CATOBAR方式とは? わかりやすく解説

CATOBAR方式

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 01:26 UTC 版)

対潜空母」の記事における「CATOBAR方式」の解説

S-2やA-4、E-1搭載したベニントン」 「ベニントン」から発進するS-2E 1940年代後半冷戦構造成立とともに西側諸国は、ソ連海軍潜水艦戦力への対抗迫られた。ヨーロッパで東西武力衝突発生した際、アメリカ本土から速やかに増援補給が行われることが期待されていたが、これに対しソ連海軍ドイツ海軍Uボート技術をもとにした高性能潜水艦整備進めており、後方連絡線巡って再び大西洋の戦い発生することが予測された。また大西洋中央部には、地上基地からの対潜哨戒機到達できない間隙発生することから、船団護衛だけでなく、この海域カバーすることも求められた。 この状況対しアメリカ海軍対潜戦能力強化策一環として、まず1949年までコメンスメント・ベイ級航空母艦7隻を対潜戦用に改装した。これらの艦は通常の護衛空母CVE)と区別してCVEKと称されることがあった。CVEKは、他の任務もあったため必ずしも対潜戦専従したわけではなかったが、対潜戦任務場合は、TBM-3W 6機と-3S 12機を搭載しており、また後にはTBM-3WにかえてAD-3W搭載されようになった。 また護衛空母だけでなく軽空母CVL)も対潜戦任務投入されるようになった。まず1949年に「ライト」が対潜戦任務充当されたのち、朝鮮戦争直後に「カボット」「バターン」が対潜戦対応して改修されており、これらの艦はCVLKとも称された。1952年以降、CVEK・CVLKの艦上機はAD-4W/Sに更新された。しかしこの時期、既にこれらの艦については安定性などの面での不満が指摘されており、1954年よりAF ガーディアン艦上運用開始されると、更に深刻化した。同機アメリカ海軍初め対潜戦専用開発・配備した航空機であったが、エンジン出力不足に悩まされていた。特に低速護衛空母では十分な甲板上合成風速を得られない場合多く艦上運用には危険が伴ったため、まもなく実戦部隊からは引き下げられた。 これらの経験踏まえて、より大型エセックス級などの正規空母対潜戦充当されようになった。まず1952年に「ヴァリー・フォージ」が対潜戦任務従事したのち、同年7月8日CVS船体分類記号新設された。配備中の2隻(アンティータムレイテ)およびモスボール艦3隻(バンカー・ヒルエンタープライズ)が順次にこちらに類別変更されたほか、新型攻撃空母配備が進むとともにエセックス級のうち従来CVAとして運用されていた艦も、順次類別変更されていった。これは、新世代艦上哨戒機であるS2F配備受けた動きであり、同機護衛空母からでも運用可能ではあったものの、より大型の艦が望ましいとされていた。 東側諸国MiG戦闘機対潜空母艦上機脅かし対潜空母自身ソ連哨戒機接近を受けるようになったことから、1954年より戦闘機分遣隊対潜空母派遣されるようになり、通常は4機のF2H戦闘機搭載された。その後艦上戦闘機大型化高性能化に伴い対潜空母での運用困難になったことから、1960年以降一時期戦闘機搭載せずに運用されていた。しかしその後開発されたA4Dは、攻撃機ながら高速敏捷で、しかも対潜空母でも運用可能なコンパクトさを備えていたことから、1965年6月1日対潜戦闘機飛行隊(VSF-1)が編成されて、各艦にA-4 4機ずつの分遣隊派遣されるようになったベトナム戦争では、対潜空母頻繁に投入されていった。S-2が哨戒任務についたほか、戦闘機として配属されたA-4は、対潜空母防空を担うとともに攻撃空母からの攻撃任務にも従事したSH-3A哨戒機材を降ろして攻撃空母配属され救難機として運用されることもあり、AD-5W攻撃空母配属され強力なレーダー活かした様々な任務従事した。また特に「イントレピッド」は能力限定CVA称され艦上哨戒機かわりに攻撃飛行隊搭載して攻撃任務従事した1961年から1967年にかけて、アングルド・デッキ装備艦(SCB-125改修艦)から8隻がFRAM改修受けた。これは全面的な装備更新とともにAN/SQS-23探信儀搭載も含むものであったまた上記のとおり、対潜空母重要な任務が、大西洋中心部生じ対潜哨戒機到達できない間隙カバーすることであり、そのために継続的な哨戒実施できるよう、1960年代末からは、専用補給艦AOR)も建造された。これは攻撃空母対すAOEに比せられるものであった。しかし航続距離長いP-3配備が進むと、大西洋中央部間隙消失し対潜空母攻撃空母随伴して対潜援護提供するようになっていった。 この時期ソ連海軍潜水艦戦力の拡充進めていたにもかかわらず、これに対すアメリカ海軍は、ベトナム戦争後国防予算枠内では、対潜戦専従航空母艦維持することは困難となっていた。S-2の後継となる新し艦上哨戒機としてS-3登場していたが、その運用対応できるように既存CVS改修するには更なる予算必要になる見積もられた。ニクソン・ドクトリン背景として、アメリカ軍アジア地域有していた地上基地閉鎖進めていたことから、空母航空団かわりに基地航空隊に頼ることも難しかった一方1969年攻撃空母フォレスタル」に試験的にSH-3Dヘリコプター8機を搭載して対潜戦兼務させた際には良好な結果得られていた。 1970年海軍作戦部長就任したズムウォルト大将は、潜水艦含めたソ連海軍戦力拡充ニクソン・ドクトリンなどの環境変化対応するため、同年9月発表したプロジェクト60」において、戦力投射優先してきた近来方針修正して制海重視する方針打ち出しており、航空母艦戦力投射制海両方を担わせること(dual-mission carrier)が構想された。これを受けて攻撃空母哨戒機哨戒ヘリコプター搭載して汎用化することになり、CVS運用1974年までに終了した

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