スラヴの影響
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ポール・ポワレやマリアノ・フォルトゥーニ・イ・マドラソ(スペイン語版)のようなデザイナーたちは1900年代から1910年代初頭にオートクチュールに民族的デザインを導入した。シャネルはこの傾向を引き継ぎ、1920年代初頭にスラヴ風のデザインを取り入れた。この時のシャネルの服のビーズ取付と刺繍はロシアのマリア・パヴロヴナ公爵夫人(英語版)(シャネルのかつての愛人ドミトリー・パヴロヴィチ大公の姉)が設立した縫製会社キトミール(Kitmir)によって独占的に行われた。シャネルの初期のコレクションでは、キトミールによる東洋的なステッチと洋式化された民族モチーフの融合が強調された。1922年のイブニングドレスには刺繍のあるヘッドスカーフ(バブーシュカ:babushka)が付属していた。このヘッドスカーフの他にも、この時代のシャネルの服はルバシカ(roubachka)として知られるロシアのムジーク(muzhiks:農民)の服装を仄めかす長いベルトで止めるスクエアネックのブラウスを特徴としていた:172。イブニングドレスはしばしばきらめくクリスタルとblack jetの刺繍が施されていた:25–26。
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