7時半以降の推移
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 04:34 UTC 版)
上尾駅に停車していた列車2本は運転設備や駅の分岐器や信号なども破壊されたため発車不能になった。また、7時30分発車予定で駅構内に入線出来ずにいた上野発新潟行き下り特急「とき2号」も投石され、運転席の窓ガラスが割られヘッドマークも壊された。 7時半以降の時系列、他線区でのトラブルについて箇条書きすると次のようになる。本節は主に「"順法闘争"へ怒り爆発 電車の運転席に乱入 上尾駅などを占拠 一時パニック状態」(『交通新聞』1973年3月14日2面)を参照し、適宜個別箇所で他文献を使用。 7時31分 : 熊谷鉄道公安室、埼玉県警に出動要請。国鉄本社が通報し警官70人が出動したとの説明もある。 8時30分 : 高崎線各駅に到着、または同線通過となる乗車券を発売中止。大宮鉄道病院は救護班を現地に派遣。 8時35分 : 上尾駅長と助役が怪我のため入院、駅員総退去。 8時50分 : 同線上り列車を上越線水上駅で全面停止、信号保安要員を現地に派遣。その後普通列車のみ高崎折り返しで運転。 9時00分 : 高崎線沿線各駅の乗客、熊谷1万人、上尾6,000人等、合計3万人まで膨れ上がる 9時10分 : 機動隊、公安員などが上尾駅に到着。最初の70人では駅周辺に集まった多数(池口等は12,000人の数字を挙げる)の通勤客に対し無力であったため700人まで増員される。 9時45分 : 上尾駅の乗客1万人となる。この頃より機動隊の整理が始まり、投石・破壊行為は沈静化する。 10時00分 : 高崎線抑止列車数約20本。抑止による影響人員約5万人 10時07分 : 宮原駅長、助役が乗客に拉致され、大宮駅まで歩かされる。 10時10分 : 熊谷通運上尾支店内に現地対策本部設置。埼玉県警は対策本部を上尾警察署に設置し、群馬県警にも応援要請。川越線835D列車に乗客が投石し運転士、車掌が国鉄大宮工場に避難。これにより川越線も不通となる。 10時30分 : 東北本線下り急行「まつしま1号」に投石。現地対策本部長として国鉄本社公安本部長、旅客局戸川調査役が現地に派遣される。 10時40分 : 東北、高崎、川越線の全面運転休止 10時45分 : 大宮駅8番、9番ホーム運転事務室が乗客に占拠される。運輸省関東地方自動車局、管内4事業所に代行輸送のバス7台を手配、他上尾駅の乗客を大宮まで輸送するため民間バス等33台を手配(20台との説明もある)。 11時07分 : 大宮駅の混乱は収束 11時20分 : 東北本線運転再開 11時30分 : 川越線運転再開 11時50分 : 上尾駅乗客6000人 12時05分 : 磯崎叡国鉄総裁、目黒今朝次郎動労委員長のトップ会談が始まる。国鉄は正午に大宮駅の公安室に現地対策本部を設置したが、上述のように上尾駅との鉄道電話は切断されていた。 12時35分 : 東京電務区に「13時5分東京駅を爆破する」とのいたずら電話。 この暴動で、高崎線の大宮 - 高崎間の全線が不通となり、周辺の桶川駅・北本駅・鴻巣駅・熊谷駅などでも、駅舎の窓ガラスが割られるなどの被害を受けた。「上尾事件」と個別の駅名が付けられているが、翌月の首都圏国電暴動ほど大規模ではないにせよ、実際には高崎線を中心に、複数駅で同種の動きがあった事件である。 逮捕者は混乱に乗じて駅から金銭を奪った者(窃盗罪)、取材に来ていた新聞記者に暴行を加えた者(暴行罪)など7名であった。
※この「7時半以降の推移」の解説は、「上尾事件」の解説の一部です。
「7時半以降の推移」を含む「上尾事件」の記事については、「上尾事件」の概要を参照ください。
- 7時半以降の推移のページへのリンク