1954 FIFAワールドカップ・予選
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1954 FIFAワールドカップ 地区予選は、37のナショナルチームがエントリーした。 本大会に出場できるのは16チームで、開催国のスイスと前回優勝国のウルグアイは予選を免除されたため、残りの14チームの出場枠を争った。
出場枠
欧州
(UEFA) |
南米
(CONMEBOL) |
北中米カリブ海
(CONCACAF) |
アフリカ
(CAF) |
アジア
(AFC) |
オセアニア
(OFC) |
開催国
|
前回優勝国
|
合計
|
|
本大会 出場枠 |
10.5 | 1 | 1 | 0.5 | 1 | 0 | 1 | 1 | 16 |
予選の方式
グループを大陸別に組んで、限られた上位のチームが本大会へ出場できる。それぞれグループの予選方法は以下の通りである。
- ヨーロッパ
- グループ1 - 3チームで行われる。1位チームが出場。
- グループ2 - 3チームで行われる。1位チームが出場。
- グループ3 - 4チームで行われる。上位2チームが出場。
- グループ4 - 3チームで行われる。1位チームが出場。
- グループ5 - 2チームで行われる。2試合で勝ち点の多かったチームが出場。
- グループ6 - 2チームで行われる。2試合で勝ち点の多かったチームが出場。
- グループ7 - 2チームで行われる。2試合で勝ち点の多かったチームが出場。
- グループ8 - 3チームで行われる。1位チームが出場。
- グループ9 - 2チームで行われる。2試合で勝ち点の多かったチームが出場。
- グループ10 - 3チームで行われる。1位チームが出場。
- 南米
- グループ11 - 4チームで行われる。1位チームが出場。
- 北中米
- グループ12 - 3チームで行われる。1位チームが出場。
- アジア
- グループ13 - 3チームで行われる。1位チームが出場。
各グループ予選
グループ1
チーム | 勝ち点 | 試合数 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
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7 | 4 | 3 | 1 | 0 | 12 | 3 | +9 |
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3 | 4 | 1 | 1 | 2 | 4 | 8 | -4 |
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2 | 4 | 0 | 2 | 2 | 4 | 9 | -5 |
グループ2
チーム | 勝ち点 | 試合数 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
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7 | 4 | 3 | 1 | 0 | 11 | 6 | +5 |
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3 | 4 | 1 | 1 | 2 | 9 | 8 | +1 |
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2 | 4 | 0 | 2 | 2 | 7 | 13 | -6 |
グループ3
1953-54ブリティッシュ・ホーム・チャンピオンシップがワールドカップ予選を兼ねた。
チーム | 勝ち点 | 試合数 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
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6 | 3 | 3 | 0 | 0 | 11 | 4 | +7 |
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3 | 3 | 1 | 1 | 1 | 8 | 8 | 0 |
![]() |
2 | 3 | 1 | 0 | 2 | 4 | 7 | -3 |
![]() |
1 | 3 | 0 | 1 | 2 | 5 | 9 | -4 |
グループ4
チーム | 勝ち点 | 試合数 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
8 | 4 | 4 | 0 | 0 | 20 | 4 | +16 |
![]() |
4 | 4 | 2 | 0 | 2 | 8 | 6 | +2 |
![]() |
0 | 4 | 0 | 0 | 4 | 1 | 19 | -18 |
グループ5
チーム | 勝ち点 | 試合数 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
3 | 2 | 1 | 1 | 0 | 9 | 1 | +8 |
![]() |
1 | 2 | 0 | 1 | 1 | 1 | 9 | -8 |
グループ6
チーム | 勝ち点 | 試合数 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
2 | 2 | 1 | 0 | 1 | 2 | 4 | -2 |
![]() |
2 | 2 | 1 | 0 | 1 | 4 | 2 | +2 |
2チームの勝ち点が並んだので、中立国のイタリアで再試合が開催された。再試合は2-2の引き分けとなった為、抽選を行い、トルコの出場が決定した[1]。
グループ7
ポーランドが辞退した為、ハンガリーの出場が決定した。(アイスランドのエントリーは拒否された。)
グループ8
チーム | 勝ち点 | 試合数 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
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7 | 4 | 3 | 1 | 0 | 5 | 1 | +4 |
