1970年のエベレスト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/29 02:19 UTC 版)
「エベレストを滑った男」の記事における「1970年のエベレスト」の解説
このスキーによる滑降は、藤島泰輔を総本部長とした1970年当時の日本エベレスト・スキー探検隊が掲げた目的のひとつであった。この遠征ではシェルパ6人が遭難死した。当時、これとは別の日本の遠征隊である日本山岳会エベレスト登山隊が、複数のルートからエベレストの登頂に挑み、ノーマルルートからは松浦輝夫、植村直己、平林克敏がエベレストの日本人初登頂に成功し、南西壁(映画のポスターに、Y字形に雪が溜まった黒い岩壁として写り込んでいる)のルートからの登頂を目指す初めての試みであった。後者は2人の死者を出した。
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