1900年代 – 1920年代
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「コミュニケーション学」の記事における「1900年代 – 1920年代」の解説
コミュニケーション学は古代やそれ以前にまで遡り得るものではあるが、今日のアメリカ合衆国でこの学問が確立されるようになる上では、20世紀はじめのチャールズ・クーリー、ウォルター・リップマン、ジョン・デューイによる業績が、特に重要であった。 クーリーは、1909年の著書『社会組織論: 拡大する意識の研究 (Social Organization: a Study of the Larger Mind)』において、コミュニケーションを「それを通して人間関係が存在し発展する機構 - 頭に浮かぶあらゆる象徴と、それを空間を超えて輸送し、時を超えて保存する手段」と定義した。この見方は、その後、社会学ではほとんど顧みられなくなっていったが、社会関係の研究において、コミュニケーションの過程に中心的な構成要素としての位置を与えることになった。 ウォルター・リップマンは、1922年に刊行された『世論』において、このコミュニケーションの構成要素としての重要性と併せて、新しい技術とマス・コミュニケーション組織の興隆によって合意の創出が可能になり、彼の言う「外部世界と頭の中の絵柄」(現実環境と擬似環境)の間に、古典的な民主主義の実現を不可能にするほどのスケールで、不一致を生じさせる、という恐るべき見通しを述べた。 ジョン・デューイは、1927年の『現代政治の基礎 - 公衆とその諸問題』において、コミュニケーションについて同様の見方を示しながらも、楽観的に、進歩的・民主的改革の論題を結びつけ、「コミュニケーションは、それだけで偉大なコミュニティを創造できる」と述べた。 クーリー、リップマン、デューイは、社会生活におけるコミュニケーションの中心的な重要性、急速な社会変革の最中の社会における巨大で潜在的に強い力を持ったメディア組織と新しいコミュニケーション・テクノロジーの興隆、コミュニケーションと民主主義やコミュニティとの関係、といったテーマを既に捉えていた。こうしたテーマは現在でもコミュニケーション学にとって中心的な課題である。こうした関心は、ガブリエル・タルドやテオドール・アドルノのような論者の業績でも取り上げられ、他の地域におけるコミュニケーション学の展開においても中心的なテーマとなった。 20世紀はじめには、以上のような流れと並行して、社会科学よりも人文諸学から多くを引く継いだ文化批評の流れが発展した。W・E・B・デュボイスは、社会学出身であったが、その業績は芸術や精神に関するものが顕著であった。 アメリカの演説についての研究が始まったのも、この時代である。ハーバート・A・ウィチェルンズ(Herbert A. Wichelns)は、1925年に「The Literary Criticism of Oratory (演説についての文学批評)」という論文を著書『Studies in Rhetoric and Public Speaking in Honor of James Albert Winans』に収めた。ウィチェルンズの論文は、「学問的関心や調査の対象領域として、修辞学を文学研究と対等にする」試みであった。ウィチェルンズは、演説は文学同様に真剣に受け止められるべきものであり、批評と分析の対象とされるべきであると記した。今日、この論文は修辞学的批評の学科目において標準的に読まれる文献となっているが、発表直後(1925年 - 1935年)には修辞学の分野からほとんど反響は得られなかった。
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