1900年の駅
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「シャン・ド・マルス=トゥール・エッフェル駅」の記事における「1900年の駅」の解説
1900年4月12日、アンヴァリッド駅からレ=ムリノーに至る路線が開業し、シャン・ド・マルスはその中間駅となった。また同時にシャン・ド・マルスからルーエレ橋を経由しトロカデロ駅(現アヴェニュ・アンリ・マルタン駅)でオートゥイユ線(サン・ラザール駅からパリ市南西部に向かっていた路線)に接続する路線も開業した。 シャン・ド・マルス駅には、セーヌ川に沿ってアンヴァリッド方面へ向かう線路上に相対式ホーム2面2線が設けられたほか、以前の駅を拡張した敷地に頭端式ホーム10面20線が設けられた。頭端式ホームは以下のように使い分けられ、多くの万博来場者を受け入れた。 サン・ラザール駅行き - 6線 北駅行き - 4線 プティト・サンチュール右岸側 - 2線 イシー=レ=ムリノー方面 - 4線 ヴェルサイユ方面 - 2線 プティト・サンチュール左岸側 - 2線 万博終了後は頭端式ホーム部分の旅客営業は廃止され、アンヴァリッド方面に直通する2面2線のみが旅客用に用いられた。またルーエレ橋経由の連絡線も廃止された。頭端式ホームの跡地は貨物駅に転用され、主に石炭の輸送に用いられた。しかし都心部の、しかも観光客の多く集まる地区にこのような駅を置くことは不評であり、1937年の万博を控えて貨物駅はヴォージラール(現モンパルナス駅の一部)に移転した。 その後貨物駅跡地は1971年までアンヴァリッド-ヴェルサイユ線の電車の車両基地として用いられた。その跡地は現在ではエミール・アントワーヌ陸上競技場(Stade Émile Antoine)や国際鉄道連合本部になっている。
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