1900年のオルセー駅とは? わかりやすく解説

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1900年のオルセー駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 00:02 UTC 版)

ミュゼ・ドルセー駅」の記事における「1900年のオルセー駅」の解説

駅はヴィクトール・ラルーによって設計されたもので、ホームは高さ32m、幅40mのドーム状の屋根トレイン・シェッド)で覆われていた。オルセー駅では蒸気機関車使用する駅では煙のため不可能だった構造採用されている。それまでターミナル駅では、切符売り場待合室などはホームとは独立した駅舎設けられていたが、オルセー駅ではこれらが一つ屋根の下に納められている。またドーム内部壁画装飾以前の駅には見られなかったものであるドーム西端には大時計掲げられていた。 オルセー駅ルーブル美術館チュイルリー庭園対岸位置するため、19世紀末流行したような鉄骨ガラスの目立つデザイン受け入れられなかった。そのため駅舎鉄骨組み骨格しながらも、セーヌ川面した正面化粧石で覆っている。使用され鉄骨総量は12000トンにのぼり、エッフェル塔7500トン上回っている。 ホーム地下1階位置していたが、その上はほとんどの部分吹抜けとなっていた。地上部分の北側オルセー河岸側(現美術館地上階展示室の場所)に出発ホールがあり、到着ホール西側美術館入口付近)に設けられていた。ホーム出発到着ホールの間には荷物用のベルトコンベアがあり、乗客出発ホール手荷物預け到着ホール受け取ることができるようになっていた。 駅には370室の客室を持つホテル併設されていた。ホテル入口出発ホール到着ホールの間の駅北西角にあり、客室は南のリール通り沿いの上層階にあった。また2階北側に「祝宴の間(Salle de Fêtes)」、西側にはレストラン設けられていた。これらの部屋オルセー美術館内に現存している。祝宴の間の照明はすべて電灯であった当時電灯ガス灯よりも暗かったが、鏡を効果的に用いることで明るさ確保していた。

※この「1900年のオルセー駅」の解説は、「ミュゼ・ドルセー駅」の解説の一部です。
「1900年のオルセー駅」を含む「ミュゼ・ドルセー駅」の記事については、「ミュゼ・ドルセー駅」の概要を参照ください。

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