キミ・ライコネン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/07 07:01 UTC 版)
F1第二期(2012~2021)
2010年10月ごろには、ロータス・ルノーGPから接触があったことから2011年シーズンより同チームから復帰するとみられたが、ロータス・ルノーGP側からの一方的なアプローチだったことや、ライコネンの名前をマーケティングに使用した事などから、同チームで真剣に出走を検討できないとライコネンは復帰を否定していた[22]。
2011年9月ごろから、ウィリアムズのファクトリーにライコネンが訪問したことから2012年シーズンよりF1へ復帰する可能性が囁かれ[23]、実際に交渉も行われていた[24]。しかし、アブダビグランプリ直前からロータス・ルノーGPと交渉を開始すると話はすぐにまとまり[25]、2011年11月29日にロータス・ルノーGPよりF1に復帰することが公式に発表された[26]。ロータス・ルノーGPは2012年からチーム名は「ロータスF1チーム」、コンストラクター名は「ロータス」に変更になったため、実際はロータスからのF1復帰となった。
F1ほどメディアの圧力が強くないラリー界に馴染んでいたと思われていたため、F1への復帰は意外な決断と受け止められた。友人のトニ・ヴァイランダーも「F1に心底うんざりしていて、“2度とやらない”とずっと言っていた」と述べている[27]。本人は復帰の理由について「NASCARに出て以来、他のドライバーとバトルをしたいという気持ちがどんどん強くなっていった。ラリーは時計との戦いだからね」と語った[28]。しかし、2010年に現役復帰したミハエル・シューマッハが苦戦していたことから、2年間のブランクがあるライコネンには多くを期待できないという意見もあった[29]。
ロータス時代
2012年
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久々のF1に慣れるために2年前のルノー時代のマシンR30を使用したプライベートテストを2日間行い、プレシーズンテストに備えた[30]。プレシーズンテストでは度々トップタイムを記録するなど、以前と変わらぬ速さを見せた[31]。また、ライコネン自らのリクエストにより、マクラーレン時代に共に働いたマーク・スレイドがレースエンジニアとしてメルセデスから招聘された[32]。
復帰初戦の開幕戦オーストラリアグランプリは、予選でミスによりQ1で敗退してしまったものの決勝は7位入賞で飾る[33]。バーレーングランプリではトップのベッテルに迫り、復帰後初の表彰台となる2位を獲得した[34]。ハンガリーグランプリでもトップのハミルトンを追い上げたが抜くことができなかった[35]。その後は5位以下で完走するレースが続き、シーズン前半ほどのペースが発揮できない状況になった。また、E20のパワーステアリングの感触が合わないという問題をなかなか解決できないでいた[36]。
アブダビグランプリは4番グリッドから好スタートを決めて1コーナーで2位に上がり、20周目でハミルトンがリタイアしてからはトップを守り続けた。2回もセーフティカーが入ったが全く動じず、冷静に後続とのギャップをコントロールして2009年ベルギーグランプリ以来の復帰後初優勝を飾った[37]。
開幕戦から最終戦ブラジルグランプリまで全てのレースを完走し、F1史上8人目の年間決勝全戦完走達成者となった。ただし最終戦では1周遅れでフィニッシュとなってしまったため、シーズンの全周回を走り切ることはできなかった。中国グランプリ以外すべてのグランプリで入賞。その内表彰台は7回獲得し、最終戦までチャンピオンを争っていたベッテルとアロンソに次ぐランキング3位でシーズンを終えた。
2013年
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開幕戦オーストラリアグランプリで幸先よく勝利するが[38]、その後は6度の2位が最高である。第11戦ベルギーグランプリではF1復帰以来初のリタイアを喫し、連続完走が38戦、2012年第4戦バーレーングランプリから続けてきた連続入賞が27戦(歴代1位)で途絶えることになった[39]。F1では2009年ドイツグランプリ以来、実に4年ぶりのリタイアでもある。
夏頃からは来季に向けた移籍交渉が話題となり、当初は引退するマーク・ウェバーの後釜としてレッドブル入りが噂されたが[40]、結局、イタリアグランプリ後に古巣フェラーリへの移籍が決定した[41]。F1復帰以来良好だったロータスとの関係も微妙になり、チームの報酬未払いを暴露したり、公式会見を欠場するなどの行動をとった[42]。シンガポールグランプリでは古傷の背中の痛みが再発し、我慢しながらレースを続けたが、終盤2戦を欠場して手術することを選択した[43]。このシーズンは表彰台8回を獲得し、ランキングは5位となった。
