1900年のオルセー駅
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「ミュゼ・ドルセー駅」の記事における「1900年のオルセー駅」の解説
駅はヴィクトール・ラルーによって設計されたもので、ホームは高さ32m、幅40mのドーム状の屋根(トレイン・シェッド)で覆われていた。オルセー駅では蒸気機関車の使用する駅では煙のため不可能だった構造が採用されている。それまでのターミナル駅では、切符売り場や待合室などはホームとは独立した駅舎に設けられていたが、オルセー駅ではこれらが一つの屋根の下に納められている。またドーム内部の壁画や装飾も以前の駅には見られなかったものである。ドームの西端には大時計が掲げられていた。 オルセー駅はルーブル美術館やチュイルリー庭園の対岸に位置するため、19世紀末に流行したような鉄骨やガラスの目立つデザインは受け入れられなかった。そのため駅舎は鉄骨組みを骨格としながらも、セーヌ川に面した正面を化粧石で覆っている。使用された鉄骨の総量は12000トンにのぼり、エッフェル塔の7500トンを上回っている。 ホームは地下1階に位置していたが、その上はほとんどの部分が吹抜けとなっていた。地上部分の北側のオルセー河岸側(現美術館の地上階展示室の場所)に出発用ホールがあり、到着ホールは西側(美術館の入口付近)に設けられていた。ホームと出発・到着ホールの間には荷物用のベルトコンベアがあり、乗客は出発ホールで手荷物を預け、到着ホールで受け取ることができるようになっていた。 駅には370室の客室を持つホテルが併設されていた。ホテルの入口は出発ホールと到着ホールの間の駅北西角にあり、客室は南のリール通り沿いの上層階にあった。また2階の北側に「祝宴の間(Salle de Fêtes)」、西側にはレストランが設けられていた。これらの部屋はオルセー美術館内に現存している。祝宴の間の照明はすべて電灯であった。当時の電灯はガス灯よりも暗かったが、鏡を効果的に用いることで明るさを確保していた。
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