1900年代中期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 23:46 UTC 版)
開園よりしばらく雑多な見世物用の動物を展示していたが、1906年に市長ロバート・W・スピールは「鉄格子を廃してコンクリートの岩や滝と、木を使う」と決定し、市の造園設計士サッコ・R・デボアに改造アイデアを図面にさせ、ビクター・H・ボーチャードを動物園の責任者に任命した。 ボーチャードはベアー・マウンテン (Bear Mountain) をデザインし、5万ドルをかけて高さ13メートル、長さ56メートルの展示が1918年に完成した。ベアー・マウンテンはコロラド州モリソン郊外のダイナソー・マウンテンの形、色、質感を再現しており、鉄格子の代わりに、見えないように配置された堀と、自然の植物、蒸気の吹き出しで自然な外観を演出した。主な2つの展示では、当初はホッキョクグマとグリズリーを飼育していた。南端部分はメサ・ヴェルデ国立公園に似せてデザインされ、サルが飼育されていたが、逃げ出す問題が起こったため、代わってアシカ用に使われた。1941年から1961年の間はベロックス (Velox) という名のメスのホッキョクグマが飼育されており、1952年には第31歩兵連隊のマスコットに採用された。 ベロックスは1961年に死亡したが、記念碑は今も園内に残っている。デンバーのベアー・マウンテンはアメリカの動物園の中で最も初期に作られたものの一つであり、この展示を見たセントルイス動物園はボーチャードを採用した。 同じ地域の他の動物園は、多額のニューディール基金を投じて施設を改善したが、デンバー動物園が1918年から1950年の期間に新たに加えた大きな設備はモンキー・アイランド (Monkey Island) のみだった。モンキー・アイランドは1937年にWPAの基金を使って建てられた。当時の市長ベンジャミン・F・ステイプルトンは動物園に少ない予算しか与えておらず、1947年にクィッグ・ニュートンが市長になった時、維持管理が行き届いていなかった設備の状態は良くなかった。ニュートン市長は、動物園のデザインに40年の経験を持つデボアを採用し、園の再生を計画した。1950年のモンキー・アイランドの全面改修を始めとして、着実に展示の追加と改善が行われていった。 デンバー動物園基金が1950年に創設され、同年園にとっての初めてゾウとなるクッキー (Cookie) を迎えた。子供動物園が1951年にオープン、1957年には敷地周囲に境界フェンスが設置された。1959年に敷地内への自動車の乗り入れが完全に禁止された。同年、厚皮動物のための居住区パキダーム・ハビット (Pachyderm Habitat) がオープンし、2頭目のゾウ、キャンディーが加わった。さらに、1964年にネコ科のためのフェリーン・ハウス (Feline House)、1966年にキリンのためのジラフ・ハウス (Giraffe House)、1969年に動物病院、1975年にバード・ワールド (Bird World)、1979年にオオツノヒツジのためのマウンテン・シープ・ハウス (Mountain Sheep habitat)、1987年に寒帯の動物 (ホッキョクグマ、カワウソ、アシカなどの鰭脚類) のための施設、ノーザン・ショアーズ (Northern Shores)、オオカミの居住区ウルフ・パック・ウッズ (Wolf Pack Woods) をそれぞれ開設した。 1972年の海洋哺乳類保護法によりホッキョクグマとアシカをベアー・マウンテン施設内で飼育することができなくなった。この法律と設備の老朽化を理由に、1987年からベアー・マウンテンの改修が25万ドルかけて行われ、1989年に再オープンした際には、グリズリーとツキノワグマが北の2区画を使用し、南端部をハナグマが使用することとなった。
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