この年の8月にはGP3の公式開発テストに参加し、GP3マシン「GP3/13」でテスト走行を行った[44]。
第2期フェラーリ時代
2014年
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2014年はフェルナンド・アロンソと組む。フェラーリで2人のF1ワールドチャンピオンが組むのは1953年のアルベルト・アスカリとジュゼッペ・ファリーナ以来となる。なお固定ナンバー制導入に伴い、ライコネンはカーナンバー7を選択[45]。理由は、昨年も7をつけており、「変える理由が無かったから」とのこと。レギュレーション大変革が行われたこのシーズンは、フェラーリのF14Tのポテンシャル不足に苦しんだ。しかし2度の表彰台を獲得しリタイアは僅か2回、さらに完走したレースではすべて入賞したアロンソに対して、ライコネンの最高位はベルギーグランプリの4位でデビュー年以来の表彰台なしに終わりランキング12位と低迷した。
2015年
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アロンソがマクラーレンへ移籍、新たにレッドブルからセバスチャン・ベッテルを迎え、2年連続フェラーリで2人のF1ワールドチャンピオンが組むことになった。
マシンの性能と状態は去年より格段に良くなり、上位争いができる体制は整った。しかし、開幕戦オーストラリアGPでは5番グリッドからスタートも1周目からクラッシュに巻き込まれ、ダメージを負ったまま走行するが2回目のピットストップ時にトラブルが発生しそのままリタイア[46]。第2戦マレーシアGPでは遅いマシンに引っかかりQ2で敗退し[47]、決勝でも序盤の接触で後退し追い上げたものの4位に終わった[48]。その後も、中国GPでは3位のベッテルを追い詰めながら最後の最後でセーフティーカーが入り表彰台を逃した[49]。続くバーレーンGPはフリー走行から好調で[50]、決勝でもファステストラップを出しながらメルセデスの2台を追い上げ、自身にとって2年ぶりの表彰台を獲得した[51]。しかし、その後は自らが課題に挙げた予選でなかなか結果を出せず、カナダGPでは3位表彰台確実と思われた中で、ピットストップ後に突如前年のカナダGPと全く同じスピンを喫し4位フィニッシュ[52]。オーストリアGPではチームの作戦凡ミスによるQ1落ちだけでなく、決勝すらアロンソとクラッシュし大破してリタイアなど[53]、ミスやトラブルでポイントを取りこぼすレースが多く、昨シーズン同様チームメイトに大きく遅れを取る展開となった。前半10戦を終えてベッテルが2勝を上げ160ポイントを獲得したのに対し、自身はバーレーンGPで2位表彰台へ1回登ったのみ、76ポイントと水をあけられる形となった。イタリアGPではエンジンストールで最後尾から発進したがなんとか5位へ浮上[54]。
この状況でチーム代表のマウリツィオ・アリバベーネも「残留のためには結果が必要だ」と声明を出し[55] ライコネンに対してプレッシャーを掛けた。その後も幾度となくライコネンの去就に関するニュースが流れ[56]、さらには後任に関する噂まで流れ始め、同じフィンランド人の若手バルテリ・ボッタス[57] やニコ・ヒュルケンベルグ[58]、ダニエル・リカルド[59]など挙がっていた。しかしその後、ベルギーGPを前に数々の噂を跳ね除けてライコネンの残留が発表された[60]。
シートはなんとか確保されたものの[61]、ロシアGPでは最終ラップにでボッタスと接触し、5位でチェッカーを受けたが、ペナルティを受けて8位に終わった[62]。国際無線に入るライコネン節も健在で、アメリカGPではマックス・フェルスタッペンへ「あのガキ押し出しがセーフだっていうなら、こっちも同じことをしてやる[63]」と発言。その後ライコネンはコースアウトし、リタイアとなった。それでも最終戦アブダビGPで3位表彰台を獲得しランキング4位であったボッタスを逆転。メルセデス勢とベッテルに次ぐドライバーズランキング4位でシーズンを終えた。
2016年
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開幕戦オーストラリアGPではベッテルと共にロケットスタートを決め2位を走っていたがトラブルによりリタイア[64]。バーレーンGPではスタートで順位を落とすも巻き返し2位表彰台を獲得[65]。スペインGPでは優勝したマックス・フェルスタッペンと20周近い激しい首位争いを繰り広げ、史上最年少対現役最年長の戦いということで話題になった(結果は2位)。ライコネン自身も「僕は彼のお父さん(ヨス・フェルスタッペン)とレースしたんだ。その方がよっぽど怖い話に聞こえるね。」と驚きを隠さなかった[66]。スペイン戦終了時に、わずかだがハミルトンのポイントをトータルで上回った。その後の表彰台はオーストリアGPの3位のみに留まり、終盤はピットミスやクラッシュなどに泣かされてポイントを稼げず獲得ポイントこそ前年を上回ったがランキングは2つ下げ、ランキング6位となった。しかし予選では21戦中11戦でベッテルを上回り、また2015年はベッテルとのポイント差が128点ついていたが、2016年は26点に縮まっておりパフォーマンス自体は向上していることがうかがえた。
