雷電の黄金時代とは? わかりやすく解説

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雷電の黄金時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 00:02 UTC 版)

雷電爲右エ門」の記事における「雷電の黄金時代」の解説

1793年寛政5年1月から銚子などの巡業行い江戸相撲3月場所8日目常山五郎吉戦で敗れるなど、8勝1敗に終わったこの頃から巡業形態変化加わり6月掛川袋井巡業経て8月には松江小野川喜三郎ら藩外の力士招き入れ大規模な国内巡業行った御前相撲で小野川対戦して五分成績だった。同年10月場所では8勝1預1休で、初土俵以来6場所ぶりの優勝相当成績挙げた。これ以降出場した本場所優勝逃したのは僅か2場所である。 1794年寛政6年)の帰省中に桜田火事発生したが、松江藩屋敷雷電自宅被災免れた雷電はこれを受けて神田明神義援興行行った後、3月場所出場する当初寺社奉行から上覧相撲が近いことを内示されたために勧進元開催急いだが、雷電初日の出場が間に合わず休場となる。4月9日の上相撲で千歳川庄太夫を押し出し下した後、「お好み相撲」では幕下磐井川逸八と対戦して付き膝勝利した1795年寛政7年)の年始江戸中をインフルエンザ猛威振るいこの影響1月9日谷風亡くなる。同年3月場所では雷電大関昇進し全勝するも雨天続きインフルエンザ影響により5日目打ち切りとなった1797年寛政9年3月場所7日目花頂山五郎吉敗れたが、花頂山4年前に敗れた常山同一人物で、雷電が2敗した唯一の対戦相手である。5月に入ると藩主松平治郷が病に倒れ鶴の一声急遽松江戻り8月に治郷が回復するまで毎日のように御殿相撲奉仕したという。この時代相撲女人禁制解除して幕下以下取組のみ披露するのが慣例だったが、この場所では雷電小野川が共に五人抜き披露した。ところが、本場所終了後小野川現役引退表明し雷電一強時代が続く。 1798年寛政10年6月からの奥州巡業出発すると、片屋庄内藩秋田藩力士占めており、雷電らは客分扱いとされた。その間長女亡く悲劇見舞われ同年10月場所は小野川久留米藩に代わって雷電から2勝目挙げた花頂山庄内藩東方支配し、両藩の家老土俵下に控えて行司親方衆巻き込んで口論となるなど大荒れの場所となったが、これらの逆境乗り越えて9勝1休の優勝相当成績挙げた。しかし、場所中の11月7日今度は父・半右衛門死去する雷電その後1799年寛政11年11月場所でも9勝1休の優勝相当成績挙げ休場した所を除くと11場所連続での優勝相当成績という空前絶後の記録打ち立てた12月に藩から松江行き命じられるが、体調不良により江戸留まる雷電は年が明けた1800年寛政12年2月改め松江へ向かうが、江戸本場所開催期日を延ばすように松江藩出場交渉する実らず、これに合わせて延期されていた大坂相撲には間に合ったものの、番付編成は既に雲州力士抜きで編成されていたために出場が叶わなかった。雷電仕方なくそのまま北陸巡業向かい実家立ち寄って生家立て替えている。同年10月場所初日鯱和三郎敗れ江戸相撲での連勝44止まった最終的に6勝1敗1預2休となり、優勝相当成績無敗千田川だった。 1802年享和2年2月松江藩主・松平治郷参勤交代江戸へ向かった後、丸亀藩抱え大関平石七太夫訪問しており、一行出発前の合間を縫って2日間のみ興行を行うが、この興行開催前日に急きょ決定したもので、文字部分が白い凹番印刷番付表となったうえ、雨雪によって客入り悪かったその後浜田広島経由して九州向かい4月には島原半月ほど過ごす。この間長崎中国人と酒の飲み比べをして勝利し書画支那カバン譲られた。長崎での興行降られ10日間の興行全て開催するのに1ヶ月要した

※この「雷電の黄金時代」の解説は、「雷電爲右エ門」の解説の一部です。
「雷電の黄金時代」を含む「雷電爲右エ門」の記事については、「雷電爲右エ門」の概要を参照ください。

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