陸上競技との出会いとは? わかりやすく解説

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陸上競技との出会い(1911-1915)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 03:35 UTC 版)

野口源三郎」の記事における「陸上競技との出会い(1911-1915)」の解説

その後野口を心配した埼玉師範教師勧めで、東京高等師範学校東京高師、現・筑波大学)の補欠募集見て応募し1911年明治44年4月文科兼修地理歴史体操専修科進学するスポーツ腕前自信があったことと、体育だけでなく文科地理歴史)を兼修できること決め手となった兼修とは言え地理歴史専修生と同じ授業・同じ試験を受ける必要があり、体育の方でも柔道剣道ともに最低2段にならねばならないという厳しいものであったことから、24人いた同期卒業時には12人に半減した入学してすぐに春の校内長距離競走で1学年先輩金栗四三競り合うも、ゴールの手前でレース中断したため6位となり、同年10月6日の秋の校内長距離競走では金次ぎ2位となったこうした活躍校長嘉納治五郎の目に留まり羽田運動場開催されるストックホルムオリンピック予選会への出場勧められた。11月19日予選会ではマラソンで4位に入賞したが、日本代表選ばれたのはこの時優勝した短距離走三島弥彦の2名であった日本代表にはなれなかったものの、これが野口陸上競技入りを果たす契機となり、本格的に競技打ち込むことになった野口自身は、なぜ金三島オリンピック敗北したのか、日本国外スポーツとはどんなものか、という疑問持ったことが陸上競技に向かう契機となった述懐している。 1913年大正2年11月1日2日陸軍戸山学校開かれた第1回全国陸上競技大会(後の日本陸上競技選手権大会)には400m継走走幅跳棒高跳エントリーし棒高跳で7フィート10インチ(2m39)をマークして優勝した陸上競技以外に剣道にも精を出し1914年大正3年6月には4段昇段した。また水泳に関して水府流習得し初段列している。 高師時代野口には経済事情付きまとい何度も退学決意するも、嘉納校長峰岸舎監物心両面からの支援励まされ、無事卒業果たした

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陸上競技との出会い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 04:01 UTC 版)

瀬古利彦」の記事における「陸上競技との出会い」の解説

中学時代野球部投手をしていた。チーム県大会出場する早々に敗退するようなレベルだったが、東海地区野球強豪校からの誘いもあったことなどもあり、高校球児として甲子園目指すつもりでいた。野球関心持ったきっかけ漫画『巨人の星』への憧れであったという。 ところが、1年生時に校内の5キロ大会で優勝したことから、陸上部より懇願されて大会に出るようになる。市の陸上大会の2000mで優勝、続く県大会でも当時三重県記録優勝したことがきっかけで陸上競技魅力感じるようになり、陸上競技強豪校四日市工業高校への入学決意する入学直後から中距離走頭角現し高校1年山形インターハイ800m出場し3位入賞高校2年生時には地元三重インターハイ800m1500m優勝千葉国体1500m5000m優勝3年生時には福岡インターハイにて800m1500m5000mの中長距離三冠挑戦したが、5000m中村孝生前橋工)のロングスパートに敗れ2位終わり2年生同様に2冠に終わる。しかし、800m予選準決勝・決勝の3レース1500m5000m予選決勝の2レース4日間で合計15400mを走破しての2種目の優勝1種目の準優勝成績対し日本長距離史上特筆される才能持った選手評価されていた。茨城国体では、前年度続き2年連続1500m5000m二冠達成全国高等学校駅伝競走大会では3年連続で「花の1区」(10km)に出場し2年生時には区間賞を獲得した(ただし、この年の第1区では誘導員のミススタート後のトラック周回が1周少ない9.6kmとなり、記録は「参考記録扱いとなった)。正式な区間記録ねらった3年生時は、途中で腹痛見舞われ後退し2年連続区間獲得もならなかった。 大学進学に当たり関東学校誘い多かった箱根駅伝最多優勝最多出場を誇る中央大学への入学決まりかけたが、早稲田大学OBからの勧誘で、(瀬古の父は中央大学頭を下げ早稲田大学一般入試運動部員に対する特別優遇推薦入試等は当時無かった)を受験した。しかし合格に至らなかったため、高校卒業後、南カリフォルニア大学在籍しながらの「浪人生活」を送り翌年早稲田大学教育学部合格した

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