1年契約ということもあり、この年もライコネンのフェラーリ離脱説が飛び交ったが最終的にはイギリスGPを前に、2017年のフェラーリ残留が発表された。
2017年
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この年のマシン、フェラーリ・SF70Hは良作でここ数年と比較すると優勝争いに絡むことが多いマシンに仕上がった。ベッテルと比較すると苦戦を強いられてはいるが、モナコGPで2008年フランスGP以来のポールポジションを獲得している[67]。2017年日本グランプリでは10番グリッドからの追い上げでポイントを獲得し、往年のファンを喜ばせた。終盤戦は安定して表彰台に上ることも多く、この時期にマシントラブルに悩まされたダニエル・リカルドを最終戦で逆転してドライバーズランキング4位となり獲得ポイントも2012年以来の200ポイント超えとなったものの、この年のトップ3チームのドライバーでは唯一、優勝がなかった。
8月22日に2018年もフェラーリより参戦することが発表された[68]。
2018年
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この年のマシン、フェラーリ・SF71Hはテストから好調で度々メルセデス勢を脅かす活躍を見せる。しかし開幕当初からベッテルとライコネンのパドルが違う[69]、などあからさまに待遇が異なる中、アゼルバイジャンGPではベッテルを抑えて表彰台に上り、オーストリアGPではベッテルの猛追を抑えての2位表彰台に加えファステストラップも記録。ベルギーGP終了地点でシーズン未勝利ではあるが、折り返し地点に入っても「まだ(自らをベッテルへの援護射撃に回す)チームオーダーが発動するには時期尚早」とコメント[70](ドイツGPでは遠回しにチームオーダーが発令された)、5戦連続で表彰台(5戦以上連続で表彰台を獲得するのは、チャンピオンを獲得した2007年以来である)を獲得、そしてイタリアGPではコースレコードを更新しながら実に1年ぶりにポールポジションを獲得するなど、ここ数年と比較しても好調であり、今季についてはベッテルに勝るということも珍しくない。
しかし、フェラーリ・ドライバー・アカデミー(FDA)に在籍し同年ザウバーからデビュー後に評価を上げたシャルル・ルクレールに来季のシートを明け渡す、との報道が流れ始める。これに対しライコネンは実質ノーコメントを貫いていた[71]。シーズン前半には元F1ドライバーのマーティン・ブランドルはライコネンに対して「引退勧告」を発した[72]のに対し、1997年チャンピオンのジャック・ヴィルヌーヴは「フェラーリの来季ルクレール起用は時期尚早、ライコネンの力はまだ必要とされる」との見解を示した[73]。そんな中、ルクレール起用の最先鋒だった会長のセルジオ・マルキオンネが急逝。だが、シーズン前半から囁かれていた「マルキオンネはルクレールと仮契約を結んだ」という情報がライコネンの来季の動向を混沌へと向かわせる。一旦はライコネンのフェラーリ残留の見方が有力となったが[74]、仮契約の一件や彼自身の年齢の観点からライコネン引退説[75]までもが流れる。インターネットの署名サイトでは7万4000人以上のファンがライコネンのフェラーリ残留を求める嘆願書に署名するという動きもあった[76]が、9月6日には「マルキオンネの遺志に基づきライコネン放出が正式決定の予定」と報道され[77]、予定日から遅れて9月11日にフェラーリはルクレールとの契約を正式発表。それに合わせ、ザウバーからライコネンとの契約が正式発表[78]された。ただしライコネン曰く、フェラーリ放出決定後にザウバーとの交渉を開始し[79]、それが成立してのザウバー移籍で、双方のシートがトレードという形となったのはあくまで結果論と言う。
アメリカGPで5年ぶり、ロータス時代から113戦ぶりの優勝を1ストップ作戦で奪取[80]し、前年のポイント数を上回った。39歳のドライバーが優勝するのは1992年ポルトガルグランプリのナイジェル・マンセル以来26年ぶりのことであった。最終的には251ポイントを獲得し、F1に復帰した2012年以来となるドライバーズランキング3位でフェラーリ最後のシーズンを締めくくった。
アルファロメオ(ザウバー)時代
2019年
