポジションを獲得し、第5戦スペイングランプリ、第6戦モナコグランプリではポール・トゥ・ウィンを達成するなど次第に調子を上げ、チャンピオン争いに絡んでいく[4]。第7戦ヨーロッパグランプリでは、首位で迎えたファイナルラップにおいてサスペンション破損によりリタイア(記録上は11位完走扱い)し、タイトルを争うフェルナンド・アロンソに優勝を許してしまった[5]。
特筆すべきは第18戦日本グランプリ。予選ではタイムアタック直前に雨が降り出すという不運に見舞われ17位スタートとなるが、決勝のオープニングラップで12番手まで順位を上げると、怒濤の追い上げで20周目には7番手までポジションを上げた。その後もじわじわと順位を上げ38周目のジャンカルロ・フィジケラのピットストップと、41周目のジェンソン・バトンのピットストップによりトップに立つが、残り8周でのピットインによって、首位をジャンカルロ・フィジケラに明け渡し2位に後退する。しかし1秒以上速いペースで追い上げその差を取り戻し、ファイナルラップの1コーナーでフィジケラをアウトからオーバーテイクし優勝を果たす、というレースを展開した。[6][7]
決勝後の記者会見では「今日のレースは間違いなく僕のベストレースに入るだろうね」と語った。
5回のポールポジション獲得や、年間最多タイ記録の10回のファステストラップ獲得[8]、7回の優勝を飾るなどの活躍を見せ、ルノーのアロンソと激しいチャンピオン争いを繰り広げたが最終的に及ばず、ランキング2位でシーズンを終えた。
シーズン7勝は、チャンピオンのアロンソと並び2005年シーズンの最多勝である。また、ワールドチャンピオンを獲得できなかったドライバーがそのシーズン中に挙げた勝利数としては当時の最多タイ記録となるものである[9]。
2006年
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さらなる飛躍が期待された2006年であったがこの年のマシン、『MP4-21』は信頼性が高いとはいえず様々なトラブルでノーポイントで終えたレースが多かった。開幕戦バーレーングランプリでは予選第1ピリオドでマシンが壊れ最後尾スタートとなったが、素晴らしい追い上げを見せ3位表彰台を獲得したり[10]、予選では3度のポールポジションを獲得するなどしたが、マシントラブルやミス、ライバルの戦略により逆転されるなどしていずれも優勝とはならず、コンスタントにポイントを稼ぎはしたもののこの年は未勝利に終わった。ランキングは5位となった。
第15戦イタリアグランプリ終了後に、この年限りで引退するミハエル・シューマッハの後任として、2007年からフェラーリへの移籍が発表された。ミカ・サロ以来となるフィンランド人フェラーリドライバーとなる。ライコネンは同グランプリで2位表彰台を獲得し、シューマッハの優勝会見での引退発表に同席する形となった。
第1期フェラーリ時代
2007年
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![](https://weblio.hs.llnwd.net/e7/redirect?dictCode=WKPJA&url=https%3A%2F%2Fupload.wikimedia.org%2Fwikipedia%2Fcommons%2Fthumb%2Fc%2Fc9%2FKimi_Raikkonen.jpg%2F125px-Kimi_Raikkonen.jpg)
フェラーリ移籍初戦となった開幕戦オーストラリアグランプリで自身初めてポールポジション・ファステストラップ・優勝を獲得するハットトリックを達成した。移籍初年度でハットトリックを決めたドライバーとしてはフェラーリが1950年からF1参戦してから初となる歴史的快挙である。開幕戦から3戦連続で表彰台に上がる活躍を見せるも、第4戦スペイングランプリではマシントラブルによりリタイヤに終わる。第6戦カナダグランプリ・第7戦アメリカグランプリでもマクラーレンの連勝を許し[11]、ランキング首位のルイス・ハミルトンとのポイント差は26となった。
第8戦フランスグランプリ、第9戦イギリスグランプリを連勝してポイントを挽回した[12]。第14戦ベルギーグランプリにおいてはポールトゥーウィンを果たし、スパ・フランコルシャン3連覇を記録した。ハミルトンとの得点差は残り2戦で17ポイントと依然として大きかったが、第16戦中国グランプリでハミルトンがリタイアし、自身が優勝したことにより望みをつなぎ[13]、最終戦ブラジルグランプリにて予選3位から優勝を果たし、ハミルトンが7位、アロンソが3位に終わったため、ランキング3位から逆転、2位以下と僅か1ポイント差で初のワールドチャンピオンを獲得した[14]。最大26ポイント差を跳ね返す、F1史上最大の逆転劇であった。
ライコネンは中盤から最終戦まで7連続表彰台を獲得し、安定してポイントを獲得したこともチャンピオンに輝いた1つの要因となった。この年のチャンピオン争いは最終的に1位ライコネン110ポイント、2位ハミルトンと3位アロンソが109ポイントであり、さらにシーズン最終戦まで三つ巴の争いが続くというF1史上でも稀に見る激戦であった。なお2021年現在、フェラーリのドライバーが獲得したドライバーズタイトルはこの年のライコネンのタイトルが最後となっている。
2008年
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2008年は第2戦マレーシアグランプリにおいてシーズン初優勝を飾ると、第4戦スペイングランプリでは自身2度目となるハットトリックで完全勝利を達成した。しかし、この勝利がシーズン最後の勝利となった。
第6戦モナコグランプリでは様々なミスを犯し、後方での戦いを余儀なくされたあげく、予選19番手からスタートし5位走行と健闘していたフォース・インディアのエイドリアン・スーティルに追突し、リタイアに追い込んでいる。続く第7戦カナダグランプリではピットレーン出口でレッドシグナルで停止中に、ハミルトンに追突されリタイアを喫する。更に第8戦フランスグランプリでは首位を快走していたが、エキゾーストの破損によりペースが下がり、2位に終わった。
第12戦ヨーロッパグランプリから第15戦シンガポールグランプリまでトラブルやミスが相次ぎ4戦連続ノーポイントに終わっている。これが影響し、第16戦日本グランプリを終えてタイトル防衛の可能性は消滅した。第17戦中国グランプリではハミルトンとタイトルを争うチームメイトのフェリペ・マッサを先行させ、最終戦ブラジルグランプリにおいてもチームプレーに徹し、2年連続のコンストラクターズタイトルに貢献した。ドライバーズタイトルではロバート・クビサと同点であったものの、優勝回数で上回り3位でシーズンを終えた。
タイトル連覇は逃したものの、レース中には速さを見せた。第4戦スペイングランプリから第9戦イギリスグランプリまで6戦連続でファステストラップを獲得[15]、2005年と同じく年間10回のファステストラップを獲得した[8]。
2009年
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大幅に変更されたレギュレーションに合わせて開発されたマシン・F60の競争力は低く、開幕から3戦をノーポイントで終えた。第4戦バーレーングランプリでシーズン初ポイントを獲得し、第6戦モナコグランプリを3位で終え、ようやくシーズン初表彰台を獲得した。
第12戦ベルギーグランプリにおいて、ポールポジションからスタートしたフォース・インディアのジャンカルロ・フィジケラを、セーフティカー導入後の再スタート時にKERSを使用してオーバーテイクし、フェラーリにとってシーズン初、ライコネンにとって2008年スペイングランプリ以来約1年4か月ぶりの優勝を得た。
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