車両と運用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 08:26 UTC 版)
旅客列車 当線は、廃止直前のダイヤ改正で全車気動車化されるまでは、DE10形式内燃ディーゼル機関車牽引による客車列車が運用に着いていたことが特筆される。晩年に使用された客車は、竹下客車区所属のスハ43、スハフ42、オハ46、オハ47の各形式が使用されていた。古くはスハフ32、スハ32、オハフ33、オハ35、オハ31等も蒸気機関車C12形式等の牽引で使われていた。気動車はキハ17系、キハ20系、キハ45系、キハ35系のほかに急行用のキハ55系、キハ58系、キハ65形も入線し冷房車も入って来ていた。晩年に新車としてキハ47形も入線したが、運行本数が以前の貨物列車が多く運行されていた当時のままで、増便がされず一日の運転本数は全線通し列車が5 - 6往復と、吉塚 - 志免間の区間列車1往復と、非常に少なかった。 当線とあまり運行本数の変わらなかった香椎線は、JR発足後増発され、1時間に3本運行される体制となってからは乗客が多くなり、どの列車の車内も混雑するようになった。勝田線の起点であった吉塚駅は、福岡県庁最寄駅であると共に篠栗線の終点でもあるが、篠栗線の列車は隣の博多駅まで鹿児島本線に乗り入れている。篠栗線は、以前は勝田線と同じく非電化路線であったが、JR発足後に接続する筑豊本線共々、電車並みの走行が可能な高性能気動車キハ200系の投入や列車の増発、駅の新設などの輸送改善が行われた。2001年には電化されて電車による運行となり、特急「かいおう」も運転されている(福北ゆたか線も参照)。1時間おきの運行であった国鉄時代には並行する西鉄の路線バスが多数運転されていたが、JR発足後は前述した輸送改善の取り組みにより乗客が鉄道へ移行する傾向がみられる。 貨物列車 当線は、南部糟屋炭田の中小炭鉱と、宇美町で操業していた、三菱鉱業勝田鉱業所から産出していた石炭の輸送を行っていた。下宇美駅から三菱鉱業勝田鉱業所専用線が接続されていた。沿線で大手の炭鉱は志免駅の目の前に操業していた、海軍炭鉱〜国鉄志免炭鉱が所在していたが、この炭鉱での産出された石炭は、香椎線の旅石支線で輸送しており、勝田線での輸送は行われていなかった。始めから、博多湾鉄道が輸送の設備を整備していた関係で、勝田線の線路へ貨物列車を出発させられるような線路配置にはなっておらず、連絡の大亘り線が一箇所繋がっていただけであったので無理であった。旅石駅からの線路が、酒殿駅へ向かうように敷設されており、酒殿駅の方から選炭場の下を通り、大亘りと旅石駅方面へ別れ、大亘りを抜けて勝田線の線路へ入るが、志免駅の旅客ホームから宇美駅方の側線へ入ることができる。そこで前後逆に吉塚駅方へ出発させられる。この線路を利用して、座席が固定されていた電車化前の特急列車の客車の向きを変える三角線として利用された。 貨車は2軸の底開き式の石炭専用車の、セム1000形、セム8000形、セムフ1000形、セラ1形、セフ1形等のほか、北海道から転属してきた大形の2軸ボギー台車を使った側開き式の石炭専用車セキ3000形、セキ6000形等が使用されていた。車体には黄色の帯が入れられ、形式に小さなロの文字が添えられ(ロセキ/ロセラ/ロセフ)る、最高速度65km/h制限車であった。北海道では道内専用と記されていた。
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