スラヴァ/モスクワ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 09:38 UTC 版)
「スラヴァ級ミサイル巡洋艦」の記事における「スラヴァ/モスクワ」の解説
詳細は「モスクワ (ミサイル巡洋艦)」を参照 1番艦「スラヴァ」は1976年11月6日起工。1979年7月27日進水。1982年12月30日竣工。黒海艦隊第30師団第150ミサイル艦旅団に配属。東西冷戦終結宣言が行われた1989年の米ソ首脳マルタ会談においては、ソ連海軍より会談場所として提供されたが、結局、会談には使われなかった。 ソビエト連邦の崩壊時にはオーバーホール中であったが、その後のロシア・ウクライナ両国による「黒海艦隊分割・帰属問題」のあおりを受け、工事はストップ。1995年5月16日、モスクワと改名。1997年に両国の交渉が妥結し、晴れて正式にロシア海軍黒海艦隊所属となったが、予算不足でオーバーホール工事の方は一向に捗らなかった。この状況を見かねたモスクワ市が工事費用の一部2,000万ドルを寄付した事もあって、2000年にようやく工事が終わり、再び黒海艦隊旗艦に返り咲いた。 2003年のイラク戦争後には、大型対潜艦「スミェトリーヴイ」、警備艦「プィトリーヴイ」と共にペルシャ湾海域に進出している。なお管理上は、第30艦艇師団の第11対潜艦旅団に編入されている。 2022年2月、黒海での演習のためにセヴァストポリを出港した。その後、同月24日より開始されたロシア軍によるウクライナ侵攻において、22160型哨戒艇「ワシリー・ビコフ」と共にウクライナのスネーク島に対して艦砲射撃により攻撃した(ズミイヌイ島攻撃、ロシアの軍艦よ、くたばれを参照)。 同年4月13日、弾薬の爆発により重大な損傷を受け、総員退艦が命じられたことがロシア海軍から公式発表された。原因についてはロシア公式発表は火災とし、ウクライナ軍は自軍の攻撃(対艦巡航ミサイル「ネプチューン」)によるとしている。ウクライナのアレストビッチ大統領府長官顧問は14日、SNSに「モスクワ」が沈没したと投稿したが、ロシア国防省は沈没を否定し、ミサイル兵装に損傷はないと発表した。しかし、同日の内にロシア国防省は「モスクワ」が弾薬の爆発による火災に見舞われた後、港への曳航中に船体の損傷が原因でバランスを崩し、荒波にもまれて沈没したと発表した。 巡洋艦の喪失例としては、1982年のフォークランド紛争におけるアルゼンチン海軍の巡洋艦「へネラル・ベルグラノ」(旧米海軍ブルックリン級軽巡「フェニックス」)以来となる。また、第二次世界大戦以降に設計、建造された巡洋艦としては初めて戦闘で喪失した艦艇となった。
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