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前年に移籍交渉をまとめた古巣ザウバーは、年明け2月にタイトルスポンサーであるアルファロメオのコンストラクター名で登録変更。2019年はアルファロメオ・レーシングのドライバーとして参加する。2019年メキシコグランプリでシューマッハ、デ・ラ・ロサ以来7年ぶりの40代F1ドライバーとなった[81]。なお40代で(一度も引退表明をせず)現役継続のF1ワールドチャンピオンはファン・マヌエル・ファンジオ以来2人目である。また、フェルナンド・アロンソがF1を離れたことにより(アロンソは2021年にF1に復帰)、2019年のF1に参戦するドライバーの中ではV10エンジン時代のレースに参戦したことのある唯一のドライバーとなる。チームメイトは今季からフル参戦を果たすアントニオ・ジョヴィナッツィ。
シーズン前半は開幕戦から4戦連続入賞[82]という記録や第11戦ドイツGPではペナルティタイム30秒加算のため決勝の最終順位こそ下位に沈んだものの、予選5番手を獲得[83]など、前半戦は幾度か活躍する姿を見せた。 だが、サマーブレイク後となる後半戦はマシンの戦闘力が不安定になったこと[84]もあるが、チームメイトが下位ながらも2度の入賞を記録(第14戦と第15戦[85])したのに対し、自身は入賞できないレース[86]が続いたが、第20戦で4位入賞を記録[87]してシーズンを終えた。
また、第6戦モナコGPでF1史上5人目となるF1出走300戦を達成した[88]。
2020年
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2020年もアルファロメオより参戦。
第5戦の70周年記念グランプリでミハエル・シューマッハが持っていた最多周回記録の16,825周を更新して16,845周を記録[89]。続く第6戦のスペイングランプリにおいて37周目を走行した時点でフェルナンド・アロンソが持っていた最長走行記録の83,846kmを更新して83,847kmを記録した[90]。 第9戦トスカーナGPで8位フィニッシュしたものの5秒ペナルティにより9位に降格となったが今季初入賞を果たしている[91]。
この年は新型コロナウイルス(COVID-19)の影響でスケジュールの大幅な変更が行われたが[92]、改定後のスケジュールでの第10戦ロシアGPで322戦の出走を記録してルーベンス・バリチェロの最多出走記録に並び[93]、続く第11戦アイフェルGPで323戦の出走を達成してF1史上歴代最多出走記録を更新した[94]。
第12戦ポルトガルGPでは最終順位こそ入賞圏外の11位に終わったものの16番グリッドから履いていたソフトタイヤを活かしつつ、難しいコンディションを的確に読み取りスタートから80秒で10台を抜いて6位にまで浮上する熟練の走りを見せた[95]。この走りは2020年のFIA表彰式でファン投票のAction of the Yearに選ばれている[96]。
2021年
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2021年もアルファロメオより参戦[97]。
第2戦で16番手スタートながらも、レース展開を味方につけ、9位でチェッカーを受けたのだが、レース終了後に赤旗後のリスタート時に違反があった認定され、これにより、レース結果に対し30秒加算のタイムペナルティを受け、13位に降格[98]となり、今季初入賞は取り消された。ただし、この件についてはライコネンの過失というよりはスポーティングレギュレーションの整合性の問題点のあおりを受けたと指摘されている[99]。そのため、記録上の初入賞は第6戦の10位入賞[100]となる。
2021年9月1日、自身のInstagramにて2021年シーズン限りでの引退を発表[101]。直後に新型コロナウイルスへの感染が確認され2戦の欠場を余儀なくされる憂い目にもあったが、復帰したトルコGPとメキシコGPでそれぞれ8位入賞を果たした。ラストランとなったアブダビGPではブレーキトラブルでリタイアとなった。最終結果は10ポイントを獲得しドライバーズランキング16位。1年を通じたオーバーテイク数はベッテル、アロンソに次ぐ3番目に多い数を記録した[102]。
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- ^ ただし2005年は全19戦(但し、第9戦は事実上未出走。)ありF1史上最多のレース数の年だったことを考慮する必要はある。ライコネン以前では、アラン・プロストが1984年と1988年の2度、シーズン16戦中7勝をあげながらタイトルを逃している。また、翌2006年シーズンにはミハエル・シューマッハもシーズン18戦中7勝をあげながらタイトルを逃している。
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