![]() |
4 | 4 | 2 | 0 | 2 | 5 | 5 | 0 |
![]() |
1 | 4 | 0 | 1 | 3 | 3 | 7 | -4 |
グループ9
チーム | 勝ち点 | 試合数 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
4 | 2 | 2 | 0 | 0 | 7 | 2 | +5 |
![]() |
0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 2 | 7 | -5 |
グループ10
チーム | 勝ち点 | 試合数 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
8 | 4 | 4 | 0 | 0 | 4 | 0 | +4 |
![]() |
4 | 4 | 2 | 0 | 2 | 3 | 2 | +1 |
![]() |
0 | 4 | 0 | 0 | 4 | 0 | 5 | -5 |
グループ11
チーム | 勝ち点 | 試合数 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
8 | 4 | 4 | 0 | 0 | 8 | 1 | +7 |
![]() |
4 | 4 | 2 | 0 | 2 | 8 | 6 | +2 |
![]() |
0 | 4 | 0 | 0 | 4 | 1 | 10 | -9 |
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- |
ペルーは予選を辞退した。(ボリビアのエントリーは拒否された。)南米では初めて予選の試合が実施された。
グループ12
チーム | 勝ち点 | 試合数 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
8 | 4 | 4 | 0 | 0 | 19 | 1 | +18 |
![]() |
4 | 4 | 2 | 0 | 2 | 7 | 9 | -2 |
![]() |
0 | 4 | 0 | 0 | 4 | 2 | 18 | -16 |
グループ13
チーム | 勝ち点 | 試合数 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
3 | 2 | 1 | 1 | 0 | 7 | 3 | +4 |
![]() |
1 | 2 | 0 | 1 | 1 | 3 | 7 | -4 |
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- |
中華民国は予選を辞退した。(インドとベトナムのエントリーは拒否された。)
出場国
ヨーロッパ
スイス(開催国・4大会連続4度目)
イタリア(4大会連続4度目)
フランス(2大会ぶり4度目)
ベルギー(2大会ぶり4度目)
チェコスロバキア(2大会ぶり3度目)
西ドイツ(2大会ぶり3度目、旧ドイツ時代を含む。東西分裂後は初出場)
ハンガリー(2大会ぶり3度目)
ユーゴスラビア(2大会連続3度目)
イングランド(2大会連続2度目)
オーストリア(3大会ぶり2度目)
スコットランド(初出場)
トルコ(初出場)
南米
北中米・カリブ海
メキシコ(2大会連続3度目)
アジア
韓国(初出場)
脚注
- ^ “Play-off history provides no clues for Spain - FIFA.com”. web.archive.org (2017年10月21日). 2022年6月25日閲覧。
外部リンク
「1954 FIFA World Cup qualification」の例文・使い方・用例・文例
- 最初の原子力潜水艦は1954年に進水した
- 調査によると、米国政府に逮捕されたウェットバックの数は1954年がピークだった。
- 中国の後援する北ベトナム共産軍と米国の後援する南ベトナム軍との長期戦(1954年−1975年)
- 文鮮明によって1954年に設立され、大規模な結婚式と他のコミュニティの活動を行うことで知られているキリスト教の教会(若干の仏教の要素がある)
- 南ベトナムがベトナム戦争終了後暴落する前の、1954年から1975年まで存在した南東部アジアの旧国(ディエンビエンフーのフランスの敗北の後)
- 1954年(ジエンビエンフーのフランス人の敗北の後の)からそれが北ベトナムによって破られて、付加された1975年まで存在した南東のアジアの前の国
- 英国の走者で、1954年に1マイルを4分以内で初めて走った(1929年生まれ)
- フランスの女性についての小説の作家(1873-1954)
- フランスの画家で野獣主義の提唱者(1880年−1954年)
- スウェーデンの海洋学者で、海流へのコリオリ効果の役割を認識した(1874年−1954年)
- 米国のテニス選手で、米国とウィンブルドンで女子シングルスのタイトルを獲得した(1954年生まれ)
- イタリアの原子物理学者(1939年以降、米国)で、中性子衝撃によって引き起こされる人工放射能に取り組み、1942年に初の制御された核反応を実現したグループを率いた(1901年−1954年)
- 米国の弁護士で、いくつかの有名な法廷裁判に関係する(1881年−1954年)
- 米国の弁護士、政治家で、1930年から1966年まで米国の映画の道徳的な内容を定めた製造規則を定式化した(1879年−1954年)
- 米国の小説家で、1954年にノーベル文学賞を受賞した(1899年−1961年)
- フランスの競争自転車選手で、ツール・ド・フランスに5度優勝した(1954年生まれ)
- ベトナムの共産主義の政治家で、第二次世界大戦で日本人と戦い、1954年までフランス人と、また1975年まで南ベトナムと戦った(1890年−1969年)
- 英国の高位聖職者で、悲観的な説教と論説で知られる(1860年−1954年)
- 米国の作曲家で、多調性を革新的に使用したことで知られる(1874年−1954年)
- 米国の画家(1898年−1954年)
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