1900年代-1930年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 03:00 UTC 版)
「リトル・トーキョー」の記事における「1900年代-1930年代」の解説
学校、教会等、当時の日本人の必要とされている物品等を売っている店舗等が徐々に増えていった。現在のリトルトーキョー、小東京と呼ばれる様になったのは20年後の1905年頃と云われている。1909年、当時日本人会長だった甲斐政次郎は、生花栽培と流通を担う南カルフォルニア花市場株式会社を設立し、この生花流通システムを全米に拡げた。ただ、日曜の営業や低賃金女性労働者利用には社会からの批判もあり、1913年にはカリフォルニア州外国人土地法が施行された。 市民権獲得資格の無い外国人の土地所有が制限されていったものの、20世紀に入り移民が急増したことにより、1930年代には35,000人もの日本人がロサンゼルスに移住、その多くはここに居住していた。なお、リトル・トーキョーに隣接するボイル・ハイツ地区は日系移民やユダヤ系の住居が数多くあり、「生活の場はボイル・ハイツ、職場はリトル・トーキョー」と云うのが一般的であった。
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