1900年ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 00:17 UTC 版)
「ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道」の記事における「1900年ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道法」の解説
1899年11月、ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道は新たな路線案を議会に提出した。マリルボンからパディントンまでの延伸が再度提案されたが、今回の案ではパディントン駅の位置はメインラインの駅の東側、ビショップス・ロード(後のビショップス・ブリッジ・ロード)とグロースター・テラスの交差点に設けるよう変更され、ビショップス・ロードの下、イーストボーン・テラスの下を通ってメインラインの駅に通じる地下道につながるように途中駅を設けるものとなった。ウォータールーからは、ウェストミンスター・ブリッジ・ロード(英語版)とジョージズ・ロード(英語版)の下を通ってエレファント・アンド・カッスルに達する路線が計画され、ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道はニュー・クロス・アンド・ウォータールー鉄道が2年前に計画した案と同様、エレファント・アンド・カッスルでシティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道と接続するものとされた。車両基地に接続する支線と、発電所がセント・ジョージズ・サーカス南側の盲学校敷地内に建設される計画だった。パディントン側では西側に延伸し、ロイヤル・オーク(英語版)又はウイルズデン(英語版)地区に至るものとされたが、両地区にはすでにメトロポリタン鉄道の路線があったことから、再びメトロポリタン鉄道の反対にあうことになった。ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道の延伸案はメトロポリタン鉄道の反対を押し切って認められ、1900年8月6日に1900年ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道法として女王裁可を得た。
※この「1900年ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道法」の解説は、「ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道」の解説の一部です。
「1900年ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道法」を含む「ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道」の記事については、「ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道」の概要を参照ください。
- 1900年ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道法のページへのリンク