1970年の優勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 09:57 UTC 版)
「デイブ・ディバッシャー」の記事における「1970年の優勝」の解説
1969-70シーズン、才能が揃ったニックスは全米からスポットライトを浴びた。それは彼らの本拠地が世界有数の大都市で、必然的にメディアの注目が集まるからでもあったが、しかし当時のニックスには無視できない素晴らしい個性が集まっていた。チームが誇るフロアリーダー、ウォルト・"クライド"・フレイジャーは人目を引くポイントガードであり、普段のファッションも派手だった。ローズ奨学生の"ダラー・ビル"・ビラッドリーは後に大統領候補にまで上り詰める男だが、彼は思慮深い選手であり、偉大なパサー、シューターだった。そしてチームの中心には勇敢な6フィート9インチ(約206cm)のウィリス・リードが居た。 フィジカルなディバッシャーは、正にニックスが頂点に立つための最後のピースだった。ディバッシャーはその気になれば毎晩20得点はあげられるスコアラーでもあったが、ニックスが彼に求めたのは、重要なリバウンドを確保することと、そして相手チームのエースをシャットダウンすることだった。ディバッシャーはチームの期待に応えた。彼は素晴らしいディフェンダーだった。彼は時に40分の出場で4~6得点ほどしかあげない時もあったが、ホルツマンはNewsdays紙にこう語っている。「人々は私に尋ねるんだ。どのようにして彼をあれほど長くプレーさせているのか?ってね。私はこう言っている。彼は私たちのためにとんでもないリバウンドをやってのけるし、彼は私たちのためにとんでもないディフェンスをやってくれる、とね」。またディバッシャーはピストンズ時代のコーチ経験を活かし、チームメートたちにエゴを捨てさせ、チームプレーに徹するよう促した。その効果は絶大で、賢く抜けめないチームに成長したニックスは、平均失点でリーグトップに立つタフなディフェンスを展開した。彼の獲得を熱望したホルツマンでさえも「私は彼を獲得するまで、彼がこれほど素晴らしい選手だとは理解していなかった」と語っている。当時アトランタ・ホークスのヘッドコーチのリッチー・ゲリンもホルツマンの意見に同意した。「デイブは私のこれまでのバスケットキャリアの中で見た、最も素晴らしいフォワード10人のうちの1人だ」。 ニックスは1969-70シーズンにフランチャイズ史上最高勝率となる60勝20敗を記録してリーグトップに立ち、またディバッシャーは平均14.6得点10.0リバウンドを記録した。ニックスはプレーオフも勝ち抜き、デビジョン決勝ではついにデビューを果たした大物新人ルー・アルシンダーのミルウォーキー・バックスを4勝1敗で降し、1953年以来のNBAファイナル進出を果たした。ファイナルで待っていたのはロサンゼルス・レイカーズだった。1969年はボストン・セルティックスを11回の優勝に導いた伝説的選手、ビル・ラッセルが引退した年であり、あらゆるチームがボストン王朝崩壊後の覇権を狙っていた。その中でも特にファイナル制覇に執念を燃やしていたのが、レイカーズだった。過去11年、ファイナルに7回進出しながら尽くセルティックスに敗れていたレイカーズは、エルジン・ベイラー、ジェリー・ウェスト、ウィルト・チェンバレンとチャンピオンリング獲得に飢えているベテランスターが揃っており、ホームコートアドバンテージを保持しているのはニックスだったが、ファイナルでの戦い方を熟知しているレイカーズの方がニックスよりも有利という見方が多かった。 しかしニックスはビッグスリー相手にも全く引けを取らず、両者は大接戦を演じた。ディバッシャーのプレーは随所で光った。1勝1敗で迎えた第3戦ではディバッシャーのジャンプシュートがよく決まり、オーバータイムの末にニックスを111-108の勝利に導いた。2勝2敗で迎えた第5戦では、218cmのチェンバレンを198cmのディバッシャーがマッチアップし、ディバッシャーはこのNBA史を代表する巨人を僅か4点に抑えた。後にディバッシャーは「第5戦は今までプレーした中で最も素晴らしい試合の一つだった」と誇りをもって語っている。そしてマディソン・スクエア・ガーデンの伝説となった第7戦。シリーズ中に足に大怪我を負ったウィリス・リードは、第7戦の出場が絶望視されており、リードを欠いて第7戦を戦わなければならないニックスは敗色濃厚となった。しかしリードは第7戦のコートに現れた。さらに試合ではニックス最初の得点を記録。リードがコートに立った時間は僅かなものだったが、彼の勇姿はレイカーズの度肝を抜き、そしてニックスの闘争心に火を点けた。実はディバッシャーはブラッドリーと共にリードに第7戦も出場するよう掛け合った人物だったが、彼もまたリードの勇姿に煽られ、第7戦で18得点17リバウンドをあげた。113-99と完勝したニックスはシリーズ4勝目をあげ、創部24年目にして初の優勝を遂げた。 1970-71シーズン、ディバッシャーは例年通りの平均15.6得点11.1リバウンドをあげ、ニックスもカンファレンス1位となる52勝30敗をあげたが、プレーオフではカンファレンス決勝でボルチモア・ブレッツに3勝4敗の末に敗れた。翌1971-72シーズン、ニックスはそのブレッツからエースガードのアール・モンローを、さらに怪我から回復し切らないリードをサポートさせるために、サンフランシスコ・ウォリアーズからカジー・ラッセルとのトレードでジェリー・ルーカスを獲得するという大型補強を行った。ディバッシャーは多くのスター選手に囲まれることになったが、成績を落とすことなく平均15.4得点11.3リバウンドを記録した。ニックスはリードが長期欠場したため、補強の甲斐なく前年度を下回る48勝34敗だったが、プレーオフでは初戦でブレッツに対し前年の雪辱を果たすと、カンファレンス決勝ではビル・ラッセル引退後、ジョン・ハブリチェックやデイブ・コーウェンスらを中心に再建したボストン・セルティックスを破り、3年ぶりにファイナルに進出した。ファイナルでは再びレイカーズと相まみえたが、ニックスは故障者だらけで、ディバッシャーもまた怪我を負い、第3戦では6本のフィールドゴールを全て外し、以降の試合は欠場した。結局ニックスは1勝4敗でレイカーズに完敗し、2度目の優勝はならなかった。
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